2020年7月26日

沈殿する安倍晋三のレガシー


安倍晋三のレガシーはアベのマスクだけ、という記事を読んで目が点になったが、これは間違いだ。多大な労力と税金を使ってばら撒いたが、何故かこのマスクを着用している人を見たことがない。まさに負のレガシーそのものである。漢字を読めなくても首相になれるという勇気を子どもたちに与えた、という珍説を読んだが、親の選挙地盤を世襲したお坊ちゃん政治家である。やはり漢字の勉強はしっかりしたほうが良い。レガシーといえば、長期政権のトップに居座りながら、安倍晋三にはこれといった功績がない。コロナウィルス感染症対策で打ち出したマスクもそうだが、感染者が激増、都知事が外出を控えろと訴える最中に旅行せよという、GoToキャンペーンという名の愚策に呆れる。官邸官僚の思い付き人気取り策に踊らされた裸の王様そのものである。外交の安倍を自負しているようだが、2017年衆議院選挙で拉致問題の解決に全力を尽くすという公約を掲げたにも関わらず、1ミリも動いていない。2019年9月、東方経済フォーラム全体会合でプーチン大統領を前に「ゴールまで、ウラジーミル、二人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」と演説した。しかし少なくとも二島は戻るはずだった北方領土だが、最近になって「夢を見たければ勝手に」とロシアに突き放された。頼りは米国のトランプ大統領、ポチよろしく尻尾を振り、挙句の果てに兵器の爆買いをする始末。来年10月、衆院議員は任期満了となるが、それまでに何とか首相としての功績を上げたいと考えてるに違いない。

©2017 The New York Times

視野に入っているのが「五輪」と「改憲」だろう。新型コロナウイルス感染拡大で東京五輪は、1年後の7月23日に延期された。組織委は2年延期を考えていたが、安倍晋三が1年延期を選んだ。自分が首相の間にを開催したいという独断からである。しかしそれまでに新型コロナウイルス感染が終息するとは考え難い。WHO(世界保健機関)の最新データからは、観戦を楽しむ状況も考えにくい。世界全体で1500万人以上の感染が確認されており、その人数は4~5日ごとに100万人近く増えている。来夏開催は絶望的と断言しても良いだろう。残るは「改憲」だが、そのハードルは高い。改憲原案を衆参両院の3分の2以上の賛成で発議、60日以後180日以内に国民投票、という2段階で進む。その間、短く見積もっても1年半から2年はかかるから、在任中は無理である。それに第一、憲法のどこを変えようとしているのかというのが曖昧である。2013年の参院選のころは、憲法の改正要件を定めた96条の改正を前面に出して「お試し改憲」と批判された。その後、憲法に自衛隊を明記する改正を最重視する考えを表明。そして今はコロナ禍をテコに緊急事態条項を創設することに力点を入れつつある。これまた五輪同様「改憲した首相」として自分の名を歴史にとどめたいだけのように伺える。毎日新聞が7月18日に実施した世論調査で「いつまで首相を続けてもらいたいですか」と尋ねたところ、45%が辞任を求める回答をしたという。レガシーが沈殿したまま首相の座を降りることになるだろう。

2020年7月21日

イスラームのモスクになるアヤソフィア

コンスタンティノープルに入るメフメトⅡ世(1453年)ファウスト・ゾナロ画

トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がイスタンブルのアヤソフィアを「イスラームのモスクに戻す」と発表した。報道を受け、隣国のギリシアやキリスト教界は強い反発を示している。元を辿ればキリスト教の大聖堂として建設された建物だからだ。サウジアラビアの日刊紙アラブニュース電子版によると、欧州共同体司教会議委員会(COMECE)のマヌエル・バリオス・プリエト事務局長は「アヤソフィアをモスクにすることはトルコを欧州から遠ざけることであり、それは正教会にとっても宗教間の対話にとっても打撃です」と語ったという。最初のアヤソフィアは東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルに建てられた、木造屋根の大聖堂だった。最初の名前は「大教会」を意味する「メガリ・エクリシア」だった。その屋根が404年に焼失、414年の2回目の火災で壊滅状態になったが、テオドシウスⅡ世(401–450)によってに再建が行われ、415年に献堂されたのである。この聖堂も532年の首都市民の反乱における放火で、皇帝宮殿の一部やアギア・イリニ聖堂とともに再び焼失してしまう。しかし同じ年に再建が始まり、5年で完成した。

