2012年6月15日

映画 『シェーナウの想い』上映会&講演会


~人口2500人の小さな村が、世界を変えた~

日時:6月23日(土) 14時~16時(13時半開場)
場所:ひと・まち交流館 京都 大会議室(2F)
参加費:500円(中学生以下無料)託児有り(3歳~就学前まで)/無料・要予約
場所:ひと・まち交流館 京都 大会議室(2F)
申込み・問合せ:TEL/070-5650-3468(内富) E-Mail/midori.no.kyoto@gmail.com
主催:「シェーナウの想い」上映会&講演会実行委員会
協賛:京都・水と緑をまもる連絡会、市民環境研究所、使い捨て時代を考える会、「緑」の京都・準備会

1986年、チェルノブイリ原子力発電所で大事故が発生。「外で子どもを遊ばせてもいいの?牛乳は?庭の野菜は…?」南ドイツ小さな村・シェーナウでも、不安を抱いた10人の母親が「原子力のない未来を求める親の会」を結成。自宅や公民館での勉強会、チェルノブイリの子どもたちへの支援、村中を巻き込んでの節電キャンペーンなどに、懸命に取り組んだ。しかし、村は原子力を推進する独占電力会社との契約更新を決定。スラーデクさんたちは、原子力も石炭も使わない、再生可能エネルギー中心の電力会社設立を決意。独占電力会社から、数億円の送電網を買い取ろうと立ち上がった―。シェーナウの町で数人の母親たちがはじめた、ささやかな活動。しかし、「子どもたちを守りたい」という強い想いは、巨大な独占電力会社を打ち破って、「原発も化石燃料も使わない」電力会社を実現した。人口2500人の小さな村が、ドイツを、そして世界を変えた希望のドキュメンタリー映画。

講演:朴勝俊(関西学院大学准教授)『シェーナウの想い』に寄せて
ドイツ・市民主体の政治が選んだ社会とは?脱原発を実現するための切り札「節電所」とは?日本でもドイツのように脱原発は可能なのか…? ドイツと日本について、異なる点と共通する点を示しながら、分かりやすく解説!

<講師紹介>神戸大学博士課程修了。在学中にドイツに留学し環境政策について学ぶ。01年、へニッケ&ザイフリートの著書を翻訳、『ネガワット』として出版(ネガワット=節電所)。02年より京都産業大学講師、05年より同大学准教授。03年、国内で唯一、原発に批判的な立場から原発事故に伴う被害額の試算を発表。大きな議論を巻き起こした。2011年より関西学院大学准教授。ドイツ語をはじめ5カ国語に堪能。特技は落語で、京橋花月に出演経験あり。

2012年6月12日

ライカが黒白専用のデジタルカメラを発売するそうだが


ライカが黒白専用デジタルカメラ「ライカMモノクローム」を8月に発売するという。カラーからモノクロに変換できるのに何故という疑問を持ったが、デジカメWatchに掲載された「ライカ開発責任者に聞く」を読んでその謎は直ぐに解けた。製品開発のきっかけは「カラーフィルターを外したら高い解像度が得られる」という技術者からの提案だったという。通常のカラーフィルターを持つセンサーのようにRGBの3色から演算を行なう必要がないため、各ピクセルからダイレクトな情報を得られてそれが解像感の向上に繋がるそうだ。なるほど。今は新しいデジタルカメラに食指を伸ばす気持ちはないのだが、デジタルカメラのシャープネスに若干の疑問を持ってるので、この点は大いに気になる。それにしても本体84万円、同時発売のアポ・ズミクロンM f2.0/50mmASPH.は69万3,000円也、食指どころか、初めから手の出しようがない。懐にこの金額の余裕があるなら、むしろ銀塩フィルム式ライカを買う、と思うのは私だけだろか。M型ライカはM7で終わったのではないだろうか? 大きなお世話と言われそうだが、M8以降はニコンのようにD1、D2と名付けるべきだったという感想を持っている。

