2022年6月20日

米国郵便公社がピート・シーガーの切手を発行

For Pete's Sake
Newport Folk Presents For Pete's Sake
New Pete Seeger Stamp

ニューポート・フォーク・フェスティバルは米国郵便公社と提携、7月21日午後8時から「For Pete's Sake」を開催すると発表した。会場は名女優ジェーン・ピケンズ(1907–1992)にちなんで改名された映画館で、ピート・シーガー(1919–2014)の写真をあしらった切手発売を記念して開催される。シーガーは2014年1月に94歳で死去した。シーガーは、社会活動家として、またダッチェス南部のコミュニティの活動家としてよく知られているが、米国郵便公社は彼自身の切手でその栄誉を称えることにしたのである。7月21日にデビューする彼の切手は「音楽アイコン」シリーズの第10弾で、息子のダン・シーガーが1960年代初頭に撮影した、バンジョーを演奏する写真が使用されている。音楽アイコンシリーズにはリディア・メンドーサ(1916–2007)ジョニー・キャッシュ(1932–2003)レイ・チャールズ(1930–2004)ジミ・ヘンドリックス(1942–1970)ジャニス・ジョプリン(1943–1970)エルビス・プレスリー(1935–1977)サラ・ヴォーン(1924–1990)ジョン・レノン(1940–1980)マーヴィン・ゲイ(1939–1984)などが登場した。 ところでご覧のように、切手には Forever とあるだけで、金額が書いていない。実は価格は変動制で現在は58セント、これが近い将来59セントになってもこの切手を使える仕組みになっている。現在の日本郵便の定形封書の25グラム以内は84円である。もし85円に値上げになったら、新たにデザインした85円の切手を作ることになる。このような無駄が米国郵便公社の Foreever 切手にはない。文字通り合理的な「永久切手」である。

USPSUnited States Postal Service Reveals New Pete Seeger Stamp for 2022 | That Eric Alper

2022年6月18日

ウクライナの風刺漫画家ウラジーミル・カザネフスキーの作品

Putin and Death 2022
Putin and Death 2022
The terrorism and refugees
The terrorism and refugees 2020
Free child and the war
Free child and the war 2019
Crowd and question
The Crowd and question 2018
Road to Communism
The Road to Communism 2017

ウラジーミル・カザネフスキーは1950年、ウクライナのレベディンに生まれる。1973年、ハリコフ国立大学宇宙放射物理学専攻卒業。また、キーウ・インスティテュート・オブ・ジャーナリズム・スキルを卒業し、プレスアーティストとなる。現在、彼はフリーランスの風刺漫画家、作家として活動している。カザネフスキーの作品は世界中で展示され、53カ国で開催された国際風刺画コンテストで、500以上の賞を受賞している。彼の風刺画は世界の多くの新聞や雑誌に掲載されている。自身の風刺漫画集「頭」「老いたキューピッドの黙示録」「ホモ・ギバー」「首」「ウラジーミル・カザネフスキー」はスイス、ベルギー、ウクライナで出版された。ロシア軍の侵攻により、スロバキアに逃れたが、プーチン大統領を題材にした風刺漫画を描き続けている。

cartoon movement  Vladimir Kazanevsky | A global platform for editorial cartoons and comics journalism

2022年6月12日

肖像写真で社会の断面を浮き彫りにしたドキュメント写真家アウグスト・ザンダー

Circus Artists
Circus Artists, Cologne, Germany, 1926
August Sander

アウグスト・ザンダーは、20世紀初頭のドイツの肖像写真を著しく、かつ見事に撮影した人物および記録写真家だった。世界大戦のさなか、このような被写体に取り組むことは、ザンダーにとって勇気のいることであった。ドイツのラインラント=プファルツ州アルテンキルヒェン郡ヘルドルフで、1876年11月17日に生まれた。サンダーは最初は父親と同じ鉱山労働の仕事をしていた。その頃、鉱山会社で働きながら写真家として活躍している人がいた。ザンダーが写真に出会ったのは、この人がきっかけだった。叔父の経済的援助を得て暗室を建設し、写真用の機材を購入した。1897年から1899年まで、写真家のアシスタントとして働く。兵役を終えた後、ドイツ国内を旅しながら工業写真や建築写真を撮影した。1901年、リンツにあるオーストリア人の写真スタジオで働き始める。ザンダーはやがてパートナーのひとりとなり、1904年にはスタジオの個人事業主となった。同年、パリ万国博覧会で名誉十字勲章と金メダルを授与される。この頃、写真に色を使う実験をしており、この作品はライプツィヒ美術館に収蔵された。最初の個展は1906年、リンツのランドハウス・パビリオンで開催された。その3年後、ケルンに新しい写真館を設立した。

