2014年4月27日

オバマ大統領が残した言葉に対する覚え書き

Hello Goodbye © 281_anti nuke

オバマ大統領の訪日に関しては、多くのメディアが報じているので、私ごときが出る出番ではないのだが、若干の私的メモをしておきたい。まず「尖閣諸島が日米安全保障条約の適用対象であることを明言」した。さらに「日本が進める集団的自衛権の行使容認の動きを支持する」という報道は、安倍政権にとってまことに都合良いものだろう。しかし、少なくとも前者に関しては、大統領が「事態をエスカレートさせるのは『重大な誤りだ』」と語った部分について、多くの日本メディアが「正しくない」と訳して報じているという指摘がある。具体的には「profound mistake」を「正しくない」と誤訳したという。27日付琉球新報電子版によると、沖縄の基地問題などを日本語と英語で積極的に発信している平和団体ピース・フィロソフィーセンター(カナダ)の乗松聡子代表は「オバマ氏が安倍首相に直接くぎを刺した言葉を、日本のメディアの多くは重視せず、正確に報じていない。読者、視聴者に誤解を与える」と話しているそうだ。そしてもうひとつ、大統領は韓国で「慰安婦被害に遭った女性たちはひどい人権侵害を受けた」と発言した。これに対し26日付読売新聞電子版が「朴氏の主張に寄り添ったオバマ氏」と揶揄を込めた表現をしている。オバマ大統領の発言は至極もっともで、国際常識である。歴史修正主義者の主張のお先棒を担ぐがごときメディアの存在に戦慄を覚える。

2014年4月26日

世界ピンホール写真デーは4月27日(日)です


明日の日曜日は世界ピンホール写真デー(WorldwidePinholePhotographyDay)です。この日に制作されたピンホール写真をウェブサイトにアップロードすると、ギャラリーに掲載されます。ピンホールカメラをお持ちの方はぜひ参加してください。ソーシャルメディアFacebookにグループ「ピンホール写真」を作っていますので、こちらのほうもよろしくお願いします。

Facebook  ピンホール写真(https://www.facebook.com/groups/pinhole/)

2014年4月24日

第39回 2014年 JPS展

クリックすると拡大画像が展開します

東京展
会 場:東京都写真美術館 B1F
目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内(アクセス)
会 期:2014年5月17日(土)~6月1日(日)
時 間:10:00~18:00 月曜休館(木・金は20:00まで)
名古屋展
会 場:愛知県美術館 展示ギャラリー E・F室
名古屋市東区東桜1-13-2(アクセス)
会 期:2014年7月1日(火)~7月6日(日)
時 間:10:00~18:00(金曜日は20:00まで、最終日17:00まで)
京都展
会 場:京都市美術館別館
京都市左京区岡崎円勝寺町124 (アクセス)
会 期:2014年7月22日(火)~7月27日(日)
時 間:9:00~17:00(入場は16:30まで)

主 催: 公益社団法人日本写真家協会
共 催: 東京都写真美術館
後 援: 文化庁・東京都

PDF  フライヤーの表示とダウンロード(PDFファイル 653KB)

2014年4月21日

ジョッシュ大塚君と43年ぶりの邂逅

ラグパパス・ジャグバンド:左から2人目がジョッシュ大塚君(京都・拾得)

Bluegrass 45 (Rebel SLP-1502) 1971
昨20日、ライブハウス「拾得」で開催された藤村直樹君を偲ぶコンサート「君こそは友」に出かけた。サブタイトルが「邂逅」となっていたが、私にとってもまさに邂逅の一夜であった。神戸の「ラグパパス・ジャグバンド」のジョッシュ大塚君となんと43年目の再会をしたからだ。私が仕事の関係で神戸に移住したのは1970年の春だったが、何よりも嬉しかったのはコーヒーハウス「ロストシティー」に入り浸りできることだった。1963年だったと記憶しているが、東京で立命館大学のブルーグラスバンド「サニー・マウンテン・ボーイズ」の演奏を聴いた。そのバンドのバンジョー奏者だった野崎謙二氏が経営していた店である。そしてここを拠点に活躍していたバンド「ブルーグラス45」を率いていたのがジョッシュ大塚君だったのである。翌1971年に彼らのLPレコード「Bluegrass45」が米国のレーベルからリリースされたが、ジャケット写真は私が担当した。ロストシティーの店内で撮影したが、カウンターの中にいるのが野崎謙二氏である。メンバーは、ジョッシュ大塚(ギター)大塚章(マンドリン)渡辺敏雄(ベース)渡辺三郎(バンジョー)寥学誠(フィドル)。画像をクリックすると拡大写真が展開するので是非ご覧下を。服装その他、1970年代初頭の風俗が記録されている。それはともかく、さらに翌1972年初頭に私は東京に移住した。ジョッシュ大塚君とは以後会ってなかった。まさに邂逅である。