アヤソフィア前に集って夕刻の祈りを捧げるムスリムたち(7月10日)

537年にユスティニアヌス帝(483-565)によって奉献された大聖堂は地震に耐えることができず、アーチとメインドームの両方が557年に崩壊してしまう。ドームは4年で再建され、563年、再奉献された。アヤソフィアは、コンスタンティノープル総主教庁の所在地として正教会第一の格式を誇り、また東ローマ帝国の諸皇帝の霊廟として用いられた。1453年、オスマン帝国の第7代皇帝メフメトⅡ世(1432–1481)はコンスタンティノープルをイスラームの勢力下に収めるため包囲、5月29日、陥落した。メフメトⅡ世は、イエニチェリ軍団の精鋭に守られ、白馬に跨って、カリシウス門から入場、アヤソフィアの前で馬を降りた。大聖堂の中に入ると、大臣たちにただちにモスクに改造するように命じたという。木製のミナレットを建設、ドームの大きな十字架と塔の鐘は取り除かれた。かくしてビザンチン帝国はこの世から消滅したのである。しかしそのオスマン帝国も第一次世界大戦で敗戦国となって滅び、ムスタファ・ケマル・アタテュルク元大統領(1881–1938)によって世俗化され、博物館になった。エルドアン大統領は今月19日、アヤソフィアを訪れ、24日に予定される初めての集団金曜礼拝に向けた準備状況を確認、トルコがアヤソフィアを博物館にしたのは間違いだったと発言した。オスマン帝国の栄光を取り戻すという亡霊に取り憑かれている。

2020年7月18日

降伏した黒人兵士を虐殺したネイサン・ベッドフォード・フォレスト

南軍はピロー峠で降伏した北軍黒人兵士を虐殺した(1864年4月12日)ニューヨーク公共図書館蔵

テネシー州ナッシュヴィルの日刊紙 Tennessean 電子版によると、州議会はネイサン・ベッドフォード・フォレスト(1821–1877)の胸像問題で採決、9対2で撤去することを承認、テネシー州立博物館に移すことを決めた。フォレストは南軍の退役軍人で、南部連合の奴隷商人だった。白人至上主義の人種差別秘密結社として悪名高い KKK(クー・クラックス・クラン)の結成者といわれている。

フォレストの胸像
抗議運動 Black Lives Matter によって、南北戦争の軍人の記念像が次々と破壊撤去されている。州議会議事堂のフォレストの胸像は、1978年11月5日に設置されたが、反対運動が起こり、抗議団体が生まれた。しかし歴史の一部であり、そのままにしておくべきだという主張にかき消された。2017年になり、共和党所属のビル・ハスラム知事が胸像を撤去するようにと呼び掛けたが、議会に拒否された。問題が再燃したのは昨年の暮れだった。州議事会議長で共和党のジェレミー・ファイソン議員が、胸像を撤去して、誰か他の人の胸像を見たいと言い出したのである。ファイソン議員は、メンフィス出身でアフリカ系米国人の民主党議員、G・A・ハーダウェイに、フォレストの著書を読んだことがあるかと訊かれた。これを機に歴史を探索、フォレストの胸像を撤去すべきだと考えるようになったようだ。そこで白羽の矢を立てたのが、カントリー音楽界の大御所、ナッシュビル在住の国民的人気歌手、ドリー・パートンだった。いささか冗談めいた妙案だが、女性の胸像を設置すべきだと主張する議員もいるようだ。黒人立法委員会の仲間のメンバーであるブレンダ・ギルモア上院議員は、目に涙を浮かべて「200人以上の降伏した兵士の泣き叫ぶ声が聞こえる」と語ったという。テネシー州のピロー砦で1864年4月12日、南軍は降伏した北軍兵士を殺害したが、その多くは黒人兵士だった。この虐殺を指揮したのがネイサン・ベッドフォード・フォレストだったのである。環境保全省のデビッド・サリアーズ委員は投票の前に、胸像を博物館に移すことは「歴史を削除したり、歴史を消したりすることにはならない」と指摘したという。

