2024年6月24日

男性のペンネームで書いた女性作家たち

The Brontë Sisters

シャーロット・ブロンテ(1816–1855)の長編小説『ジェーン・エア』が発表されたのは1847年だった。これまでに繰り返し映画化されてきた不朽の名作であるが、シャーロット・ブロンテはこの作品をカラー・ベルという男性の名前で発表している。シャーロットの妹、エミリー・ブロンテ(1818–1848)も生涯唯一の小説『嵐が丘』にエリス・ベルという男性名を使った。余談ながら上掲の絵はブロンテ家のひとり息子の画家ブランウェルの筆になるものだが、エミリーとシャーロットの間に自身を描いたが、後に塗りつぶしている。二人の間が空いてるのはそのためである。英国はビクトリア女王(1819–1901)の時代だったが、フェミニズム運動の片鱗が見え始めた時代でもあった。女性への偏見も根強く、ショパンとの恋で知られるフランスの女流文学者ジョルジュ・サンド(1804–1876)が社交界に男装で現れたというエピソードが残っている。『ジェーン・エア』の次の下りが格言としてよく知られている。

I am no bird; and no net ensnares me:
I am a free human being with an independent will.
私は鳥じゃない; 私を罠にかけるような網はない:
私は独立した意志を持つ自由な人間だ

男性名のペンネームを使った女性作家はまだまだまだいる。メアリー・アン・エバンス(1819–1880)はジョージ・エリオットというペンネームを使用した。ジョージ・エリオットは本名より有名だし、イサク・ディーネセンの『アフリカの日々』の作者が、カレン・ブリクセン(1885–1962)であることは意外に知られていないかもしれない。小説『若草物語』を書いた米国のルイーザ・メイ・オルコット(1832–1888)は奴隷制廃止論者だったが、A・M・バーナードという名で『愛の果ての物語』などを書いている。ファーストネームが頭文字になっているのは、性別をボカすためだったと思われる。バーナードの正体がオルコットであることは、1940年代まで気づかれなかったそうだ。美術、音楽、旅行に関する随筆を12冊以上書いたヴァイオレット・パジェット(1856–1935)はヴァーノン・リーという偽名を使った。キャサリン・バーデキン(1896–1963)はマーレ―・コンスタンティンの名で未来小説『スワスティカナイト』を著している。

Alice_Sheldon
アフリカのキクユ族と幼き日のアリス・ブラッドリー・シェルドン(1921年)

時代は下って、アメリカのキャサリン・ルシール・ムーア(1911-1987)も略称 C・L・ムーアを名乗った。女性が書いた SF なんか読めるかという風潮があったためだった。ジェイムズ・ティプトリーⅡ世の本名がアリス・ブラッドリー・シェルドン(1915–1987)であることが世間に知れ渡ったのは1977年だったという。『ハリー・ポッター』シリーズの生みの親、ジョアン・ローリング(1965-)は当初 J・K・ローリングと頭文字を使った。出版社であるバリー・カニンガムは、ハリー・ポッターのターゲットである若い男性読者は、女性が書いた本を読んでも気が引けるかもしれないと考えたからだ。さらにローリングは2013年にロバート・ガルブレイスというペンネームで犯罪ミステリー『カッコウの呼び声』を発表したが、真の著者が明らかになったときに批判を浴びたそうである。なお本稿は下記リンク先の「男性のペンネームで書いた12人の女性作家」を参考に記述した。作家それぞれの写真も掲載されているので、興味あるかたはぜひ訪問を。

book 12 Women Writers Who Wrote Under Male Pseudonyms by Helen Armitage | Culture Trip

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