William Vandivert |
ウィリアム・ヴァンディバートはアメリカの写真家で、写真家集団マグナム・フォトの共同設立者。1912年8月16日、イリノイ州エバンストンで生まれた。1928年から1930年までウィスコンシン州のベロイト・カレッジで化学を学び、1930年から1935年までシカゴ美術館で写真を学ぶ。1935年からはシカゴ・ヘラルド・エグザミナー紙の写真家となる。1937年にデトロイトのウールワース本店のストライキを取材した。110人の少女たちが6日間にわたり、店に立てこもったが、時給が5セント上乗せされるとストライキを解いた。カウンターの上で寝る少女を捉えているが、フォトジャーナリストの資質を暗示している。ヴァンディバートは1938年にロンドンのライフ誌チームに加わった。ロンドンの波止場に出かけ、それから2年半の間、ナチス・ドイツによる大規模な恐ろしい空襲と、イギリス人の壮大なストイックさを記録した。第二次世界大戦前にカラー写真に取り組んでいた数少ない写真家の一人である。1939年夏、パリでカラー写真レポートを作成し、コダクロームを使用した。
翌年、彼はロンドンの大空襲をカラーで撮影した。1943年、ベンガル飢饉に関する悲惨なシリーズを制作するためにインドを訪れた。道端で死んでいく老女、むき出しの胸から突き出た老人の肋骨、路上から死体を掃除するトラック清掃員、路上で火葬される飢えた死者などの写真がライフ誌に掲載た。カルカッタ近郊のラーマクリシュナ・ミッション・アシュラムで撮影されたれたシリーズの1枚がエドワード・スタイケンの目にとまった。
1955年、そのスタイケンがキューレート、世界を巡回して900万人の入場者を記録したニューヨーク近代美術館の「ザ・ファミリー・オブ・マン(人間家族)」展の "Famine"(飢饉)セクションに選ばれた。彼は第二次世界大戦中、ヨーロッパのさまざまな戦場を取材した。ガルデレーゲン強制収容所で撮影した写真には、ドイツ人収容所の看守が倉庫に火を放った際に、倉庫に閉じ込められた数百人の政治犯の遺体が詳細に写っている。
1945年、ソビエト赤軍によって開始されたベルリンの戦いの直後、ヴァンディバートは西側のフォトジャーナリストとして初めてベルリンの廃墟とアドルフ・ヒトラーの地下壕を撮影し、1945年7月にライフ誌に掲載された。翌年、ライフ編集部を退社した。1947年、ロバート・キャパ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、デヴィッド・シーモア、ジョージ・ロジャー、マリア・アイズナー、リタ・ヴァンディバートらとともに、写真家集団マグナム・フォト設立に貢献した。
妻のリタ・ヴァンディバートがマグナム・フォトの事務局を取り仕切ることになり、開設時にはニューヨーク事務所を管理した。1948年、ヴァンディバートは妻とともにマグナム・フォトを退社した。フリーランスの写真家としてのキャリアを続け、フォーチュン誌に数多くのレポートを掲載。1960年から1982年にかけて、夫婦で数冊の写真集を出版した。1989年12月1日に他界、77歳だった。
William Vandivert (1912–1989) | Biography | Art Works | More Like This | LIFE Magazine
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