PDF  The Fort Pillow Massacre: The Gilder Lehrman Institute of American History (PDF 757 KB)

2020年7月12日

ピート・シーガーを支えたトシ夫人

Toshi and Pete Seeger ©1992 Steve J. Sherman

ピート・シーガー(1919–2014)は日本でも有名なフォークシンガーだが、トシ夫人(1922–2013)は案外知られていなかもしれない。今月9日が命日だったので、追悼の気持ちを込めてその生涯を追ってみた。祖父がマルクスの著書を翻訳したため、その代わりにトシの父親、タカシ・オオタが四国から亡命を与儀なくされたようだ。旅行中にワシントンDC出身のバージニア・ハーパー・ベリーと知り合い、結婚してミュンヘンに住んだ。トシが生後6か月のときに一家は米国に移住、ニューヨークのグリニッジビレッジとウッドストックで育った。1939年にスクエア・ダンス・パーティーで未来の夫、ピートと出会うが、まだ高校生だった。

出廷した夫妻(1961年)
ふたりは1943年に結婚、1949年に水道も電気もない丸太小屋をハドソン川沿いに建てた。これはハドソン川を浄化するための環境プロジェクト「クリアウォーター・フェスティバル」設立の基盤となった。1960年代初頭、ニューポート・フォーク・フェスティバル設立を手伝ったが、カントリー・ブルーズ・シンガー、ミシシッピ・ジョン・ハート(1893–1966)の「発見者」としても知られている。1965年3月7日、公民権運動中にアラバマ州の都市セルマで「血の日曜日事件」が起きたが、トシはピーターと共にデモに参加した。彼女は映画製作者およびプロデューサーとして頭角を現したが、しばしばフォークミュージックに焦点を当てるようになった。テキサス刑務所で撮影したアフリカ系米国人の囚人の労働歌の記録など、その作品の多くが米国議会図書館に保存されている。ピートのテレビ番組「レインボークエスト」の実質的プロデューサーはトシであった。番組の最後に流れた "Chief Cook and Bottle Washer" (コック長で瓶洗い、転じて何でも屋)というクレジットが象徴的である。自らが前面に出るより、裏方、すなわち「内助の功」によってピートを支えたと言える。ピートは1961年3月に、法廷侮辱罪の陪審裁判で有罪となり、懲役10年の刑を課せられたが、控訴審は1962年5月に原判決を覆した。バンジョーを肩にニューヨーク連邦裁判所に出廷するピートに寄り添うトシの写真が残っている。結婚70周年の9日前の2013年7月9日、ビーコンにある彼女の自宅で91歳で亡くなったが、翌年1月27日、ピートも追うようにして他界した。

YouTube
Pete Seeger Remembers His Late Wife Toshi, Sings Civil Rights Anthem "We Shall Overcome"

2020年7月8日

破壊されたクリストファー・コロンブス像

サン・サルバドル島に上陸したコロンブス(1492年)ディオスコロ・プエブラ画(プラド美術館蔵)

台座だけが残った
日刊紙ボルティモア・サン電子版によると、7月4日夜、メリーランド州ボルティモアのリトルイタリー近くにあったクリストファー・コロンブス(1451–1506)の像が、大声で叫ぶ抗議者に引きずり降ろされ、インナー・ハーバーまで引きずられて投げ込込まれた。コロンブスといえば米国では「新大陸を発見した英雄」として長い間歴史の教科書に記述されてきた。しかし彼は先住民を殺戮者であり、しかも奴隷商人でもあった。コロンブスは「発見された新大陸」の先住民からすると「迫害された人物」であって、偉人ではない。その観点から、近年、その評価が問われるようになった。今年になって火をつけたのが、アフリカ系米国人の人種差別の撤廃を訴える Black Lives Matter 抗議運動運動である。抗議活動が始まって以来、南部連合軍の兵士の記念碑、ジョージ・ワシントン、エイブラハム・リンカーン、ユリシーズ・グラントなど、他の歴史上の人物も標的にされている。ドナルド・トランプ米大統領は記念像撤去の連鎖を非難、7月3日、独立記念日の式典で「我々の国は歴史を消し去り、英雄を冒涜する無慈悲な運動に直面している」と演説した。破壊行為が行き過ぎると、大統領選でトランプ陣営を有利にすると危惧する向きもある。

