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千体地蔵塚 |
何度か京都の石仏について触れてきたが、これからも書くことになりそうだ。何回も書いていると、内容を重複させてしまう可能性があるが、それはそれとしてご勘弁願いたい。真如堂の本堂南側にコンクリートで固められた
石仏の雛段があると紹介した。コンクリートといえば、壬生寺の「千体仏塔」がその最たるものだろう。ミャンマーのパゴダを模した塔で、千体の石仏が積み上げられている。小規模な石塔なら千本釈迦堂にもある。大徳寺の「千躰地藏塚」は真如堂のそれに似ているが、規模は倍以上はある。ふたつの雛段に小石仏がきちんと整列している。境内、そして無常の地、紫野に散在していたものが集められたのだろう。昭和40年9月23日建設と石柱にある。真ん中に線刻を施した石碑がある。仏教経典「地蔵菩薩本願功徳経」によると、悪業の報いによって迷いの世界へ落ちたものも、偉大な力によって救われるという。現在と未来の天人たちにこの教えを伝えなさい、と釈迦は地蔵に託した。経典のこの下りが彫ってある。蛇足ながら、このような仏教寺院や街なかの祠、あるいは路傍の小石仏を一般に「お地蔵さん」と呼ぶことが多い。しかし実際に見てみると、地蔵菩薩ではなく、阿弥陀如来が多い。中世の浄土信仰を反映したものだが、これを地蔵と呼ぶことにちょっぴり抵抗感があるので、私は単に石仏と書くことが多い。ひな段の裏側に回ると、ここにも何体かの石仏があった。未整理らしく、乱雑に置かれている。そのうちの顔がが半分欠けた中型の石仏に視線を奪われる。薬師如来かと思ったが、これは釈迦如来に違いない。右に阿弥陀如来像が並んでいる。行き場を失ってここに安置されたかもしれない。仲良く並んだその姿は、長い旅路の果て、安住の地を見つけて安堵してるようだ。
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