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Ramblin' Jack Elliott & Woody Guthrie ©1961 John Cohen |
左はランブリン・ジャック・エリオットが、ニュージャージー州モリス郡のグレイストーンパーク精神病院で、療養中のウディ・ガスリーを見舞ったときの写真である。ガスリーは1954年にハンチントン病と診断され、1956年にこの病院に入院した。写真は1961年1月29日にジョン・コーエンが撮影したもので、初対面の19歳のボブ・ディランも同行したようだ。グレイストーンパーク精神病院は1876年に開設されたが、ペンタゴン(米国防総省の本庁舎)が1943年に完成するまでは、米国で最大の建物だった。1953年のピーク時には7,674人の患者が収容され、礼拝堂、教室、歯科医院および独自の診療所があったという。病院は2003年に閉鎖されたが、解体については反対運動が起きた。というのは中心から外に広がる、多数の翼を収容するバットウィング様式のフロアプランを共通に有する、カークブリド計画に基づいて建設された病院だったからである。フィラデルフィアの精神科医、トーマス・ストーリー・カークブリド博士によって19世紀半ばに提唱された精神的庇護制度のシステムである。この歴史的なカークブリドを含む資産は、2007年10月に州の会計に超過資産として引き渡される。そして2013年8月、州財務省の州当局者は、カークブリドの本館を破壊する計画を発表したのである。2013年11月、写真家フィリップ・ビューラーとガスリーの娘、ノラの共著『ウッディ・ガスリーのワーディ40:グレイストーンパーク州立病院再訪』が出版された。未公開の手紙や歴史的な家族写真、そして珍しいインタビューを通し、ガスリーがグレイストーンパーク精神病院で過ごした5年間を探った本である。タイトルは病棟40区(Ward 40)の患者だったため、ガスリーがワーディ40(Wardy Forty)と呼んだことに由来する。話が前後するが、ガスリーは1961年から1966年まで、ニューヨークのブルックリン州立病院に入院、そして1967年10月3日にクイーンズのクリードムーア精神病院で亡くなった。
Woody Guthrie's Wardy Forty: Greystone Park State Hospital Revisited by Phillip Buehler
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