Young Farmers
Three Young Farmers, Westerwald, 1914

1911年からポートレートシリーズ「20世紀の人々」の制作を開始した。第一次世界大戦中はドイツ軍に所属し、写真家としての活動を続ける。1919年には、学生や弟子を指導するようになる。1920年代初頭、人々と時代の社会構造を写真で記録することを概念とした芸術家集団「ケルン・プログレッシブ」と接触する。1927年には地中海のサルデーニャ島を3ヵ月間旅行し、風景や人物など約500枚を撮影した。1929年、サンダーは「時代の顔」と題する写真集を出版した。この写真集には、彼の初期のシリーズからのポートレートが含まれている。ドイツの小説家アルフレート・デーブリーン(1878–1957)はこの写真集を「顔、写真、その真実について」というエッセイで紹介している。しかしアドルフ・ヒトラー(1889–1945)支配下のナチス政権が、ザンダーの私生活や仕事に課した制約のため、写真集「時代の顔」は押収され、写真版も破壊されてしまった。

Forester's Child
Forester's Child, Westerwald, 1931

社会主義労働者党に所属していた息子のエリックは拘束され、10年に及ぶ投獄生活の中、1944年に獄死してしまう。同年、ザンダーのスタジオは爆撃により被害を受けた。1935年、息子が刑務所にいる間、ライン川沿岸一帯、ラインラントの風景画のシリーズを制作し始めた。1942年、ケルンからヴェスターヴァルト地方の小さな村クフハウゼンに移り住んだ。この転居により、彼は自分の作品のネガをいくつか救出することができた。彼のケルンのスタジオは1944年の爆撃で破壊されたが、彼が市内の以前のアパートの近くの地下室に残した何万ものネガが戦争を生き延びた。その後、この地下室の25,000から30,000のネガが、1946年の火災で破壊された。第二次世界大戦がまだ続いていた頃、彼は戦争で死んだり、行方不明になった男性の戦前の写真をプリントし、家族に贈った。このような混乱の中でも、彼は作品を発表し続けたのである。

Country Lads
Country Lads, Westerwald, 1912

1947年、ニューヨーク近代美術館の写真ディレクター、エドワード・スタイケン(1879–1973)が開催した写真展「ファミリー・オブ・マン」に彼の写真が多数選ばれる。1953年、サンダーは1920年から1939年の間に撮影された408点のケルンの写真をケルン市立博物館に売却した。これらは1988年に「ありのままのケルン」というタイトルで、死後書籍として出版されることになる。戦後はケルンに戻り、1946年に写真展を開催した。1960年、ドイツ連邦共和国から功労勲章を授与される。1964年4月20日、ザンダーは脳卒中でケルンで死去、87歳だった。遺体はケルンのメラーテン墓地に息子のエーリッヒと一緒に埋葬された。なお、2002年にアウグスト・サンダー・アーカイブと研究者のスザンネ・ラングが、サンダーの写真619点からなる、全7巻の写真集『アウグスト・サンダー:20世紀の人々』を刊行した。

MoMA  August Sander (1876–1964) | Works, Exhibitions, Publications | Museum of Modern Art

2022年6月10日

キバナコスモスに似た厄介者オオキンケイギク

オオキンケイギク
オオキンケイギク(京都市上京区妙顕寺前町)
オオキンケイギクは葉が裂けていない

滋賀県長浜市の病院に入院中の友人を見舞ったついでに、近くの川の土手を散歩したら、コスモスに似た黄色い花が咲き乱れていた。そういえばたまたま通りかかった、京都市上京区の裏千家今日庵の近くの路地にも同じ花が咲いていた。植物に関しては誠に浅学であるが、てっきりキバナコスモス(黄花コスモス)だと思いこんでいた。ところがひょっとしたらオオキンケイギク(大金鶏菊)じゃないかと思い始めた。オオキンケイギクはキバナコスモスとそっくりだが、ウィキペディアによると、葉の形が異なるという。前者が羽状深裂に似た形であるのに対し、狭倒披針形だというのだ。よく見ると葉は羽根状に深く裂けていない。葉の幅が葉先近くで幅が広いので狭倒披針形である。ということでオオキンケイギクであることに間違いはなさそうだ。ところでこの花は明治時代に鑑賞目的で導入されたが、繁殖力が強く在来種に悪影響を与える恐れがあるという。そこで「特定外来生物」として第二次指定で追加登録されており、持ち出しや栽培は禁止されているという。なるほど、それゆえに土手や空き地に咲いているのだろう。見た目は綺麗でも、嫌われものなのだ。

PDF  なぜオオキンケイギクが「特定外来生物」に指定されたのか? (PDFファイル 601KB)| 環境省