2023年2月14日

アメリカ先住民ポーニー族の文化と歴史を探求した女性人類学者

Folkways Records – FE 4334
Gene Weltfish

このLPアルバム「マーク・エヴァーツが歌うポーニー族の音楽」は女性人類学者のジーン・ウェルフィッシュ(1902-1980)が1936年に録音、1965年にフォークウェイズ・レコードからリリースされた。彼女は1928年から1953年までコロンビア大学に勤務したアメリカの人類学者・歴史家である。フランツ・ボワズに学び、中西部平原地帯のポーニー族の文化・歴史を専門とした。1965年に出版された民族誌 "The Lost Universe: Pawnee Life and Culture"(失われた宇宙ポーニーの生活と文化は、今日までポーニー文化に関する権威ある著作とみなされている。ウェルトフィッシュはニューヨークのドイツ系ユダヤ人の家庭に生まれ育った。祖父が雇ったドイツ人の家庭教師に教えられ、ドイツ語を母国語として育った。13歳の時、父親が遺言なしに亡くなったため、その遺産は国が管理し、信託財産として保管した。家計を助けるため、4歳で学校の事務員として働き始め、夜間は高校に通った。1919年にワドレー高等女学校 を卒業し、ハンター・カレッジに入学し、ジャーナリズムを専攻する。コロンビア大学のバーナード・カレッジに編入し、ジョン・デューイ(1859–1952)に師事して哲学を副専攻した。1925年にバーナードを卒業し、コロンビア大学大学院の人類学課程に入学した。4年生のときにフランツ・ボアズ(1858–1942)の講義を受けた彼女は、その後も彼を指導教官として研究を続けた。ニューヨークでアメリカ先住民ポーニー族のヘンリー・モーゼスと出会ったウェルトフィッシュは、彼の部族を学位論文のテーマとして研究することを決意した。オクラホマ州の保留地では、部族のほとんどがポーニー語を話していた。彼女は美学と職人技の研究に重点を置き、ポーニー族の女性だけが行っていたバスケット作りの技術を学んだ。コロンビア大学での博士論文のタイトルは "The Interrelation of Technique and Design in North American Basketry"(北米の籠細工における技法とデザインの相互関係)だった。

The Last Univers

彼女は1929年に論文を完成させたが、正式に博士号を取得したのは1950年になってからである。この間、同じ大学院生だったアレクサンダー・レッサー(1902–1982)と結婚した。彼もボアスに師事し、スー族を研究する人類学者となった。二人は15年間結婚生活を送った。1931年に娘のアンが生まれる。二人はオクラホマでスー族の親族制度について最初のフィールドワークを行う。オクラホマ州の保留地では、部族のほとんどがポーニー語を話していた。それまでその言語を勉強したことはなかったが、何年か勉強しているうちに習得した。彼女は美学と職人技の研究に重点を置き、ポーニー族の女性だけが行っていたバスケット作りの技術を研究した。1935年、ボアズの招きでコロンビア大学で教鞭をとることになった。コロンビア大学では、長年にわたる女性差別の慣習からか、ウェルトフィッシュに終身在職権が与えられることはなかった。博士論文のタイトルは "The Interrelation of Technique and Design in North American Basketry"(北米の籠細工における技法とデザインの相互関係)である。彼女は1929年に論文を完成させたが、正式に博士号を取得したのは1950年になってからである。1961年にニュージャージー州のフェアリー・ディキンソン大学に就職し、定年退職の70歳を迎える1972年まで勤めた。大学を退職した後も、ニューヨーク市のニュースクール社会調査部とマンハッタン音楽院で非常勤講師として、またニュージャージー州ニューブランズウィックのラトガース大学で客員教授として教壇に立った。ラトガース大学では、老年学の新しいプログラムに参加した。1980年8月7日、ニューヨークのルーズヴェルト病院で、78歳の誕生日を5日後に控えて死去した。下記リンク先の YouTube でウェルフィッシュが録音した、マーク・エヴァーツが歌うポーニー族の音楽を聴くことができる。貴重なレア音源である。

Native American Music of the Pawnee sung by Mark Evarts and recorded by Gene Weltfish 1936 | YouTube

0 件のコメント: