2022年12月3日

アメリカ憲法のルーツとなったアメリカ先住民

Governor William Burnet of New York meets with Native American leaders in 1721

9月17日は、1787年に米国憲法が調印されたことを記念する憲法記念日である。学校では憲法の知的系譜を古代アテネからヨーロッパの啓蒙主義にたどることが多い。しかしオクラホマ州イースタン・ショーニー族の法律学者、部族裁判所判事、市民であるロバート・ミラー(1950年生まれ)は、その多くの思想のもう一つの源は、誕生したばかりの米国政府の最も身近な存在であった部族の政治団体であると書いている。憲法に署名した建国の父たちの多くが、先住民族と深い親交があり、中には条約を結んだり外交関係を結んだりしていた人もいたと説明している。ベンジャミン・フランクリン(1706-1790)はイロコイ族をはじめとする先住民との条約交渉や印刷に深く関わり、その統治システムを研究していた。18世紀のアメリカ全土の部族政府は「比較的複雑な政府から単純な政府まで、独裁的な政府から高度に民主的な政府まで」さまざまなな政府モデルを有していた。

Native American

ところで「建国者」たちが最も親しんだ北米東部の政府は、ニューヨーク州北部の強力なイロコイ族連合を含む、部族国家の連合体であった。イロコイ族、ショーニー族、チェロキー族などの政治体制は、一般的に軍と市民の指導者を分け、宗教の自由を含む一定の個人の自由を守り、国民投票、拒否権、罷免など、ある程度民主的な政策がとられていた。しかし女性にも大きな役割を与えたが、これは合衆国憲法には1世紀以上反映されなかった。ミラーによれば、フランクリンはイロコイ族を含む先住民との条約交渉や印刷に深く関わり、その統治システムを研究していたという。1751年に書かれた文章で、フランクリンは次のように主張している。

もし無知な野蛮人である6つの国が、このような連合の計画を立て、昔から続いているような方法でそれを実行することができ、しかもそれが不分明に見えるとしたら、非常に奇妙なことだ。

初代副大統領ジョン・アダムズ(1735–1826)は憲法起草にあたり「古代ゲルマン人と近代インディアン」の政府を研究することを提案した。彼らは、行政、司法、立法の3部門に権力を分割して統治していると考えたからである。特にモホーク族を例に挙げ、彼らは「完全な個人の独立」を享受していたが、部族のリーダーは宣戦布告などの重大な決定を「国民議会」に持ち込んでいたと主張した。いずれにせよ「建国」の名のもとに、アメリカ合衆国は先住民の強制退去、新たな領土取得、次第に承認した新たな州により北アメリカの西部へ拡大したという史実を看過してはならない。より身近なアイヌ民族に関してもいずれ取り上げてみたい。

The Library of Congress  The Constitution United States of America Analysis and Interpretation (LOC) PDF 18.5MB

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