2019年12月31日

アリソン・クラウスの歌を聴きながら年を越す

Alison Krauss performing "Amazing Grace" on the 2019 National Memorial Day Concert

アリソン・クラウス
大晦日。2020年へのカウントダウンが始まる。日本の政治状況を俯瞰すると、やはりというか、相変わらず残念な年だったと思う。米国のロナルド・トランプはトンデモナイ大統領で、その虚言に世界が振り回された。しかしもっとトンデモナイのが、トランプの太鼓持ちである安倍晋三だ。私はソーシャルメディア FaceBook に「アメリカンルーツ音楽」というページを作っている。今のアメリカの政治に憤りを感ずるが、やはり音楽は別だ。あらゆる意味で敬愛してやまないルーツ音楽の歌姫、アリソン・クラウスの "Amazing Grace" を聴きながら年を越すことにしよう。2019年5月26日、米国議会議事堂の西芝生で、第30回戦没将兵追悼記念式典のコンサートが開催された。米国公共放送サービス(PBS)が放映したが、その録画である。日本の国会議事堂は今や悪の巣窟だが、もしこのようなコンサートなら歓迎である。ただ11月9日に皇居前広場で開催され、芸能アイドルグループ「嵐」が出演した、天皇即位の「国民祭典」のような催事はお断りだが。

2019年12月29日

ねずみ年を子年と書く不思議

マトリョーシカ風ねずみの迎春カード

ご存知 2020 年の干支は子(ね)すなわちねずみが、なぜ「子」なのだろうか。十二支は中国最古の王朝、殷の時代に使われていた。天文学での星の位置や、暦での年や月、時刻などを示すものだが、庶民にも分かるように、戦国時代から漢の時代に動物が当てはめられたそうである。つまりねずみが、元々あった漢字「子」に当てはめられたのだが、なぜそうなったのか不思議である。私の親の世代は「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」(ね、うし、とら…)と空んでいた人が多かったように記憶している。現代でも「ねずみ年生まれ」という風に生年に干支が使われている。近年、干支が前面に出るのが正月で、年賀状の絵柄にわれたり、初詣の絵馬のモチーフになったりする。イラストはロシアの民芸品マトリョーシカ風のねずみの迎春カードで、フリー素材を使って作ってみた。中国と国境を接するロシアでも干支はよく知られている。年末はいつもにも増して、干支モチーフのグッズやカードが増えるのは日本と同じようだ。それでは皆様、どうぞ良いお年を。

2019年12月25日

安倍政権 2019 悪政記録

北野天満宮(京都市上京区馬喰町)

毎月25日は北野天満宮の縁日だが、今年最後のきょうは「終い天神」と呼ばれている。幸いなことに徒歩で行ける距離なので、散歩がてら出かけた。骨董は不案内だし、古着は縁がない。ここでよく古い人形の写真を撮らせてもらったが、骨董羽子板にレンズを向けた。天神さんが終われば、後は大晦日、年越しを待つばかりだ。毎年午前零時過ぎ、この北野天満宮と平野神社に初詣したものだが、今年の元旦は未明に出かけることをやめてしまった。寒さに勝てなくなってしまったからだ。来年は子(ねずみ)年だそうだが、歳を数えずに新春を迎えることにしよう。この1年を振り返り、安倍政権下の日本列島、悪政記録を書き出してしてみた。

