イリノイ州の片田舎、小さな町、グリーンタウンの1928年の夏が始まった。12歳の少年ダグラスと弟のトムは、おじいさんに訊く。「みんな用意はいいの? もういいの?」「五百、千、二千はあるな。よし、よし、けっこうな量だ…」 少年たちが摘んだのは金色の花、タンポポ。絞り器がぐるぐる回転し、タンポポを押しつぶす。金色の潮流、夏のエキスが流れ出し、それを甕(かめ)に入れる。酵母を掬い取り、ケチャップのふりかけ容器につめて、地下室の薄暗いところに、キラキラ光る列を作って並ばせる。タンポポのお酒である。父親に連れられて森に出かけたダグラスは、ふとしたことから、弟のトムと取っ組み合いになる。拳が口に当り、ダグラスは錆色の温かい血の味を感じ、弟に掴みかかる。押さえ込んだあと、ふたりは横になる。すると「世界は、彼よりもいっそう巨大な目に虹彩で、同じようにいま片目を開けてすべてを包みこもうと広がったように」ダグラスを見返す。そして「とびかかってきて、いまはそこにとどまり、逃げていこうとしないものの正体」を知るのだった。「ぼくは生きているいるんだ」と彼は思う。1928年の夏、少年ダグラス、いや少年ブラッドベリが発見したのは、夏の歓喜、生命の躍動とともに、それに相対する死という宿命であった。だからこそ「ぼくは生きているいるんだ」と大声で、といっても声は出さすに叫んだのである。
松岡正剛千夜千冊(求龍堂) |
そして「12歳になって、たったいまだ! いまこのめずらしい時計、金色に輝く、人生70年のあいだ動くこと保証つきのこの時計を、樹の下で、取っ組み合いしている最中に見つけた」のである。レイ・ブラッドベリは1920年8月22日、イリノイ州ウォーキーガンで生まれた。晩年はロサンゼルスに在住し、著作活動を続けて2012年6月5日に91歳で他界した。少年ダグラスの夏は1928年で、ブラッドベリは8歳である。ダグラスを12歳に設定したのは、ブラッドベリが12歳からオモチャのタイプライターで物語を書き始めたからだろう。レイ・ブラッドベリを初めて手にしたのは何時ごろだったろうか。少なくとも1970年代に戻るだろう。いくつか脳裏に残っているが、何よりも印象深く、記憶から離れないのがこの自伝的長編小説『たんぽぽのお酒』である。しかし『十月はたそがれの国』もそうだが、『火星年代記』『華氏451度』など、一般には SF 作家として名高いようだ。今月12日に80歳で他界した実業家で編集者、著述家で、出版社「工作舎」を設立した松岡正剛もファンで、その著作のほとんど読破したという。書評サイト「千夜千冊」で『華氏451度』を取り上げていたが、ブラッドベリと実際に会ったときのエピソードが面白い。地下室に案内されて「ミッキーマウスをはじめとする、厖大なぬいぐるみや人形のコレクションを自慢されたときは、これがあのブラッドベリなのかと疑った」というのである。興味をそそられる逸話だけど、詳細は「千夜千冊」に譲り、私は知らなかったことにしよう。地下室といえば、やはりぬいぐるみや人形ではなく、たんぽぽのお酒を連想してしまうからだ。
レイ・ブラッドベリ(著)北山克彦(訳)荒井良二(絵)『たんぽぽのお酒』晶文社(2023/11)
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