2011年9月30日

御土居の上に祀られた市五郎大明神

本殿 市五郎大明神社(京都市中京区西ノ京原町) Sony NEX-5 + Zoneplate

拝殿の石碑 市五郎大明神社 Sony NEX-5 + Zoneplate
京都市バスを西大路御池で降りて東に歩き、一筋目を北に折れてしばらく行くと鳥居が視界に入る。手前にふたつの石造、その奥は朱塗りの木製で、間隔が狭いので伏見稲荷大社の千本鳥居のように、参道がトンネルになっている。扁額に「正一位市五郎大明神」とある。参道を進むと、鬱蒼とした木々に囲まれてるせいだろう、辺りは一気に暗くなる。拝殿の片隅には三つの石碑があり、真ん中のそれにも大明神と刻まれている。石段の手前に「史跡御土居」の石標が建っている。要するに神社自体が御土居の上にあるのだ。岡崎に住んでいた北村利幾子という女性が、神託を受けて御土居の上に小祠を創建し「市五郎大明神」を祀ったという。明治23(1890)年のことである。ご存知、御土居は豊臣秀吉が洛中と洛外を分けるために造営したもので、軍事的防衛と洪水対策を目的としたものだ。現在九ケ所が国指定史跡に指定されているが、そのひとつであるこの御土居を市五郎大明が守ったと言えそうである。本殿から石段をさらに上ると、別の鳥居があり、扁額には「市五郎大明神」の両脇に「国司大明神」「三徳大明神」の名が見える。国を司り、三つの徳を積むという意味だろうか。そ参道入り口の石造の鳥居は昭和2(1927)年に建立寄進されたようだが、西陣織をはじめ、京都の染織業者の名が連なって刻まれている。この辺りは市内中心部からは西に外れたところで、洛中の西陣織や友禅染め生産者や販売業者が寄進したか不思議である。京都には膨大の両の歴史遺産が残されている。その断層を見つける探検は尽きることがない。それにしても市五郎とは何者なのだろうか。

2011年9月20日

お茶屋から逃げ出したくくり猿

勝恵美1995年 北野天満宮(京都市上京区馬喰町) NikonF4 Nikkor180mmF2.8 Fujifilm Provia100F

舞妓体験 八坂庚申堂(京都市東山区金園町)Fujiilm Finepix X100
安井金毘羅宮から東大路に出て、今度は八坂の塔の手前にある金剛寺に寄ってみることにした。朱色の門をくぐると、舞妓体験の観光客が記念撮影をしている最中だった。フェイク、要するにニセ舞妓で、ホンモノと間違えて写真を撮る人が多いそうだ。私は一目見れば、それがホンモノかどうかすぐ分かる。若いころから祇園、先斗町、上七軒とお茶屋を遊び歩いた体験があるからだろう。舞妓自前の地毛と鬘(かつら)は違うし、化粧、着物の着方、果ては歩き方まですべてが違う。それにイベントやコマーシャル撮影ならともかく、真昼間、舞妓が観光スポットで記念撮影というのは余りにも不自然だからだ。このような舞妓変身の商売が登場したのは、おそらく昭和の終わりごろに遡るのではないだろうか。祇園白川で撮影中の横でスタッフが「ホンモノではありません」という看板を手にしてしていた記憶がある。きっと花街から苦情が上ったのだろう。昨今はそのような看板は目にしない。さて一行が去るのを待って、境内を散策する。夥しい数の「くくり猿」が吊るされている。猿はしょせん動物だから、欲望のままに行動する。人間の心の中にひそむ欲望を抑える、手足を縛られて動けない姿はその象徴だという。お茶屋遊びから遠ざかった今の私は、欲望を抑えられたくくり猿なのかもしれない。それはともかく、病気平癒や縁結びなど、参拝者はさまざまな願いごと書いて吊るす。それをかなえてもらう秘訣は、欲望のひとつを我慢することだそうだ。寺は八坂庚申堂の通り名で親しまれている。庚申信仰と結びつくという「見ざる言わざる聞かざる」は、生きてゆくための知恵なのだろう。本堂入り口の前に三猿が陣取っている。

2011年9月15日

安住の地を見つけた紫野の石仏たち

釈迦如来坐像 大徳寺(京都市北区紫野大徳寺町) Fujifilm Finepix X100

千体地蔵塚
何度か京都の石仏について触れてきたが、これからも書くことになりそうだ。何回も書いていると、内容を重複させてしまう可能性があるが、それはそれとしてご勘弁願いたい。真如堂の本堂南側にコンクリートで固められた石仏の雛段があると紹介した。コンクリートといえば、壬生寺の「千体仏塔」がその最たるものだろう。ミャンマーのパゴダを模した塔で、千体の石仏が積み上げられている。小規模な石塔なら千本釈迦堂にもある。大徳寺の「千躰地藏塚」は真如堂のそれに似ているが、規模は倍以上はある。ふたつの雛段に小石仏がきちんと整列している。境内、そして無常の地、紫野に散在していたものが集められたのだろう。昭和40年9月23日建設と石柱にある。真ん中に線刻を施した石碑がある。仏教経典「地蔵菩薩本願功徳経」によると、悪業の報いによって迷いの世界へ落ちたものも、偉大な力によって救われるという。現在と未来の天人たちにこの教えを伝えなさい、と釈迦は地蔵に託した。経典のこの下りが彫ってある。蛇足ながら、このような仏教寺院や街なかの祠、あるいは路傍の小石仏を一般に「お地蔵さん」と呼ぶことが多い。しかし実際に見てみると、地蔵菩薩ではなく、阿弥陀如来が多い。中世の浄土信仰を反映したものだが、これを地蔵と呼ぶことにちょっぴり抵抗感があるので、私は単に石仏と書くことが多い。ひな段の裏側に回ると、ここにも何体かの石仏があった。未整理らしく、乱雑に置かれている。そのうちの顔がが半分欠けた中型の石仏に視線を奪われる。薬師如来かと思ったが、これは釈迦如来に違いない。右に阿弥陀如来像が並んでいる。行き場を失ってここに安置されたかもしれない。仲良く並んだその姿は、長い旅路の果て、安住の地を見つけて安堵してるようだ。

2011年9月11日

バイバイ原発9.11京都アクション

着ぐるみ 円山公園(京都市東山区円山町) Fujifilm Finepix X100

パレード 祇園石段下(京都市東山区四条通東山) Fujifilm Finepix X100

今日9月11日は東日本大震災からちょうど半年、そして米国の同時多発テロ10周年の日でもあります。未だ収束しない福島第一原発事故ですが、放射能汚染の拡散、そして事故データの後出しなど、様々な問題を抱えたままで、電力会社や政府への不信感は募るばかりです。全国各地で反原発の集会、デモが行われたようですが、京都でも「バイバイ原発9.11アクション」が開催され、円山公園には大勢の人々が集まりました。ミニ集会の後、京都市役所に向けて、四条通と河原町通をウォーク&パレードが行われました。ところで私はソーシャルネットワーキングシステムFacebookのグループ「脱原発への道」の世話人をしています。原発に頼らない社会はどうやって築くのか、様々な情報を共有しながら考えるために創設したものです。アカウントをお持ちのかたは是非左上のリンクボタンをクリックしてご参加ください。