1月5日自民党平沢勝栄議員の「LGBT ばかりだと国がつぶれる」発言に批判殺到
11日五輪招致を巡る贈収賄疑惑で JOC 竹田会長を仏当局が捜査へ
22日日露首脳が会談したが打開策提示できず共同声明では交渉の継続のみ発表
2月4日麻生副総理が「子どもを産まなかったほうが問題」発言を即日撤回
6日安倍首相「森羅万象すべて担当している」発言が Twitter トレンド入り
12日安倍首相「悪夢のような民主党政権」に元民主党議員ら応酬
16日安倍首相がトランプ大統領をノーベル平和賞に推薦
26日菅官房長官が「あなたに答える必要はありません」発言に野党反発
3月13日ワンセグ携帯にも NHK 受信料契約の義務ありと最高裁が命じる
25日夫婦別姓を求めた賠償請求訴訟で東京地裁が請求棄却
19日外国名から「ヴ」を排除する法案が全会一致で可決
4月3日自民党塚田一郎国交副大臣が「忖度」発言を陳謝は安倍首相は問題視せず
11日桜田五輪相が失言辞任し後任に鈴木俊一前五輪相
16日新5000円札の津田梅子肖像の反転指摘に菅官房長官は問題ないとの見解
28日日米首脳会談貿易交渉めぐり応酬トランプ大統領が農産品への関税撤廃求める
5月13日日本維新の会の丸山穂高議員が「戦争で北方領土を取り戻すのに賛成か反対か」と発言
6月11日麻生金融相が「老後の金融資産2000万円必要」報告書を受け取らず
29日安倍首相が大阪城にエレベーターを付けたことを「大きなミス」と夕食会で挨拶
30日日本が IWC(国際捕鯨委員会)を脱退し商業捕鯨再開へ
7月1日日本政府が韓国向け半導体材料の輸出規制強化し友好国である「ホワイト国」指定解除
8月3日慰安婦少女像はじめとした愛知県の国際芸術祭展示企画中止へ
15日政府が NHK 受信料について「契約者に支払い義務」との答弁書を閣議決定
17日東京五輪トライアスロン予定地の水質汚染がテストスイマーから不満相次ぐ
25日日米貿易交渉で大枠合意し農産品の関税を TPP 合意水準に引き下げへ
19日河野外相が駐日韓国大使に厳重抗議「極めて無礼」と語気強める
9月17日大阪市が科学的根拠あれば大阪湾での原発処理水放出を受け入れる方針示す
19日東京地裁が原発事故は「津波を予見できたとはいえない」と東電旧経営陣らに無罪判決
23日国連気候変動会議で小泉進次郎環境相の「セクシー」発言が話題呼ぶ
10月25日有権者への金品贈与疑惑で菅原一秀経済産業相が就任1ヶ月で辞任
27日大学入学共通テストの英語試験めぐり萩生田文科大臣の「身の丈」発言を野党追求
31日妻で参院議員の河井案里氏の公選法違反が報じられ河井法相が辞任
11月11日安倍首相の後援会関係者が多数招待された政府主催「桜を見る会」に私物化指摘
20日安倍首相の首相在任期間が通算 2887 日となり憲政史上最長に
21日福井県の職員ら 109 人が元助役から金品受け取ったと県調査委員会が発表
12月4日日米貿易協定が可決・成立し来年1月1日より発効へ
12日和泉首相補佐官に公費使った私的旅行疑惑を菅官房長官は問題ないとの認識示す
17日全国共通テストの記述式問題について文部省が見送り表明
18日元 TBS 記者の山口敬之による性的暴行を訴えた伊藤詩織さんが勝訴
25日IR 参入巡る収賄容疑で東京地検特捜部が自民党の秋元司衆院議員を逮捕 

なによりも気になるのは「桜スキャンダル」である。10月4日に召集された臨時国会は、桜を見る会の問題に終始した。野党は安倍首相に対する不信任決議案を提出できず、首相は一問一答の国会質疑に応じないまま、臨時国会は閉幕した。出席者名簿は野党が追及した日にシュレッダー破棄され、安倍首相の地元後援会の人々を多数招待。さらには、反社会的勢力とみられる人々が出席していたり、会計が不明瞭であることなど、疑惑は山積みで深刻な問題だ。明らかに公選法違反で、潔く退陣すべきだが、どうやら風向きが違うような気もする。安倍晋三にぶら下がっていれば現在の地位を守れると思ってる輩たちが、鬱陶しいことに「安倍4選」を画策している動きがあるからだ。どうやら本人もその気になっていて、悲願である改憲を目論んでいるようだ。

