2020年7月7日

石仏に見る盛者必衰の無常

無縁墓石供養塔の石造阿弥陀像(京都市左京区の金戒光明寺)

頭部が欠けた石仏(真如堂)
墓地は石造彫刻の宝庫と言えるかもしれない。例えば法然院の墓地には滋賀県東近江市にある石塔寺の重文三重塔「阿育王塔」のコピーがあったりして興味深い。ご存知嵯峨野の化野念仏寺の賽の河原は、いわば八千の仏の墓地である。補陀洛寺の墓地には小野小町の供養塔がある。五重の層塔で、薬師・釈迦・弥陀・弥勒の四方仏が彫られている。その形式から鎌倉後期の造立らしいが、一番奥には300体もの石仏がずらりと並んでいる。私はこのように寺を訪ねると墓地を見ることにしている。思わぬ発見があるからだ。真如堂(真正極楽寺)にも夥しい数の石仏があり、本堂の南側にコンクリートで固めた地蔵塚がある。横に「木食正禅造立」と刻まれた蓮弁の石の台座があり、鎌倉の大仏を小ぶりにした阿弥陀如来露仏が目につく。私はその裏に密かに佇んでいる石仏群が好きだ。

頭部が残った石仏(金戒光明寺)
真如堂から少し南に歩くと会津藩士352名の墓所の菩提寺である西雲院に出る。法然上人が座ったと伝わる「紫雲石」で知られるが、ここにも金剛夜叉明王像などの石仏が安置されている。境内から山門を抜けると、金戒光明寺の広大な墓地に出る。そこで目に飛び込んで来るのは、様々な理由で整理された無縁墓石群である。その墓石に埋まる感じで残されている石仏の頭部がある。頭部だけなので、釈迦如来か阿弥陀如来か私には判別がつかないのが残念である。前からずっと気になっているものだが、何故かガンダーラ仏、あるいはさらに遥かのギリシャ彫刻を連想させられる表情をしている。大袈裟にいえば、イスタンブルの地下宮殿の柱の礎石になっているメデューサの様相を思い出すのである。このような形で放置されているなら、家に持ち帰りたいところだが、そうはいかないだろう。さらに南に下ると、今度は無縁墓石供養塔が聳え立っている。塔の上には阿弥陀如来像が座しているが、諸行無常、石の造物もまた永遠にあらずと感じ入る。平家物語ではないが、盛者必衰の姿がここに具現化している。

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