Ara Güler (1928–2018) |
1928年8月16日に生まれたトルコのアラ・ギュレルは「イスタンブルの眼」としても知られている。父親は薬局を経営していたが、芸術の世界に属する多くの友人を持っていた。ギュレルはこうした人々と接し、彼らに触発されて写真やシネマの道を選ぶようになった。映画スタジオで働きながら、ムフシン・エルトゥールル(1892–1979)のもとで演劇を学んだ。その後、ジャーナリズムに傾倒し、映画製作を断念する。1950年、トルコの新聞社イエニ・イスタンブルにフォトジャーナリストとして入社。同時期にイスタンブール大学で経済学を学ぶ。その後、ヒュリエット紙で働き始めた。1958年、アメリカの出版社タイムライフがトルコ支社を開設したとき、アラ・ギュレルはその最初の特派員となった。その後『シュテルン』『パリマッチ』『サンデイタイムス』などの国際誌から撮影依頼を受けるようになる。1961年『ハイアット』誌にチーフフォトグラファーとして採用される。この頃、マルク・リブー(1923–2016)アンリ・カルティエ=ブレッソン(1908–2004)と出会い、マグナム・フォトに引き抜かれる。1961年「英国写真年鑑」に写真が掲載される。
同年、米国雑誌写真家協会のトルコ人写真家として初めての会員になる。1960年代、彼の作品は著名な作家の書籍に挿絵として使用され、世界各地の展覧会で紹介された。1968年には、ニューヨーク近代美術館で「カラー写真の巨匠10人」という展覧会が開催され、彼の作品が展示された。また、ドイツのケルンで開催されたフォトキナ展にも出展した。2年後、写真集『トルコ』を出版。芸術とその歴史に関する彼の写真は『ニューズウイーク』『ライフ』『タイム』などの雑誌で紹介された。ケニア、ボルネオ、ニューギニア、インド、パキスタン、アフガニスタン、カザフスタン、イラン、トルコの都市など、世界各地に撮影の旅に出た。
1970年代には、サルバドール・ダリ(1904–1989)マルク・シャガール(1887–1985)アンセル・アダムス(1902–1984)アルフレッド・ヒッチコック(1899–1980)イモージェン・カニンガム(1883–1976)ウィリー・ブラント(1913–1992)ジョン・バージャー(1926–2017)マリア・カラス(1923–1977)バートランド・ラッセル(1872–1970)パブロ・ピカソ(1881–1973)インディラ・ガンジー(1917–1984)ウィンストン・チャーチル(1874–1965)といった著名な芸術家や政治家の写真インタビューをしている。 1975年には第一次世界大戦の戦艦を題材にしたフィクションに基づくドキュメンタリー "The End of the Hero"(英雄の終焉)を監督した。1995年にはイスタンブルを撮影した集大成というべき写真集 "A Photographical Sketch on Lost Istanbul"(失われたイスタンブルの写真素描)が上梓される。
彼の作品はパリのフランス国立図書館、ニューヨークのジョージ・イーストマン美術館、ケルンのルートヴィヒ美術館、ネブラスカ州のシェルドン記念美術館など、世界各国の美術館に作品が収蔵されている。ギュレルの写真哲学は、写真における人間の存在を重視し、自らを視覚史家とみなしていることである。写真とは、人々の苦悩や人生の記憶に残るものでなければならないという。芸術は嘘をつくことができるが、写真は現実を映し出すだけだと彼は考えている。彼は写真に芸術性を求めないため、フォトジャーナリズムを好んだのである。1999年トルコのフォトグラファー・オブ・ザ・センチュリー、1962年ライカマスター、フランスのレジオンドヌール、2009年ルーシー賞、2005年トルコの文化芸術大賞など、数々の賞を受賞している。2004年、イスタンブールのユルドゥズ工科大学から名誉フェローシップを授与された。ギュレルは2018年10月17日に心臓発作でイスタンブルで亡くなった。90歳だった。
Ara Güler (1928–2018) Photographs of İstanbul on the Tasarım Grifa Website
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