2019年12月18日

テネシー州議会の議事堂にドリー・パートンの胸像

フォレストの胸像の撤去を求める活動家たち(2017年8月)撮影者不詳

フォレストと南軍旗
米国テネシー州ナッシュヴィルの日刊紙 Tennessean の12月10日付電子版によると、州議事会議長で共和党のジェレミー・ファイソン議員(1976-)が、州議会議事堂に設置されているネイサン・ベッドフォード・フォレスト(1821–1877)の胸像を撤去して、誰か他の人の胸像を見たいと言い出したという。フォレストは南軍の退役軍人で、南部連合の奴隷商人だった。南北戦争のピロー砦の戦いで、北軍の武装していない黒人捕虜を虐殺した部隊を率いていた、として戦争犯罪で告発された。また白人至上主義の人種差別秘密結社として悪名高い、クー・クラックス・クラン(KKK)の結成者といわれている。1973年、民主党のダグラス・ヘンリー上院議員(1926–2017)が、議事堂にフォレストの胸像を設置する決議案を提案したが、これは1973年4月13日に通過して、1978年11月5日に設置された。反対運動が起こり、抗議団体が生まれたが、歴史の一部であり、そのままにしておくべきだと発言した。2017年になり、共和党所属のビル・ハスラム知事(1958-)が胸像を撤去するようにと呼び掛けたが、議会に拒否された。

ドリー・パートン
ファイソン議員は、メンフィス出身でアフリカ系米国人の民主党議員 G・A・ハーダウェイ(1954-)に、フォレストの著書を読んだことがあるかと訊かれた。これを機に歴史を探索、フォレストの胸像を撤去すべきだと考えるようになったようだ。そこで白羽の矢を立てたのが、カントリー音楽界の大御所、ナッシュビル在住の国民的人気歌手、ドリー・パートン(1946-)だった。テネシー州セビア郡ピッツマンセンターの貧しい家に生まれ育ったというドリーは『テネシーの山のわが家』(My Tennessee Mountain Home)と 題した歌を作っている。同性愛者コミュニティの支持者であるドリーは、彼女が故郷に建設したテーマパークの「ドリーウッド」で、ファンが非公式に「ゲイの日」を開催したため、KKK に脅迫されたことがあるという。州議会議事堂には7つのアルコーヴ(alcove)があるが、7つが白人の男で埋まっている。だから女性を登用したらどうかという提案だった。マスメディアの問い合わせに対し、ドリーの事務所はコメントを控えているようだ。フォレストの胸像を撤去するには州議会と、歴史委員会の両方による投票が必要になる。提案が採択されれば、民主党議員の発案でできた胸像が、共和党議員の提案で撤去されることになる。民主党はリベラルで、共和党は保守と思い込んでいた私にとって、これはまさにコペルニクス的転回だ。

YouTube  Group Demands Removal Of Nathan Bedford Forrest Bust From State Capitol (Aug. 2017)

2019年12月15日

モノクロ写真のカラー化で蘇ったロマノフ家最後の舞踏会

Princess Zinaida Nikolayevna Yusupova

Empress Alexandra Feodorovna
1903年2月11日から2日間にわたり、サンクトペテルブルクの冬宮(現エルミタージュ美術館)で、帝政ロシア最後の大がかりな仮装舞踏会が開かれた。ロマノフ家即位290周年を記念した、2日間にわたる祝祭だった。初日はコンサートと晩餐会で、仮装舞踏会は2日目に催された。その模様の写真は歴史的遺産として残されたが、アルバム制作のため、コライII世(1868–1918)の皇后、アレクサンドラ・フョードロヴナ(1872–1918)の希望で、サンクトペテルブルクの高名な写真師たちが撮影した。賓客は400人に近く、全員が17世紀ロシアの伝統的な衣装を身に着けたのである。その肖像写真を見ると、撮影技術の素晴らしさに驚嘆する。その一部が Russia Beyond The Headlines に掲載されているが、ジナイダ・ニコラエヴナ・ユスポヴァ公女(1861–1939)の写真が印象的だった。怪僧グリゴリー・ラスプーチン(1869–1916)を暗殺したと言われているフェリックス・ユスポフの母親で、ロシアの名門貴族ユスポフ家の女性相続人だった。彼女が頭にしているのは、ニワトリや雄鳥を意味する、スラヴ語のココシに由来する、ココシニクと呼ばれる頭飾りだ。ココシニクには絹、ビロード、錦などの高価な材料が使われ、真珠、レース、宝石や、金の糸を使った刺繍で装飾されていた。モノクロとカラーの対比写真を掲載したが、大きさを揃えるため、右上のモノクロ写真は、カラー写真を元に、私が画像処理した。2017年6月に「モノクロ写真のカラー化で歴史が生き生きと蘇る」という一文を当ブログに寄せたが、写真のカラー化は時間の境界が突然なくなり、今ある世界じゃないかと錯覚してしまう効果がある。

