2023年8月15日

玉音放送:日本が戦争に負け無条件降伏した日

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パリの赤十字クラブ「レインボー・コーナー」の前に集まった米軍兵士と女性たち(1945年8月15日)

1945年7月、ポツダム会談の合意を受け、アメリカ・イギリス・中国の三国首脳名で日本に無条件降伏を勧告した。日本政府は8月14日にその受諾を決定し15日に国民に発表した。この決定は、1945年8月6日にアメリカが広島に原子爆弾を投下した後、そして3日後の8月9日には長崎にも原子爆弾が投下されたことを受けて、日本政府が戦況の絶望的な状況を理解し、降伏を受け入れる決断をした。そして、8月15日には、日本の天皇裕仁(当時)が、ラジオを通じて大東亜戦争終結に関する詔書(玉音放送)」として知られる、戦争の終結に伴う無条件降伏を発表した。これにより、第二次世界大戦の太平洋戦争が終わりを迎えたのである。

玉音放送を聞き皇居前広場でひざまずく人たち(1945年8月15日)

パリでは日本軍の降伏を祝うため、アメリカ軍人と女性たち赤十字クラブ「レインボー・コーナー」の前に集まった。 ニューヨークではタイムズスクエアに200万人の人々が押し寄せ、戦勝祝賀会が数日間続いた。紙吹雪が彼らの頭上に降り注ぎ、コンガの隊列が蛇行し、人々は目に入る者に次々とキスをした。シカゴでは男たちがはしごを登って、3か月かけて作った高さ18フィートの固形ワックスの勝利のろうそくに火を灯した。ダウンタウンでは、50万人の人々がループに押し寄せ、目抜き通りで歌い、踊ったという。東京では、天皇の玉音放送が流れて以降、人々が皇居前広場につめかけ、ひざまずいた。そして8月23日、広場で13人が自決した。

library  大東亜戦争終結ニ関スル詔書・御署名原本・昭和二十年八月十四日 国立公文書館デジタルアーカイブ

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