2017年12月27日

来年もどぞよろしくお願いいたします

松尾大社(京都市西京区嵐山宮町)

元日に配達してもらうには25日までということで、一週間ほど前に年賀状を投函した。毎年のことだが、通信面は印刷なので、せめてもと思い宛名は万年筆で書いた。例年、干支の図柄は避けてきたが、今年は戌年にちなんで、子どもを災難から守る張子、犬筥(いぬばこ)の写真を使った。写真は今日27日、松尾大社拝殿に飾られただ大絵馬で、高さ3.2メートル、横5.5メートル、重さ90キロもある。大きさを実感していただくため、7歳の坊主に立って貰った。十二支は順序を表す記号であって動物とは関係がないそうだ。人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたという説があるようだ。動物のイメージがあるからこそ現代までかろうじて残ったのだが、その顕著な例が年賀状の図柄なのだろう。生まれ年を干支で言いながら、生まれ月は星座というのも、日本的な和洋折衷で面白いと思う。私の場合だったら未年の双子座生まれということになる。ところで松尾大社の大絵馬にもある通り来年は平成30年。2019年4月30日に今上天皇が退位するので、再来年の正月が平成の最後の絵馬になる。昭和がますます遠くなってしまったことに深い感慨を禁じえない。暮もいよいよ押し迫り、残すところあと僅かとなってしまった。それではどうぞ良い年末年始をお過ごしください。


2017年12月26日

安倍首相の Instagram に暗雲が立ち込める

安倍昭恵首相夫人が Instagram に投稿した写真

安倍晋三首相がソーシャルメディア Instagram を開設したそうだ。12月19日、内外情勢調査会で講演し、政権が最重要策として掲げている政策について「地方活性化の鍵はSNSにあります。インスタ映えするとも言われています」と語ったという。参考のため公式アカウントにアクセスしてみたところ、なんと約8万人のフォロワーがついていて驚いた。Instagram には特に興味がないので、その動向を追うつもりはなかった。ところが昭恵夫人が半裸姿の男性が写ってる写真を投稿、これを巡って炎上騒ぎになったことを知り唖然、嫌でも興味を持ってしまった。男性の胸には「アキエ」「古賀」の文字が見える。調べてみたところ、今年1月10日に佐賀市のホテルニューオータニ佐賀で開催された「佐賀県農業法人協会20周年記念式典」の2次会で撮影されたものだった。ふにふにかめゆき氏のツイートによると、左胸の「古賀」は、式典にも出席していた東京のフランス料理店「シェ・イノ」の古賀純二氏で、半裸の男性は伊万里市にある喫茶店の店主だそうである。いわばプライベート空間の写真、自業自得とはいえ、まさか自分の醜態を世に晒されるとは思っていなかっただろう。酒席のバカ騒ぎを暴露された佐賀県農業法人協会も、さぞかし困惑してることだろう。とはいえ相手は式典に招待した首相夫人、苦情を漏らすのが憚れるのだろう。写真はすでに削除されたそうだが、ネット上には「魚拓」がたくさん残っているので、火消しは簡単ではない。地方活性化とは程遠い投稿で、昭恵夫人には社会常識が欠如していると言える。首相も出鼻を挫かれ、慌てているに違いない。投稿はまだひとつだけだが、来年から本腰を入れるつもりだったようだ。ところがいきなりケチがつき、俄に暗雲が立ち込めてしまった。身から出た錆、いや身内から出た錆である。なおプライバシー保護のため写真に「目隠し」を施した。

2017年12月22日

鹿苑寺金閣雪景色撮影異聞

鹿苑寺金閣(京都市北区金閣寺町)

雪景色だから雪が舞ってる最中でも確かに構わない。しかし小やみ、あるいは降りやむシーンも狙ってみようと思ったのはこの写真のせいだ。2005年12月22日は、今日と同じく冬至だった。西陣から衣笠に引っ越してきたばなかりだったが、雪が舞っていたのでコンパクトカメラを抱え、金閣で有名な鹿苑寺を訪れた。今から思えば偶然なのだが、一瞬小ぶりとなり、雲間から柔らかな太陽光線が差した。その一瞬を捉えたものだ。鹿苑寺がある市バスの停留所「金閣寺道」はひとつ北という近距離なので、その後何度か雪が降るとやや高級な一眼レフを持って出かけた。開門時間は午前9時、新聞やテレビのスタッフならこの時間より早く入苑できるが、私にはその資格がない。その日の天候によるが、午前中降り続けるのはごく稀で、屋根の雪がすぐに溶けてしまう。逆に降雪が続いても、背景の樹木に雪がなかったりする。だから未だにこれ以上の写真を撮れていない。

2017年12月17日

風刺画家アーサー・シックの鋭利な眼差し

The New Order by Arthur Szyk 1941 (Courtesy of the Library of Congress)

山本五十六(クリックで拡大)
イラストは画家アーサー・シック(1894–1951)が1941年に出版した「ニューオーダー」の表紙である。骸骨に左足をかけ椅子に座ったナチスのヘルマン・ゲーリング(1893‐1946)、その右肩には国家ファシスト党による一党独裁制を確立したイタリアのベニート・ムッソリーニ(1883-1945)、そして第40代内閣総理大臣兼陸軍大臣の東條英機(1884-1948)が活写されている。シュジクはロシア占領下のポーランド生まれのユダヤ人芸術家で、子どものころから絵画の才能を発揮、6歳のとき中国の清朝末期の義和団の乱(1900年)の絵を描いたという。1918年にポーランドが独立、そしてドイツ革命の影響を受け、詩人ユリアン・トゥヴィム(1894-1953 )との共著に政治的なイラストを寄稿している。1921年にシックと家族はフランスに移住、書籍のためのイラストを手がけるようになった。フルカラーのペン画、特に宗教画を見ると、非常に優れた画家であったことが分かる。その才能が世界に知られるようになったは、1940年にアメリカに移住し市民権を得て、戦争の風刺画を描き始めたことだった。シュジクの風刺画にはアドルフ・ヒットラー(1889-1945)が多く登場するが、ユダヤ人ゆえのナチスへの憎悪があったからに違いない。シックはポーランドばかりではなく、フランスやイスラエルでなどで作品展を開催、ヨーロッパで知られるようになったが、なんといてもアメリカでの人気が高いようだ。単に皮肉を仕掛けて揶揄する風刺画ではなく、人物の容貌を誇張することによって印象を増幅させる手法である。しかし残念ながら日本での知名度は低いようだ。右上は1941年12月22日号のタイム誌の表紙で、現地時間の同年12月7日午前7時55分、真珠湾奇襲攻撃を展開した山本五十六(1884-1943)連合艦隊司令長官の肖像画が使われた。日本の侵略者、山本海軍大将、という説明がついている。シックのイラストからはファシズムを憎悪する眼差しを感ずるが、東條英機をはじめ、旧日本軍の要人を容赦なく俎上に載せたため、その風刺画が広く日本に紹介され難かったのかもしれない。