2023年8月2日

北方領土「スターリンが手に入れた」の背景を読み解く

Winston Churchill, Franklin D. Roosevelt and Joseph Stalin at the Yalta Conference in 1945
ヨシフ・スターリン(1878–1953)

いささか旧聞に属するが、2019年9月5日、安倍晋三元首相はロシア極東ウラジオストクでプーチン大統領と会談し「ゴールまでウラジミール、2人の力で駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」と述べた。まるで三文役者の台詞のようで、ここに書くのも恥ずかしい。北方領土について大統領は、第2次世界大戦の結果手に入れ、領有権が決まったと強調した。そして友だち呼ばわりは迷惑と言わんばかりに「スターリンがすべてを手に入れた。議論は終わりだ」と切り捨てた。ソ連のヨシフ・スターリン(1878–1953)の名が飛び出したのだが、首相がどのような返答をしたのかという報道はなかったようだ。何ひとつ反論できず、すごすごと帰国したのだろう。平和条約締結に向けて「ロシアと未来志向で作業することを再確認した」というが、平和条約締結は国境を確定することである。北方領土は永遠に還って来ないだろう。1945年2月4日から11日にかけてヤルタ会談が行われたが、アメリカのフランクリン・D・ルーズベルト(1882-1945)は、スターリンに日ソ中立条約の破棄、すなわち対日参戦を促した。英国のウィンストン・チャーチル(1874–1965)も後で加わり、秘密協定が結ばれた。この頃、近衛文麿首相を中心としたグループは、戦争がこれ以上長期化すればソ連軍による占領の危惧が高まり、和平すべきと昭和天皇裕仁に献言した。しかし天皇はこれを却下する。同年4月5日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄した。

吉田茂(1878-1967)

背景には上記ヤルタ会談での密約があったからだろう。1945年8月8日、対日宣戦布告をし満州国、樺太南部、朝鮮半島、千島列島への侵攻を開始、日本軍と各地で戦闘になったのである。終戦間際だったので、どさくさに紛れての参戦だったという指摘もある。日本政府はポツダム宣言を受諾し、連合国に無条件降伏し同年9月2日降伏文書に調印した。これによって千島列島はソ連の占領下になった。そして1951年、サンフランシスコ平和条約を批准、日本は千島列島の放棄を約束してしまった。米国代表は「千島列島には歯舞群島は含まないというのが合衆国の見解」と発言したが、ソ連代表のアンドレイ・グロムイコ(1909–1989)第一外務次官は「千島列島に対するソ連の領有権は議論の余地がない」と主張した。吉田茂(1878-1967)首相は条約受諾演説で「千島列島及び樺太南部は、日本降伏直後の1945年9月20日、一方的にソ連領に収容されたのであります」「日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦当時たまたま日本兵営が存在したためにソ連軍に占領されたままであります」と述べている。これが日本政府が不法占拠だと主張してきた所以だろう。歴史に「もしも」は禁物だが、敗戦必死の状況下、遅くとも1945年初頭に降伏していれば、沖縄戦も、広島、長崎への原爆投下もなかったし、北方領土を失うこともなかったのである。

university  サンフランシスコ平和会議における吉田茂総理大臣の受諾演説(1951年)東京大学東洋文化研究所

0 件のコメント: