2021年5月7日

ストリート写真家ルッツ・ディルの眼差し

Toronto1957
オンタリオ州トロント1957年
Lutz Dille (1922–2008)

20世紀のストリート(路上)写真家といえば、フランスのアンリ・カルティエ=ブレッソン(1908–2004)やロベール・ドアノー(1912–1994)、あるいはアメリカのロバート・フランク(1924– 2019)そして没後に作品が発見されたヴィヴィアン・マイヤー(1926-2009)などが脳裡に浮かぶ人が多いだろう。しかしここにあげるルッツ・ディル(1922–2008)の名が日本では浸透していないのは何故だろうか。もしかしたら拠点がカナダだったかもしれない。ストリートは日常生活の舞台のようなものであり、私たちの存在の多くを占める公共の場である。特に大都市では、都市環境の臨界点がアーティストに豊富な視覚的素材と活動を容易に提供している。だからこそ、ストリート・ドキュメンタリー写真というジャンルが、写真というメディアの最も特徴的な要素のひとつとして発展してきたのも不思議ではない。1951年、ドイツ人の若き写真家ルッツ・ディルは、移民船を改造した船に乗って、ハンブルグからケベック・シティに渡りた。ハミルトンで列車を降りた彼は、このポジティヴィズムの雰囲気の中だった。持ち物は、着替えと現金30ドル、そしてライカIIIと引き伸ばし機だけだった。英語の知識はなかったが、29歳の移民の彼は限りなく才気にあふれていた。やがて彼はカナダを代表するドキュメンタリー写真家の一人となる。

NewYork1959
ニューヨーク1959年

ルッツ・ディルはライプツィヒの裕福な中産階級の家庭に生まれた。1933年にヒトラー率いる国家社会主義者が政権を握り、軍服用の革の需要が高まってからは、毛皮の商売に力を入れていた。郵政官僚であった父は、木製ビューカメラを所有するアマチュア写真家であった。2002年に書かれた未発表の回想録の中で、ディルはドラマチックな家族の写真撮影の様子を生き生きと描写している。それは、彼のブルジョア家庭が高度な経済状態を享受していたことと同様に、写真を撮ることの複雑な状態とそれに必要な専門知識を物語っている。ナチスの計画に参加したくないと思い、自転車で国境まで行き、デンマークに逃れた。これをきっかけに、様々な状況から逃避する人生が始まったのである。写真を撮ることは、彼に不変の感覚を与え、生涯の避難所となるだろう。しかし、デンマーク当局は彼をドイツの警察に引き渡し、ディルはすぐに逮捕、軍に徴兵されて東部戦線に送られた。彼は偵察写真家として働き、ツェッペリンからロシアの領土を撮影した。戦後、ディルはハンブルグの美術大学に通っていたが、機会があればすぐに「新しい人生が送れる」と聞いていた新大陸のカナダに移住したのである。最初は、汚い下宿やフレッド・ビクター・ミッションで暮らしていた。物質的には決して恵まれていないが、心は優しい人々の優しさに触れた。彼は疲れを知らずにカメラを持って街を歩き回り、モノクロで撮影していた。ノバスコシア州、メキシコ、スウェーデン、アイルランド、イギリス、イタリア、ニューヨークなどを旅して、印象的な写真を生み出したのである。ルッツ・ディルの写真は、カナダ国立美術館、ニューヨーク近代美術館、ハンブルグの尖筆芸術協会などに収蔵されている。

museum  Lutz Dille (1922–2008) Works | National Gallery of Canada (Ottawa, Ontario)

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