2024年8月4日

写真家集団「マグナム・フォト」所属するただ一人の日本人メンバー久保田博二

Pyongyang 1978
Pyongyang, North Korea, 1978
久保田 博二

世界を舞台に活躍する写真家集団「マグナム・フォト」に所属するただひとりの日本人メンバーである久保田博二は、これまで多くの国々を駆け巡り取材してきた。彼が写真家として国際舞台で活動するきっかけとなったのは、人々との出会いと、2つの国アメリカとビルマだった。1939年8月2日に千代田区神田に生まれた。早稲田大学で政治学を学び、1962年に卒業した。1961年にマグナムのメンバーが日本に訪れた際に、写真家のルネ・ブリ、エリオット・アーウィット、ブライアン・ブレイク、バート・グリンらと知り合いになった。彼らの仕事ぶりに魅了された久保田は写真家になろうと決心した。そして翌年、家族の反対を押し切って、ライカM3と2本のレンズを持ってニューヨークへ渡った。自由に渡米することが許されなかった時代のことである。その後、シカゴ大学でジャーナリズムと国際政治を学び、そこで日本食のケータリング事業で働きながら生計を立てながら写真を撮り続けた。エリオット. アーウィットが身元保証人となり、アメリカでの写真生活が始まった。イギリスの『タイムズ』紙でイーストハンプトンにあるジャクソン・ポロックの墓を初めて取材した。1963年からアメリカ各地を訪れた久保田は、最初の訪問地、首都ワシントンで「ワシントン大行進」の場に居合わせるという体験をした。

Anti-Vietnam Wa
Anti-Vietnam War gathering, Washington, D.C., 1965

また、先住民が居住する南西部や、南部を訪ねた。自分が日本人である事を意識させられた最初の撮影旅行だった。そして、1969年には復帰前の沖縄を取材し、ベトナムへ派兵される米軍の兵士だけではなく、沖縄の人々の取材にもそれ以上の時間を費やした久保田は、彼らの独自の生活、文化などにふれ、その格調の高さに感動する。この時、自分がアジア人であることに気づかされ、これからはアジアを中心に仕事をすべきだと心に固く決めたと語っています。アメリカで写真家になった久保田は、アメリカかぶれしていたに違いない自分に沁みこんだ「アカ」をまず洗い流すために、アメリカと最も対極にあるアジアの国はどこかと考え抜いた。ある時、それはビルマ(現ミャンマー)だとの結論が出す。

private bridal schoo
A private bridal school to seek future husbands, Kanagawa, 1966

1967年まで滞在するなかで、ベトナム戦争を境にアメリカが著しく変わっていく様を目の当たりにした。その後、一時帰国していた日本で任せられた仕事の成功報酬で、世界一周旅行の機会を得た久保田は、1968年、東京からニューヨークを経由して、西ヨーロッパ、中近東、インド、ビルマ、タイと香港を10カ月以上かけ旅をした。何よりも世界の多様性と複雑さに驚かされた忘れられない体験だったと振り返っている。1970年からビルマに通い始めた久保田は、78年までの間に70回ほどビルマを訪ねた。かつて東南アジアで最も豊かであったこの国の人々は、軍事政権のひどい圧政下のもとでも信仰深く、優しく、そして考えられないほど寛容であり、そのような人々に久保田は感銘を受けた。このビルマ撮影はやがてアジアの撮影に繋がる。

 Golden Rock
The Golden Rock at Shwe Pyi Daw, Kyaiktiyo, Burma, 1978

1972年に日本に返還される前の琉球諸島を撮影した。久保田は1975年にサイゴン陥落を目の当たりにし、アジアに再び目を向けるようになった。中国で撮影許可を得るのに数年かかった。最終的に1979年から1984年にかけて、久保田は1,000日間の旅に乗り出し、その間に20万枚以上の写真を撮影した。1985年には写真集と展覧会『中国』が出版された。1980年に毎日芸術賞、1981年に日本写真協会年度賞を受賞した。彼の出版物のうち3つは、1970年に第1回講談社出版文化賞を受賞した。「ブラック・ピープル」「カルカッタ」そして沖縄に関するエッセイ「沖縄・その二つの顔」である。1989年、久保田はマグナム・フォトの正会員になった。アジア大陸を撮影した写真集 "Out of the East"(東の国から)を1997年に出版した。

Steel Production
Steel Factory, Anshan, China, 1981

この写真集は2年間のプロジェクトに発展し、最終的に "Can We Feed Ourselves?"(自給自足は可能か?)という書籍になった。久保田はこれまで、東京、大阪、北京、ニューヨーク、ワシントン、ローマ、ロンドン、ウィーン、パリなど世界各地で展覧会を開催してきた。回顧写真集 "Hiroji Kubota: Photographer"(久保田博二:写真家)が2015年に Aperture 社より出版された。現在は、数冊の新しい本のために重要な作品をまとめている。「私は美しいものが大好きで、人々の心を高揚させる写真を撮りたいと思っています。写真を贈ったり受け取ったりすることは、美しく個人的なことだと思っています」― 久保田博二

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