Guest of Costume Ball, Winter Palace, Saint Petersburg 1903 (Click to Larger Image)
Olga Shirnina
ロマノフ家最後の舞踏会の一連の写真をカラー化したのは、モスクワ教育学外国語研究所の元教授で、ドイツ語翻訳者のオリガ・シルニナである。歴史資料に目を通して衣裳の色などを時代考証、アドビ社の画像処理ソフト Photoshop で作成したという。写真を彩色するのに丸一日かかるそうだが、見事な出来栄えだ。モノクロ写真の彩色に関して、シルニナはアマチュアを自称しているようだが、かなり高度な技術を駆使している。ペテルブルク冬宮の大広間がこれほど荘厳に輝いたことはかつてなく、鏡がこれほど多量の宝石のまばゆい光を映したことは絶えてなかった。その雰囲気をカラー写真が再現している。なお舞踏会の翌1904年、日露戦争が始まり、1905年には第一次ロシア革命が勃発、帝政が崩壊した。さらに1917年には第二次革命が起こる。ニコライII世たちは臨時政府によって自由を奪われ、シベリア西部のトボリスクへ追放された。1918年、エカテリンブルクに移送されたいたニコライII世は、ウラル地区ソビエト執行委員会の命令により、ボリシェビキ軍により射殺された。そして家族全員が皇帝と同様に運命を共にし、帝室は完全に断絶したのだった。ペテルブルクの宮殿での仮装舞踏会が、その後再び開かれることがなかったが、豪華絢爛な衣裳をまとった帝政ロシアの貴族たちが、写真の中に生き続けている。

Large Format Camera  The splendor of the House of Romanov's final ball 1903 (Russia Beyond The Headlines)

2019年12月9日

ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』『動物農場』『一九八四年』の系譜

ジョージ・オーウェルは1941年8月から1943年11月まで BBC で働いた

岩波文庫(1992年)
ジョージ・オーウェル(1903-1950)は1941年から43年の間にスタッフ番号 9889 としてBBC(英国放送協会)の従業員として勤務した。東洋部インド課のトークプロデューサーで宣伝番組の制作に従事した。1984年にオーウェル自身が作成したトークの原稿や番組台本や書簡などが収録されている『戦争とラジオ―BBC時代』が発見された。これは偶然だが『一九八四年』と重なる。この本には、戦時下の BBC の検閲がどういったものか、ということも書かれている。また『一九八四年』に出てくる、真理省のモデルとされている、ロンドン大学の総合図書館セネット・ハウス・ライブラリー(Senate House Library)の写真も載っている。オーウェルの作品の中で、最も著名な小説『動物農場』(1945年)『一九八四年』(1949年)がこの頃の体験をもとに創造されたことがわかる。1998年から2014年まで「BBCラジオ4」のプレゼンターだった英国人ジャーナリスト、マーク・ローソン(1962-)は「オーウェルの散文の平易、明快さは BBC に従事する前に培われたが、放送に課せられた時間制限と、読者の目と放送の聴取者の耳に引っ掛かるように、言葉と骨組みを簡略化することで完成した」と書いている。その下地になっているのは、ルポルタージュ『カタロニア讃歌』(1938年)ではないだろうか。アーネスト・ヘミングウェイ(1899–1961)の小説は、英語力が多少不足でも、原文でも読めるはずだと言われている。ジャーナリストとしての体験が、平易で簡潔な文章をもたらしてと言うのである。オーウェルの『カタロニア讃歌』はスペイン内戦での人民戦線義勇軍への従軍体験を描いたもので、マルセー・ルドゥレダ(1908–1983)の『ダイヤモンド広場』(1962年)は、夫をアラゴン戦線に送ったものの、主人公は戦場を知らない。一方は外国人ジャーナリストが英語で書き、一方はカタルーニャに生まれ育った作家がカタルーニャ語で書いた。その対照的とも言えそうなスタンスの差が興味深い。

radio
The Real George Orwell: A journey exploring the man Eric Blair and the writer George Orwell (BBC)

