映画『俺たちに明日はない』(原題:Bonnie and Clyde)は実在した人物をモデルにしている。1930年代の世界恐慌下の米国で、ギャング団を率いて銀行強盗や殺人を繰り返した実在の犯罪者カップルである。彼らが射殺された3日後の1934年5月26日、ダラスの2つの葬儀場には、有名なアウトロー、クライド・バロウとボニー・パーカーの最後の姿を一目見ようと、大勢の見物人が押し寄せた。2年以上にわたり、彼らの禁断のロマンスと、死体の山を残した凶悪な犯罪行為は、国中を魅了していた。彼らの死後、数十本の映画、ドキュメンタリー、テレビシリーズが制作され、ボニーとクライドの生と死を美化してきた。1930年代、米国は大恐慌による未曾有の経済破綻に沈んでいた。株式市場の崩壊によって全国の銀行が連鎖的に破綻し、人々は一夜にして職を失い、住まいを追われ、飢えと寒さに耐える日々を送っていた。そんな混乱の最中に、一種の「反社会的ヒーロー」として人々の視線を集めたのが若きボニーとクライドだった。彼らは貧困と抑圧の中から立ち上がったように見える存在として、一部の層には共感や憧れさえも呼び起こしたのだった。ボニー・パーカーは1910年、テキサス州の貧しい家庭に生まれた。父親を幼くして亡くし、母と共にダラス郊外のバラキュー地区で育った。少女時代から詩や演劇に親しみ、文学やロマンに憧れる一方で、現実の生活は厳しく、やがて地元の高校を中退してウエイトレスとして働き始める。貧困と将来への閉塞感が、彼女の内に眠っていた反骨心を少しずつ育てていった。クライド・バロウは1909年、テキサス州のファーマーズ・ブランチで生まれた。
家族は農業で生計を立てていたが、やがて都市部へ流れ込み、質素なバラック小屋で暮らす生活に。音楽を愛し、サクソフォンを吹く夢想的な一面を持ちながらも、貧困と差別の現実は彼を犯罪の世界へと誘っていく。少年期から万引きや車泥棒で警察の世話になるようになり、短期間とはいえ刑務所での経験も彼の精神を蝕んでいった。全く違う背景を持つ2人は、1930年、共通の知人を通じてダラスで出会う。最初の出会いから瞬く間に心を通わせた2人は、互いの中に自分にはない何かを見出していた。ボニーはクライドの危うさと情熱に惹かれ、クライドはボニーの知性と純粋さに慰められた。それからの生活は、法と秩序を嘲笑うように、ひたすら逃亡と犯行を重ねながら、非現実的なドラマのような日々を駆け抜けるものとなった。農村部では干ばつによるダストボウル現象も重なり、家を失う者が続出。街には日雇い労働を求めて彷徨う男たちと、パンの列に並ぶ母子の姿が溢れていた。政府も金融機関もすでに信頼を失い、暴動やストライキが頻発する混沌の時代。そのような絶望の中で「銀行」や「資産家」を標的にする無法者たちは、既存の権威に楯突く存在として一部の大衆からは喝采を浴びた。ラジオや新聞は、そんな無頼のヒーローたちの逃走劇を連日報道し、国民の注目は逃亡者の一挙手一投足に集まった。彼らはただの犯罪者ではなく、安定や秩序の名のもとに抑圧された現実を憎み、「街々を、安定を縁結んだ社会を」吐き捨て、破壊を伴ってでも自分たちの道を切り開こうとした。ボニーは日記に詩を書き、クライドは盗難車で州境を越えて逃げ続けた。
2人は貧困層に対する象徴的な「解放者」として自らを演出し、時にパンを配り、時に武器を握った。彼らの物語は、痛みの時代に生きる国民の分身であり、現実逃避のファンタジーでもあった。ボニーとクライドの仲間として加わった「バロウ・ギャング」は、米国南部および中西部の広範囲にわたって凶悪な犯行を繰り返した。標的となったのは銀行だけでなく、小さなガソリン・スタンドや町の商店、ホテルなど多岐に渡り、時には警察署への襲撃も行われた。中でもオクラホマ州やミズーリ州などでは複数の死傷者を出す事件が相次ぎ、地域社会に大きな恐怖を与えた。彼らの行動は周到に計画されており、盗難車を次々に乗り換えながら州境を越えて逃亡を続け、州警察の管轄をまたぐことで追跡を困難にした。写真好きなボニーは、犯行後に仲間と並んでポーズを取る写真を残し、それが新聞に掲載されることで一部の大衆からはセンセーショナルな人気を集めた。しかし次第にその支持は薄れていく。彼らの犯罪は単なる略奪や復讐にとどまらず、警官や通行人など無関係な一般人をも巻き込んでいったため、当初あった「民衆の代弁者」としてのイメージは崩れていく。特に1933年のジョプリン事件では、パトロール隊員2名を射殺し、決定的に世論の風向きを変えることとなった。彼らの存在はロマンと暴力の入り混じった現象として注目されたが、もはやその暴力性が社会に与える影響を無視できなくなった頃、ボニーとクライドは「反体制の象徴」から「凶悪犯」へと転落していったのである。1934年5月23日、ルイジアナ州ビエンビル郡のホワイト・エーカラインと呼ばれる田道で、ついに運命の日が訪れた。
ボニーとクライドは、数週間前から彼らを執拗に追跡していたテキサス州警察およびルイジアナ州保安官チームによる綿密に計画された待ち伏せ作戦の標的となってしまった。彼らの位置情報は、元仲間の裏切りによってもたらされたとされている。午前9時過ぎ、2人が現れた瞬間、6人の武装した法執行官は隠れていた茂みから姿を現し、一斉に銃撃を開始した。数秒間で150発以上の銃弾が、彼らの乗っていたフォードV8セダンに100発以上撃ち込まれた。逃げ場のない車内で、ボニーとクライドはなすすべもなく命を落とした。目撃証言によれば、ボニーは当時まだクライドの肩にもたれかかっており、2人は最後の瞬間まで離れずにいたという。銃撃後、現場に駆け付けた群衆は、穴だらけの車に驚きながらも、写真を撮ったり、車から記念品を持ち帰ろうとする騒ぎを起こした。こうして、米国史に名を刻んだ伝説の犯罪カップルは、突如としてその劇的な終幕を迎えた。だが彼らの死は、単なる終わりではなく、メディアと大衆によって語り継がれる神話の始まりでもあった。ボニーとクライドは、ただの犯罪者にとどまらず、1930年代という激動の時代における痛み、貧困、そして社会的不平等を体現した象徴的存在となった。下記リンク先の動画は「ボニーとクライドについて、ほとんどの人が知らない13の事実 | アメリカ・オールドウェストの豆知識」 (21:33)です。
13 Facts Most People Never Knew About Bonnie And Clyde | American Old West Facts



0 件のコメント:
コメントを投稿