2019年8月5日

写真に纏わる言の葉を集めてみた(その1)

On Photography by Susan Sontag, New Ed edition, September 27, 1979
スーザン・ソンタグ
最近では写真はセックスやダンスと同じくらいありふれた娯楽となった。そのことは、大衆芸術というものはどれもそうだが、写真が大部分の人にとって芸術でなくなったことを意味している。それは主として社交的な儀礼であり、不安に対する防御であり、また権力の道具なのである。
ロバート・キャパ
怪我をしたり、殺されたりしている場面抜きで、ただのんびりと飛行場の周りに座ってるだけの写真では、人々に真実と隔たった印象を与えるだろう。死んだり、傷ついたりした場面こそ、戦争の真実を人々に訴えるものである。
アンリ・カルティエ=ブレッソン
かつては自分でプリントしていた。だからネガから何を引き出せるか完全にわかっていたわけだ。けれど、もう何年も自分でプリントしていない。観察にもっと時間を割きたいからだ。
ヴォルフガング・ウルリヒ
直接性という魅力を取り戻すために、できるだけ単純なカメラが必要とされるようになった。写真の技術武装とデジタル化に対する反動として、ロモグラフィーが1990年代に発展した。
ジャック=アンリ・ラルティーグ
幸いなことに、私はいまだに子供だ。普通、人間というのは年をとるほど衰退していくような気がする。いつまでも無邪気で楽しい子供のままでいるように努めるべきだろう。
ジョゼフ・アディスン
私がかつて見たもっとも美しい景色は、暗い部屋の壁に描かれたものであった。
酒井修一
生産停止の知らせを聞いて、日本のメーカーの技術者、とくに役職に就いていたベテラン技術者の気持ちは複雑だった。自分たちの力で日本のカメラを大きく育てたとする自負心はあったが、ライカM3を打ち負かしたという気持ちになれなかったのである。
ロラン・バルト
今日では誰もが経験することだが、私はいたるところで写真を見る。写真はこちらから求めなくとも、世界のほうから私のもとにやって来る。そうした写真は単なる《映像》にすぎず、その現れ方は来たい放題(または行きあたりばったり)である。
富岡多恵子
金もうけへのエネルギーを写真にこめて、写真をその手段にするならいざ知らず、そうでない場合の写真とはいったいなんなのだろうか。写真を撮るとはいったいなにごとなのであろうか。
セシル・ビートン
写真が写真としての価値で展示されることはなかった。わざわざ写真の展覧会をしようなどという人はほとんどいなかった。20年代と30年代、写真が受け入れられていたのはアメリカだけだった。
ブレッド・ウェストン
父(エドワード・ウェストン)はいつも身近にいて、何年もの間、一緒に旅し、一緒に撮影した。何度か同じ女の子を追いかけたことさえあった。父は私のことを兄弟と呼んだ。父と私はすばらしい仲間だったのだ。
シルヴィア・ボーベンシェン
女らしさの原理を具体化するような芸術だけが、伝統的な表現のパターンを塗り替えることができ、陳腐な表現を避け、そこに本来の姿も見えてきた。その結果、女性がアイデンティティを求めるためには非常に厄介な手順を踏まなければならなくなった。
小林美香
私にとって写真を見せながら「語る」という行為には、対象となる写真に写されているものや状態を描出したり分析したりするための言葉を選ぶことだけではなく、語る主体である私自身のことを内省するプロセスも含まれている。
谷崎潤一郎
ソノ写真機ハ写シタモノガ即座ニ現像サレテ出テ来ル。テレビデ相撲ノ実写ノ後デ、アナウンサーガ取口ノ解説ヲスル時ニ、キメ手ノ状況ガ早クモスチル写真ニ撮ラレテ出テ来ルノハポーラロイドヲ使ッテ写スノデアル
ベニータ・アイスラー
最も才能に恵まれていると認めた二人の「若者」を291で引き合わせたとき、スティーグリッツはその結果を予想だにしなかった。ジョージア・オキーフとポール・ストランドの間で初めてかわされた視線はたちまち情熱的な恋愛となって燃えあがった。
ロベール・ドアノー
暗室作業はすいぶんやるが、それは経済的な独立を失わないためだ。もちろん、あまり暗室作業ばかりやるのは馬鹿げている。暗室にいる間は町に出られないのだから。
赤瀬川原平
デジカメはたしかに、見た感じ、よく写る。でもやはり、何かしら騙されてるような気分なのは何故だろうか。暗いところでもまずは写るし、手ブレも少ないし、ピントもよく合う。でもそれは、子供騙しが大人騙しになったもの、という感じが拭えない。
J・H・ファーブル
私は息子のポル・ファーブルと協力して前版で非難された欠陥を埋めることにつとめた。この版は本書の研究の対象をなす大部分の登場者と場景を示す二百枚以上の写真で飾られることになる。その大半は自然の中で生きているものをそのまま写した。
ピーター・ウェッブ
ポルノグラフィックな写真をエロティックと感ずる人々もいるかもしれないが、ほとんどの人々は、エロティシズムをセックスにだけではなく、むしろ愛と結びつけるのであり、そして愛は、ポルノグラフィにおいては、ほとんど、あるいは全く役割を演じていない。
アラ・ギュレル
