2019年8月14日

マッカーサー元帥の椅子に座った

マッカーサー記念室(東京都千代田区有楽町)1986年8月8日

昭和天皇と会見(米国大使館)
連合国最高司令官総司令部(GHQ)は1945月15日、東京・日比谷の第一生命館を接収した。第一生命社長室として使われていた6階の部屋に最高司令官 (SCAP) に就任したダグラス・マッカーサー(1880-1964)の机と椅子が置かれた。1952年に返還され、そのまま「マッカーサー記念室」として保存されて今日に至っている。1986年8月8日、私はこの部屋を撮影した。元帥の椅子に座っているのは私である。この部屋は、広さ約54㎡(約16坪)で、内装や調度品は、マッカーサーが使用していた当時のままだ。インテリアは英国のチューダー王朝風で、壁に飾られた2枚の絵は、英国人画家F・J・オルドリッジによってか描かれた「アドリヤ海の漁船」と「干潮」である。マッカーサーはヨット好きだったので、接収時もこの絵をそのまま飾っていたという。1946年1月25日、この部屋からか、それとも米国大使館からだったのだろうか、マッカーサーはアイゼンハワー陸軍参謀総長宛に天皇の犯罪行為の証拠なしという秘密電報を送った。天皇を起訴すれば日本の情勢に混乱をきたし、占領軍の増員や民間人スタッフの大量派遣が長期間必要となるだろうと述べ、米国の負担の面からも天皇の起訴は避けるべきだとの立場を表明している。これが戦後日本政治の出発点になったことを肝に命ずるべきだろう。なお、第一生命館は1989年から1995年にかけ、DNタワー21として再開発されたが、マッカーサー記念室は内装などを変更せず、そのまま保存された。

PDF  第一生命保険「マッカーサー記念室の歴史」の表示とダウンロード(PDFファイル 368KB)

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