2019年12月7日

ヴァイオリンの f 字孔物語

ヴァイオリンの内部 ©2018 エイドリアン・ボルダ

マン・レイ(1924年)
エドワード・ウェストン(1886–1958)のヌード写真集 "Edward Weston: Nudes" のモデルになったカリス・ウィルソン(1914–2009)は、友人の言葉を引用して「この世には3つの完璧な形がある―艇体、ヴァイオリン、女性の体」と書いている。弦楽器はしばしば女性の体に喩えられるが、これをまさに具現化したのが、マン・レイ(1890–1976)の『アングルのヴァイオリン』だろう。これは彼が敬愛していた画家ドミニク・アングル(1780–1867)の裸婦作品『パンソンの浴女』に触発されたと言われている。f 字孔を付け加えたので、ヴァイオリンを連想させる写真に仕上がっている。上の写真はそのヴァイオリンの中を撮影したルーマニアの写真家エイドリアン・ボルダ(1978-)の作品だ。ボルダが住むルーマニアのレギンは、ヴァイオリンの街と言われている。サウンドホールからの光が f の字を投射しているので、ヴァイオリンやチェロの内部と想像がつく。修理中のチェロを開け、8mmの魚眼レンズを装着した Sony NEX-6 で撮影したのがきっかけだったそうだ。しかしこのカメラをヴァイオリンの f 字孔から入れるのは無理であるが、どのように撮影したのか分からない。ところでヴァイオリン属の弦楽器にはどうして f 字孔があるのだろうか。弦を弓で擦って音を出す、いわゆる擦弦楽器の起源に関しては諸説がある。

小さな円から細長く大きな f 字形に進化したサウンドホール(MIT News 2015

アントニオ・ストラディバリ
アジアの騎馬民族によってヨーロッパにもたらされ、各地方の民族楽器として浸透し、その後地域ごとに多種多様な発展をし多くの楽器群が出現したというのが定説のようだ。現在ではフィドル(fiddle)とヴァイオリン(violin)は楽器としては同じものを指すが、フィドルのほうが歴史的には古く、レベック(rebec)あるいはレバブ(rebab)などを経て、ヴィオール属、ヴァイオリン属の楽器に変遷したといわれている。そのヴァイオリンは改良を重ねて徐々に完成されたのではなく、1550年ごろ、突如として、最初から完全な形でイタリアに誕生した。マサチューセッツ工科大学の音響学者と流体力学者は、ボストンのノース・ベネット・ストリート・スクールのヴァイオリン製作者と一緒に、クレモネーゼ時代の数百のヴァイオリンの測定値を分析した。そしてヴァイオリンの音に影響を与える重要な要素は、空気が逃げる f 字型の開口部の形状と、長さであることを突き止めたのである。すなわち開口部が長くなればなるほど音が大きくなる。これは中世のレベックなど、ヴァイオリンの祖先の丸いサウンドホールよりも、音響効率が高いことがわかったのである。イタリアのアントニオ・ストラディバリ(1644-1737)やジュゼッペ・グァルネリ(1698-1744)などの名工が、サウンドホールを細長くし、裏板を厚くしたのは、あらかじめ設計したのではなく、偶然だった可能性があるという。余談ながら、細長い S に駒(bridge)の位置を示す刻みを入れたので、最終的に f 字形になったのではないかと私は推測している。

study  Power efficiency in the violin by Jennifer Chu | MIT News Office | February 10, 2015

2019年12月5日

何度か同じ女の子を追いかけたことさえあった

Edward Weston: Nudes by Charis Wilson (Author) Edward Weston (Photographer) 1977

晶文社(1988年)
写真に関する本を読むのが好きだ。とりわけポール・ヒルおよびトーマス・クーパー著『写真術―21人の巨匠』(晶文社)は近代写真史を考察する上で示唆に富み、座右の一冊と言っても過言ではない。登場するのはマン・レイ、ブラッサイ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、アンドレ・ケルテス、ジャック=アンリ・ラルティーグ、ユージン・スミス、イモジェン・カニンガム、ポール・ストランドなど21人。彼らと実際に会い聞き書きしたインタビュー集である。写真との出会いから手法や思想、人生哲学にいたるまで、20世紀写真史の生きた証言集と言っても過言ではない。何よりも一般の歴史書が掬い取れそうもない、エピソードに溢れているのが最大の魅力になっている。ブレッド・ウェストンは父エドワードについて「いつも身近にいて、何年もの間、一緒に旅し、一緒に撮影した。何度か同じ女の子を追いかけたことさえあった」と述懐している。エドワード・ウェストンは私が最も敬愛する写真家のひとりだが、やはりこの下りは興味深い。ウェストンの名声は、たぶんにモデル兼助手となった作家のカリス・ウィルソンの功績が大だと私は想像している。カリスがモデルになったときは、ウェストンは結婚していたが、ふたりは一緒に住むようになる。1939年に出版された『エドワード・ウェストンとカリフォルニアを見る』のテキストはカリスが執筆した。この本によって財政的に救われたウェストンはカリスと結婚する。ウェストンは1958年に他界したが、彼女は写真集1977年に出版された『エドワード・ウェストン・ヌード』に素晴らしい解説文を寄せている。