私自身と同じあるいはその前の世代の人々は、二度とあの紫色のセイヨウハナズオウの花びらに覆われた庭園の門前を通り過ぎることはないだろう。彼らは雨上がりのつるつる滑る玉石のボスポラス通りを下ることもないのだ。
ヘルベルト・バイヤー
画家、写真家、映画制作者の間に、技術とアイデアの交流があった。写真が芸術家に受け入れられ、芸術の一部と考えられるようになっていたのだ。しかし私は、親しい数人を除いて、バウハウス時代孤立していた。
土門拳
貧窮のどん底にありながらなぜ、かれらが暴動を起こさないのか不思議なくらいだった。それがマケ犬の忍従なのか、いわゆる日本人のネバリ強さななのか、ぼくにはわからない。長い圧迫の歴史が、かれらのエネルギーをどこかに閉じ込めてしまったかに見える。
東松照明
礼をいって写真を渡すと、老婆は、生娘のごとくからだをくねらせて恥ずかしがる。老婆は、食い入るようにして写真を眺める。何分も、ずーっと姿勢を崩さずに見つづける。変だな、と思って覗き込むと、老婆は、写真を上下逆にして見ているのだ。
佐貫亦男
幼児の視覚とは、低い位置から仰ぐのではなく、むしろそこから見下ろすものである。幼児のころ遊んだ街角へ何十年ぶりかに立って先のほうを眺めると、驚くほど近い。ところが幼児の記憶だと、それははるか地平線にとどくほど遠かった。
イポリット・テーヌ
我々は模写が芸術の目指すところであると結論しなくてはならないのだろうか。写真とは、線と明暗とでもって、模写すべき対象の形を、背景の前にくっきりと、この上もなく完璧に再現する技術である。
ウジェーヌ・ドラクロワ
ダゲレオタイプによる肖像をよく見てみれば、百枚に一枚も我慢できるものはあるまい。人の顔を見て、我々が驚かされたり、魅了されたりするのは、その顔形以外の何物かなのだ。機械には、我々が一目で見てとれるものを決して知覚できないのだ。
ジゼル・フロイント
ボードレールにとって写真は「物事をその外見的な形によってしか判断しない、この無教養でぼんくらな階級」を激しく非難する口実となった。写真は、芸術を何も理解しておらず実物そっくりの絵を好む大衆の虚栄を満足させる手段に過ぎなかった。
小沢健志
"写された薩摩の人々"をみると、幕末・維新の覇気と風貌とを感じさせるものが多い。やがて明治を生きる若き志士たち、西南戦争に散った旧藩士たちも多く含まれている。
名取洋之助
写真家は、写真雑誌が本舞台のように思ったりしています。写真のアマチュアや、写真を知らない人たちに、写真を撮るには芸術家の天分がなければならないような幻想を抱かせています。
ヘンリー・ホームズ・スミス
ヴァン・デレン・コークが高等教育と写真について簡単な歴史を書いているが、オハイオ大学がおそらく最初にこの過程を始めたのだと思う。ただしスティーグリッツが第一次大戦前のある時期に講座を持っていたらしいコロンビア大学は例外だ。
マン・レイ
アッジェについて、神話をつくるつもりはない。単純な男で、1900年に写真を始めたころに普通だった素材を終生使っていた。おんぼろのカメラに安物のレンズを付け、シャッターの代わりにキャップを取って撮影していた。
リチャード・ウィーラン
ゲルダは、自分自身のためにもほとんど同じようにコスモポリタン的な別名を採用した。彼女はゲルダ・ポポリレスではなく、ゲルダ・タローと名乗ることになる。その名前はパリに住む日本人の若い画家、岡本太郎から借りたものだった。
アンセル・アダムズ
ゾーンシステムは科学的なコミュティでは広く認められていません。理由は、科学者たちが、正確な物理量の実験室規格と異なるとして、イマジネーションによる形なき品質に関わるこの種の写真に関心を持たないからです。
石内都
現実を写し撮ることも写真の機能の一つであるけれど、それ以上に眼の前にあるモノを写し変える作意が、写真には満ちている。モノクロームはその作意やもしくは意図が、黒と白の間に、しとやかな一条の光を呼び起こし、漆黒の影を紡ぎ出し、見えない世界をおびきだす。
多木浩二
ヌード写真の脱性化をみてみると、近代芸術は一面では性にまつわる政治学、すなわち男と女の社会的な関係を回避することであった。もちろん写真家がこうした関係を意識していたために起こったのではない。
ジェフリー・ギルバート
戦前の日本の前衛写真と近代写真の動向は、1930年代前半までその実験的な活力を維持していた。しかし、やがてその活力と才能は、広告や出版という商業写真へと吸収されていく。第二次大戦後、出版界は大きく繁栄したが、野島の作品はこの恩恵に浴さなかった。
光田由里
野島康三のアルバムに、自分の屋敷やその庭先で、梅原龍三郎、岸田劉生、宮本健吉、萬鐵五郎らの様々な作家たちと並んで写った写真が何枚も残されている。痩せて背が高く、遠慮がちで穏やかな野島の表情は、どの写真でも変わることがない。
ヘンリー・ルース
人類が成し遂げた業績--絵画や塔や発見を見る。何千マイルも離れたものを見る、壁の後ろや部屋の中に隠されたもの、近づくと危険なものを見る。男たちの愛する女性、そして数多くの子供たち。見る、そして見ることに喜びを見いだす。見て驚く。見て教えられる。

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