南軍はピロー峠で降伏した北軍黒人兵士を虐殺した(1864年4月12日)ニューヨーク公共図書館蔵
テネシー州ナッシュヴィルの日刊紙 Tennessean 電子版によると、州議会はネイサン・ベッドフォード・フォレスト(1821–1877)の胸像問題で採決、9対2で撤去することを承認、テネシー州立博物館に移すことを決めた。フォレストは南軍の退役軍人で、南部連合の奴隷商人だった。白人至上主義の人種差別秘密結社として悪名高い KKK(クー・クラックス・クラン)の結成者といわれている。
抗議運動 Black Lives Matter によって、南北戦争の軍人の記念像が次々と破壊撤去されている。州議会議事堂のフォレストの胸像は、1978年11月5日に設置されたが、反対運動が起こり、抗議団体が生まれた。しかし歴史の一部であり、そのままにしておくべきだという主張にかき消された。2017年になり、共和党所属のビル・ハスラム知事が胸像を撤去するようにと呼び掛けたが、議会に拒否された。問題が再燃したのは昨年の暮れだった。州議事会議長で共和党のジェレミー・ファイソン議員が、胸像を撤去して、誰か他の人の胸像を見たいと言い出したのである。ファイソン議員は、メンフィス出身でアフリカ系米国人の民主党議員、G・A・ハーダウェイに、フォレストの著書を読んだことがあるかと訊かれた。これを機に歴史を探索、フォレストの胸像を撤去すべきだと考えるようになったようだ。そこで白羽の矢を立てたのが、カントリー音楽界の大御所、ナッシュビル在住の国民的人気歌手、ドリー・パートンだった。いささか冗談めいた妙案だが、女性の胸像を設置すべきだと主張する議員もいるようだ。黒人立法委員会の仲間のメンバーであるブレンダ・ギルモア上院議員は、目に涙を浮かべて「200人以上の降伏した兵士の泣き叫ぶ声が聞こえる」と語ったという。テネシー州のピロー砦で1864年4月12日、南軍は降伏した北軍兵士を殺害したが、その多くは黒人兵士だった。この虐殺を指揮したのがネイサン・ベッドフォード・フォレストだったのである。環境保全省のデビッド・サリアーズ委員は投票の前に、胸像を博物館に移すことは「歴史を削除したり、歴史を消したりすることにはならない」と指摘したという。
フォレストの胸像 |
The Fort Pillow Massacre: The Gilder Lehrman Institute of American History (PDF 757 KB)
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