YouTube  Watch "Christopher Columbus: What Really Happened" by Bad Crayfish Productions

2020年7月7日

石仏に見る盛者必衰の無常

無縁墓石供養塔の石造阿弥陀像(京都市左京区の金戒光明寺)

頭部が欠けた石仏(真如堂)
墓地は石造彫刻の宝庫と言えるかもしれない。例えば法然院の墓地には滋賀県東近江市にある石塔寺の重文三重塔「阿育王塔」のコピーがあったりして興味深い。ご存知嵯峨野の化野念仏寺の賽の河原は、いわば八千の仏の墓地である。補陀洛寺の墓地には小野小町の供養塔がある。五重の層塔で、薬師・釈迦・弥陀・弥勒の四方仏が彫られている。その形式から鎌倉後期の造立らしいが、一番奥には300体もの石仏がずらりと並んでいる。私はこのように寺を訪ねると墓地を見ることにしている。思わぬ発見があるからだ。真如堂(真正極楽寺)にも夥しい数の石仏があり、本堂の南側にコンクリートで固めた地蔵塚がある。横に「木食正禅造立」と刻まれた蓮弁の石の台座があり、鎌倉の大仏を小ぶりにした阿弥陀如来露仏が目につく。私はその裏に密かに佇んでいる石仏群が好きだ。

頭部が残った石仏(金戒光明寺)
真如堂から少し南に歩くと会津藩士352名の墓所の菩提寺である西雲院に出る。法然上人が座ったと伝わる「紫雲石」で知られるが、ここにも金剛夜叉明王像などの石仏が安置されている。境内から山門を抜けると、金戒光明寺の広大な墓地に出る。そこで目に飛び込んで来るのは、様々な理由で整理された無縁墓石群である。その墓石に埋まる感じで残されている石仏の頭部がある。頭部だけなので、釈迦如来か阿弥陀如来か私には判別がつかないのが残念である。前からずっと気になっているものだが、何故かガンダーラ仏、あるいはさらに遥かのギリシャ彫刻を連想させられる表情をしている。大袈裟にいえば、イスタンブルの地下宮殿の柱の礎石になっているメデューサの様相を思い出すのである。このような形で放置されているなら、家に持ち帰りたいところだが、そうはいかないだろう。さらに南に下ると、今度は無縁墓石供養塔が聳え立っている。塔の上には阿弥陀如来像が座しているが、諸行無常、石の造物もまた永遠にあらずと感じ入る。平家物語ではないが、盛者必衰の姿がここに具現化している。

2020年7月4日

ゾーンプレート写真制作の再開

Toy Train with SONY α6000 + Zoneplate

SONY α6000 + Zoneplate
久し振りにゾーンプレート写真を制作することにした。ソニーのデジタル一眼カメラ NEX-5 用に作ったゾーンプレートがあったので、同系統の APS-C フォーマットの αシリーズを購入することにした。ソニーのオンラインストアを覗いたところ、上位機が2種類、入門機が4種類ある。ストアの販売価格は α6600 が 159,900円、α6000 が 54,900円とかなり幅が大きい。ところがスペックを見ると、画素数はほぼ同じだし、どこに差があるか分かりづらい。ゾーンプレートはレンズとは違い、不鮮明な映像を創り出すこことに特長がある。従って画質を追求する必要がないので、安価なα6000 を購入した。注意すべきはUSBケーブルでバッテリーの充電をすることだ。スマートフォンなどと同じ方法だが、ちょっと心もとない。バッテリーの予備は必要だし、そこで充電器とのセット ACC-TRW C2 を別途注文した。都合 62,000円の出費となったが、たまたま振り込みがあった例の特別定額給付金で間に合うので、支払いに充当した。

