2016年12月20日
2016年12月17日
プーチン大統領に翻弄され稚拙さが浮かび上がった安倍外交
ウラジーミル・プーチン大統領(フリー壁紙)
新聞および通信各社の電子版によると、山口県長門市および東京で開催された日露首脳会談の結果を受け、自民党の二階俊博幹事長が16日、記者団に「国民の大半はがっかりしているということを心に刻んでおく必要がある」と述べたという。これはロシアに対する外交交渉が失敗に終わったことを認めた発言だろう。今年9月2日にウラジオストクで開催された日露首脳会談の直後、安倍首相が「新しいアプローチに基づく領土交渉に道筋が見えてきた。その手応えを強く感じ取ることができた会談だった」と力説した。そして長門市で首脳会談を行うことで合意したわけだが、確かにあの時点では領土問題が進展すると思った人は多かったかもしれない。ところが来日が近づくにつれて、首相の発言が「そう簡単な課題ではない。一歩一歩、山を越えていく必要がある」とトーンダウン、期待感は一気にしぼんでしまった。プーチン大統領は「南クリル諸島(北方四島)はロシアの主権下にある」という主張を堅持している。1956年10月、日ソ共同宣言が署名され、国後、択捉両島についての記載は無いが、平和条約締結後に歯舞群島と色丹島の二島が日本に引き渡されることになった。ところが来日直前の読売新聞のインタビューに対して「ロシアには、領土問題はまったくないと思っている。ロシアとの間に領土問題があると考えているのは日本だ」と断言している。今回の首脳会談でもプーチン大統領は同じ主張を繰り返したようだ。四島はおろか二島すら還って来ない可能性を示唆している。プーチン氏が大統領の座にいる限り、領土問題は動かないし、ロシアが将来に渡って方針を変更することは微塵もない。ロシアの法律だけに基づいて実施される「共同経済活動」というおまけまで付いた北方領土返還交渉は、進展どころかむしろ大きく後退したと断言しても良いだろう。一般論としてどこの国でも領土問題で譲歩することはない。それが世界に共通する伝統的な思考法である。あわよくば領土問題が大きく前進、自分の人気取りになるという浅はかな目論みと野望を抱いて、プーチン大統領に擦り寄った。それを大統領に見透かされ、首脳会談で翻弄された。安倍首相の外交政策の稚拙さだけが再び浮かび上がった。
2016年12月15日
垂直離着陸機 MV-22 オスプレイは欠陥航空機
![]() |
| MV-22オスプレイのプロペラ |
2016年12月11日
ノーベル文学賞 2016 ボブ・ディランのスピーチ日本語訳
今年のノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの受賞スピーチが昨10日夜、スウェーデンの首都ストックホルム市庁舎で行われた晩餐会で披露された。ディランは式典を欠席したため、スウェーデン駐在アジータ・ラジ米国大使が代読した。(原文はこちら)
こんばんは、皆様。スウェーデン・アカデミーの会員の皆様、今夜出席されているその他の名高い招待客の皆様、心からのごあいさつを申し上げます。
皆様とともに出席することができず、申し訳ありません。しかし、気持ちの中では間違いなく皆様と共にあること、そして、このような名誉ある賞を受賞することを光栄に思っていることをどうか分かってください。ノーベル文学賞を受賞することは、想像すらできなかった、予想できなかったことです。若い頃から、キプリング、ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、ヘミングウェーといった卓越した偉大な人々の作品に慣れ親しみ、読み、吸収してきました。学校で教えられ、世界中の図書館に収められ、敬意を込めた口調で話題にされる作品を書いた、これら文学の巨匠たちにいつも深い感銘を受けてきました。それらの名前に自らが今、列せられることは本当に言語に絶することです。