Fujifilm X-Pro1
ところでデジタルカメラの内部フィルターと言えばローパスフィルターを思い出す。モアレ現象を防ぐためのものだが、要するに細かい模様をボカすためにある。わざとボカすわけで、これはデジタルカメラの最大の欠点と言えるだろう。ところが富士フイルムのX-Pro1にはこれがないのである。銀塩フィルムで撮った写真ではモアレ現象が生じないが、これは銀粒子の配置がランダムであるからである。一般的なセンサーで使用されているカラーフィルターはベイヤー配列で規則的に並んでいるが、銀塩フィルムの例をヒントに生まれたのが新しい配列 X-Trans CMOS だという。ローパスフィルターがなければ当然シャープネスが向上するはずである。X-Pro1はX-100の後継機でレンズ交換ができるが、私には特に必要ない機能だ。X-100のシルバーボディが気に入ってるし、黒いボディが好きになれそうもない。ただX-100にこの新しいセンサーを付けてくれれば、あるいはシルバーのX-Pro1が出れば、たぶんグラっと気持ちが傾くに違いない。メーカーとしてはそれなりの理由があるだろうけど、ユーザーとしてはこの辺りはちょっぴり悔しい。

2012年6月5日

古写真でFacebookページに特色を持たせる試み


先月末「アメリカンルーツ音楽のFacebookページを作ってしまった」という一文を寄せたが「私はナッシュヴィルに住んでいるが、いつからこの音楽に?」といった内容のコメントをいただいた。テネシー州ナッシュヴィルはカントリー音楽のメッカ、毎週土曜日に放送される「グランド・オール・オプリー(The Grand Ole Opry)」で知られている町である。本場の人にとって私は奇異な存在かも知れないが、逆に日本文化、例えば大相撲のサイトを作っているアメリカ人もいるから、別段不思議とは思っていない。ドク・ワトソンの死に関しては、アメリカのニュースサイトや音楽関係サイトを検索しまくり投稿したりした。ただ同類のページもたくさんあり、それこそ本場のミュージッシャンなどが作ってるページには太刀打ちできないので、一計を案じた。写真である。それも古い写真である。上掲の写真がその一例だが、これは1890年ごろ、ヘンリー・モーザーと思われる男がバンジョーを手にラバに乗っているティンタイプ写真である。音楽のルーツ探検は音源を捜すことも大事だが、このような視覚的資料も重要であることは言うまでもない。少しずつ蒐集して掲載して行こうと思っている。

2012年6月3日

ドク・ワトソンの死


ドク・ワトソンが先月29日、米ノースカロライナ州の病院で死去した。すぐに当ブログに書くつもりだったが、新設したばかりのFacebookページ「アメリカンルーツ音楽」に投稿したりして忙しく、今日まで延び延びになってしまった。ドク・ワトソンは1923年生まれで、幼児に失明した。音楽一家に生まれたが、格好の先生はラジオとレコードで、ヒルビリーを聴いて育った。フラットピックを使った速弾きで知られているが、これは彼が聴き親しんだデルモア・ブラザーズ(左: Brown's Ferry Blues)の影響を少なからず受けていると想像する。スリーフィンガー奏法は、息子にマールと名付けたことで分かるように、マール・トラヴィスの影響を受けている。ドクが広く世間に知られるようになったのは、1950年代末から60年代初頭に開催された、ニューポートのフォークフェスティバルでクラレンス・トム・アシュレイと共演したことに始まる。ふたりを引き合わせたのはニューヨークのブルーグラスバンド、グリーンブライア・ボーイズのラルフ・リンズラーだった。同フェスティヴァルはアメリカのフォークリバイバル運動に呼応して始まったものだが、都会の青年がノースカロライナ育ちのドクを新しい音楽シーンに誘い込んだのである。ブルーグラスは単に商業音楽の一ジャンルではなく、アメリカンルーツ音楽に深く根ざしてる。当然のことのようにドクはブルーグラス音楽の世界に踏み入れ、ビル・モンローやアール・スクラッグスなどと共演するようになった。彼のギター奏法はブルーグラスギタリストに、言葉では言い尽くせないほどの強い啓示を与えたといえる。自宅で倒れ入院、腹部の手術を受けたが、帰らぬ人となった。89歳だった。葬儀は生まれ故郷ディープキャップのロウレル・スプリング・バプティスト教会で現地時間6月3日の午後3時に行われるという。