Zoneplate pattern
ゾーンプレートは右図のような弓道の的に似たパターンを、黒白フィルムで縮小コピーして作る。横から断面を見ると格子状になっている。この格子の透明部分を通った光が回折して像を結ぶ。ピンホールは光の直進性、レンズは光の屈折を利用するが、この点がゾーンプレートとの違いでである。ピンホールカメラとの共通点は、レンズレスということだ。ピンホールは中判以上のフィルムカメラで効果を発揮するが、フォーマットが小さいデジタルカメラでは表現としての魅力が期待でき無し。その点、ゾーンプレートは、独特のソフトフォーカス効果が得られる。なお α6000 に装着したところ、シャッターが落ちなくて一瞬戸惑った。レンズなしレリーズ許可と設定すればOKである。絞り優先、ISO 感度オートに最終設定、露出などを考えずに撮れる、全自動のゾーンプレート写真デジタルカメラが手に入った。6,000×4,000 ピクセルの画像が生成されるので、A3 サイズのプリントアウトが可能だ。新型コロナウィルス感染症 COVID-19 パンデミックで、外出がままならぬ日々が続いているが、束の間の散歩が愉しみになった。下記リンク先にゾーンプレートの作成方法が紹介されているが、複写用硬調フィルムや現像液が入手困難だし、自作は無理だと思われる。木製の手作りピンホールカメラで知られる香港の Zero Image 社が5月10日、ニコンや富士フイルム製デジタルカメラ用ゾーンプレートアダプターの製造販売を開始した。興味ある方は問い合わせたらいかがだろうか。

PDF  焦点距離 50mm および 80mm 用のゾーンプレート作成パターンの表示とダウンロード

2020年7月2日

ミシシッピ州旗から排斥された南軍旗

A Mississippi state flag at Vaught-Hemingway Stadium in Oxford, Miss., Oct. 2017.

Charlie Worsham
米国ローリングストーン誌6月30日付け電子版に、シンガーソングライターのチャーリー・ワーシャンが「これは素晴らしいマイルストーン」という一文を寄せている。ワーシャンはミシシッピに生まれ育ったが、ミシシッピが生んだロバート・ジョンソンなどの偉大なるミュージシャンを讃えながら、州旗のカントンに描かれていた南軍旗を見過ごしてきたという傷があると指摘している。そしてこの旗が塗り替えられるのは、素晴らしいというのだ。チャールストン教会銃撃事件やジョージ・フロイドの殺害事件を受けて、州旗を直ちに廃止し、新しい州旗をデザインするための委員会を設置する法案が、今年6月28日に州下院と州上院の両方で可決された。従って現在のところ公式の州旗はない。州が使用している他のシンボルには公式の印章と紋章があり、公式の州旗がない場合は無地の三色旗、または2017年に州の200周年を祝うために作成された青・白・赤のトリバンドを中心に州の印章を描いた横断幕が、事実上のプレースホルダーとして使用されているようである。ミシシッピの州旗はいわば「負のレガシー」だが、歴史を消すなという少数意見もあるようだ。しかしナチスの鉤十字をあしらった旗の存在は許せないし、米国にとっては南軍の旗は排斥される運命にあるようだ。ジョージ・フロイドの殺害事きっかけに Black Lives Matter 抗議運動が大きな広がりを呈している。ヨーロッパでは奴隷商人の像が引き倒された。米国でも南軍の軍人の像が破壊されているが、 NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)電子版によると、ヴァージニア州リッチモンド市のレヴァール・ストーニー市長が、複数の南軍軍人像の即時撤去を命じ、昨7月1日、ストーンウォール・ジャクソン像の撤去を始めたという。大きなうねりが世界を変えつつある。

YouTube  Mississippi Is Changing Its State Flag, Confederate Statues Could Be Next | VICE News