Imogen Cunningham - Nude (1932)
マン・レイによると、ユジューヌ・アッジェに新式の印画紙でプリントするから乾板を貸して欲しいと頼んだ。ところが「長持ちさせるものではない」と断られる。アッジェのプリントは食塩水で定着、光に晒すと褪色するものだった。というのはいつまでも客に長持ちする写真を持っていては困るという理由だった。マン・レイによれば、アッジェは単純な男で、ほとんど世間知らずだったという。だから「神話を作るつもりはない」と断言している。ウェストンやアンセル・アダムスが結成した「グループf/64」について、イモジェン・カニンガムは「あれはそんなに素晴らしい展覧会ではなかった」と振り返っている。今日、伝説のグループとして名高いが、内部にいたカニンガムは、サンフランシスコで見た作品展を「あんまりいい気分になれなかった」と証言しているのである。斯々然々(かくかくしかじか)で話は尽きない。ところで私は見損なってしまったが、勅使河原宏監督作品『十二人の写真家』と題した映画がある。すでに廃刊になっているが、写真雑誌『フォトアート』創刊6周年を記念して制作された作品で、木村伊兵衛、三木淳、大竹省二、秋山庄太郎、林忠彦、真継不二夫、早田雄二、浜谷浩、稲村隆正、渡辺義雄、田村茂、土門拳の12人の仕事現場を捉えたドキュメンタリーだった。すでに全員が他界しているが、一時代を築いた日本の写真家の証言が、書籍として残されなかったことが惜しまれる。

2019年12月3日

写真作品 note 投稿事始め

写真ブログ「京都フォト通信」を閉鎖し note で作品公開を始めた。同サイトは「文章、写真、イラスト、音楽、映像などの作品を投稿して、クリエイターとユーザをつなぐことができる、まったく新しいタイプのウェブサービス」と位置付けているが、ウィキペディアは「配信サイト」と定義している。欧米では Medium といった、ブログから派生したコンテンツ・プラットフォームがトレンドとなっていたが、tumblr に近いようだ。私の経験では、個人のブログはユーザー獲得が容易ではく、やはり SNS の要素が多少あったほうが良さそうである。ただ note はあくまで作品投稿ツールであり、その点では、例えば日常会話だけでも許される SNS そのものとは違う。私は今のところ写真のタイトルと撮影場所しか記述せず、詳細な説明を省いているので、実に気楽に投稿できる。この点ではブログでもないし、SNS 的な使い方でもない。ブログは記事を書いて検索を待つシステムだが、すでに読者がいる場所にコンテンツを置くのが note である。しかし、すでにブロガーとして知名度のたかいクリーエータならともかく、細々とブログを運営して人は過度な期待をしないほうが良いだろう。画像記事にアップロードした写真は、表示サイズが自動調整される。アップロードした写真の横幅が620pxを超えた場合、横幅が620pxになるようにサイズが全体的に調整される。これは計量化によって表示をスムーズにする措置だと思われる。ただ写真をクリックすると拡大表示されるので、この点は特に気にする必要はないだろう。蛇足ながら私は写真のみだが、動画の他に音声ファイルも投稿できるのも、特長と言って良いだろう。楽曲を販売したいアーティストにおススメだ。ところで note は今年11月25日にサービス URL を 新しい note.com へ移行した。一般的な名詞を使った4文字のドメイン取得は、難易度が高いとされているが、前権利者との1年間にわたる交渉の末、昨年12月に取得したそうである。