これらの男女が、自分自身がノーベル賞の名誉を授かることについて考えたかどうかは私には分かりませんが、本、もしくは詩、戯曲を書いたことがある世界中の誰もが、深い心の奥にその秘密の夢を抱いていると思います。おそらく、あまりにも深い部分にしまい込まれているため、そこにあることにすら気づかないのです。もしも誰かが私に、ノーベル賞受賞のわずかなチャンスがあるとこれまでに言っていたとしたら、月面に立っているのと同じくらいの確率だと考えなければならなかったでしょう。事実、私が生まれた年とその後の数年間、この賞を受賞するのに十分ふさわしいと考えられる人はこの世界に誰もいませんでした。だから控えめに言って、私はとても珍しい集団の中にいると認識しています。
ログイン前の続きこの驚くような知らせを受けたとき、私はツアー中で、しっかり理解するのに数分以上かかりました。私は偉大な文学者、シェークスピアが頭に浮かびました。彼はきっと自分のことを劇作家だと思っていたでしょう。自分が文学を書いているなんて考えは、きっと頭になかった。彼の言葉は舞台のために書かれていたのです。話されるべきものであり、読まれるものべきではなかった。彼が「ハムレット」を書いていたとき、いろいろなことを考えていたはずです。「どの俳優がこの役柄にふさわしいだろうか?」「どう演出しよう?」「本当に舞台はデンマークでいいのか?」。彼の創造的なビジョンと志は、疑いようもなく彼の考えの中心にあったと思いますが、もっと考えなくてはいけない世俗的な事柄もあったでしょう。「資金繰りはうまくいくだろうか?」「パトロンに十分な座席があろうか?」「どこで人の頭蓋骨(ずがいこつ)を手に入れよう?」。シェークスピアの考えで一番遠くにある問いは「これは文学だろうか?」だったに違いありません。
10代で歌を書き始めた時、そして自分の才能がいくらかの名声を得始めた時でさえも、私の歌に対する向上心は大してありませんでした。コーヒーハウスやバーで流れればよかった。その後は(米ニューヨークの著名コンサートホールの)カーネギーホールやロンドン・パラディウム劇場で、と思いましたが。もし大きな夢を抱いていたなら、たぶん私はレコードをたくさんつくって、ラジオで曲が流れることを想像したでしょう。自分の中でそれは大きなご褒美でした。レコードをつくってラジオで流すということは、より多くの聴衆に届くということで、そうすれば自分がやると決心したことを続けられるのです。
まあ、今の自分はやると決心したことをやってきました。何十枚ものレコードをつくったし、世界中で何千回ものコンサートを開きました。でも、私がやることのほとんどすべての重要な中心は歌です。多くの異なる文化の、多くの人々の生活に受け入れられたようで、ありがたいことだと思っています。でも一つだけ言わなくてはいけないことがあります。パフォーマーとして私は5万人のためにも、50人のためにも演奏してきました。そして本当は50人のために歌うことの方が難しいのです。5万人は一つの人格を持ちますが、50人は違います。それぞれの人が個々の、異なるアイデンティティー、彼ら自身の世界を持っています。彼らは物事をよりはっきりと受け止められます。誠実さと、それが才能の深さにどう関係があるかが試されます。ノーベル委員会がとても小規模なものであるという事実は私には気になりません。
でも、シェークスピアのように、私もまた自分の創作の努力や生活の中の世俗的なことがらに忙しいことがしょっちゅうです。「この歌にもっともふさわしいミュージシャンは?」「このスタジオで録音していいのか?」「この曲調は正しいか?」。400年たっても、いくつかの事柄は変わっていないのです。
私は「自分の歌は文学だろうか」と自問したことは一度もありません。
ですから、スウェーデン・アカデミーには、まさにその問いを時間をとって考えてくれたこと、そして最終的には、このようなすばらしい答えを出してくれたことに感謝しています。
みなさんのご多幸をお祈りしています。
ボブ・ディラン
ノーベル文学賞授賞式でボブ・ディランの「はげしい雨が降る」を歌うパティ・スミス
登録:
投稿 (Atom)




