2024年9月5日

家族の歌を忘れられないようにすることを生涯の使命としたキャリー・グローヴァー

Carrie Grover
Carrie Grover sits on porch steps, poised to play the fiddle, Bethel, Maine, 1942

キャリー・グローヴァー (1879-1959) は、カナダのノヴァスコシア州ブラックリヴァーでキャリー・スピニーとして生まれた。12歳のときにアメリカのメイン州ベセルに引っ越した。グローヴァーにはアイルランド、スコットランド、イングランド、ウェールズの血を引く先祖がいた。彼女の父と母はともに歌手で、伝統的な歌を別々に、あるいは一緒に歌っていた。後年、幼少期に起こったある出来事を思い出し、それが彼女に長く影響を与えることになる。それは、父親が母親に、自分たちが亡くなったら誰も昔の家族の歌を歌わなくなるだろうと言っているのを耳にしたことだった。これがきっかけで、できる限り多くの歌を覚え、また他の人に伝えられるよう、歌の歌詞をに書き留めた。父親が歌った歌のひとつに「アーサー・マクブライド」がある。これは、19世紀初頭にアイルランド北部、おそらくドニゴールで作曲されたと学者たちが推定したいるバラードある。若いアイルランド人が英国軍に徴兵しようとする徴兵隊に抵抗する物語である。つまりこれは英国帝国主義に対するアイルランド人の抵抗の歌である。グローヴァーは、叔母 (父親の妹) もこの歌を歌っていたと信じていたので、おそらく、フォークソングのレパートリーが豊富な歌手だった祖母から学んだのだろう。1940年12月、アメリカ議会図書館の民俗学者アラン・ロマックスのラジオ放送を聞いたグローヴァーは、彼に手紙を書き、自己紹介と家族の歌について伝えた。ふたりの文通は少なくともロマックスが議会図書館を去るまで続いた。

Bob Dylan – Good As I Been To You

彼女の強い要望で、当時26歳のアラン・ロマックスはグローヴァーを「キャリーおばさん」と呼んだ。1941年4月、姪を訪ねてヴァージニア州とワシントン D.C.を旅し、その後ニュージャージー州に息子を訪ねた。この旅の間、議会図書館の録音室でロマックスに、姪と息子の家でシドニー・ロバートソン・カウエルに録音され、フォークソング・アーカイブに88曲の歌とフィドルの曲が寄贈された。彼女の歌は後にエロイーズ・ハバード・リンスコットによって録音され、写真も撮られ、その資料もエロイーズ・ハバード・リンスコット・コレクションの一部として図書館に収蔵された。1941年4月に議会図書館でアラン・ロマックスの前で「アーサー・マクブライド」を歌った。旅の後も、彼女は自分自身と家族の歌を擁護し続けた。母校であるメイン州のグールド・アカデミーの協力を得て、グローヴァーは1953年に歌の多くを歌詞と曲にまとめた本 "A Heritage of Songs"(歌の遺産)を出版した。1970年代、アイルランドのフォークシンガー、ポール・ブレイディは、アメリカ人の友人を訪ねた際にこの本を目にした。この歌がアイルランドと関連していることに気づいたブレイディは1976年に「アーサー・マクブライド」を録音、アイルランドフォークリバイバルの名曲となった。この歌は、ボブ・ディランの CD アルバム「グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー」でカバーされた。下記リンク先はアメリカ議会図書館のアメリカフォークライフセンターの民俗学者スティーブン・ウィニックによるブログ記事「ポール・ブレイディ、キャリー・グローヴァー、ボブ・ディランと "アーサー・マクブライド"」である。

Library of Congress  Paul Brady, Carrie Grover, Bob Dylan, and "Arthur McBride" | Posted by Stephen Winick

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