2011年8月30日

風雪に輪郭が曖昧になり化粧された地蔵を考える

化粧地蔵 西徳寺(京都市北区平野桜木町) Fujifilm Finepix X100

お土居から出土した石仏(京都市上京区北町)

ふと思い立って近所の西徳寺に出かけた。市バスの「わら天神」停留所前にある金攫(きんかく)八幡宮の境内を横切り、狭い路地を西に進むと30体余りの石仏がある。寺院といっても唐破風(からはふ)がなかったら普通の民家と間違うだろう。鉄筋コンクリートの一階は庫裏で、二階が本堂になっているが、金色の阿弥陀如来像を拝ませてもらったことがある。さてこの石仏群だが、化粧を施されている。8月21日、地蔵盆で化粧直ししたらしく、ボスターカラーの色が鮮やかだ。なぜこれだけの石仏が集まっているのか、その理由を辿る資料はない。この辺りはかつての衣笠村で、田圃だらけだったという。この寺とわら天神(敷地神社)がぽつんとあったと聞いたことがる。もしかしたら明治の廃仏毀釈の際、あちこちの祠や路傍から避難したものかも知れない。地蔵に化粧を施す習慣は京都が発祥と言われ、遠く東北地方まで広まったようだ。風雪に輪郭が曖昧になったので「お化粧して上げましょう」という信仰心から始まったのだろう。その気持ちは十分理解できるが、いかに地蔵盆のイベントとはいえ、本来無彩色である石像に稚拙な顔を描くのはいかがなものか、という疑問も残らないわけではない。そういえば北野天満宮北門を出た道ばたにある石仏も化粧されている。お土居発掘の際に出土したもので、ある程度歴史的背景が分かっているようだ。石仏は信仰の対象であるが、歴史的文化財でもある。その点を再考すべきだと思うが、いかがであろう。

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