2019年11月28日

権利幸福嫌いな安倍晋三に自由湯を飲ませたい

永島春暁『川上の新作 當世穴さがし おっぺけぺー歌』1891年(クリックすると画像拡大

川上音二郎の名は知らなくとも、明治時代に一世風靡した「オッペケペー節」という歌のタイトルを目にしたことがある人が、少なからずいると思う。自由民権運動高揚期に、川上は自らを自由童子と名乗り、自由党壮士として、政府攻撃の演説を行った。1880(明治13)年に、政府は警察の許可無く自由民権運動の集会や、団体の結成を禁止するばかりか、警察が集会を解散させる権限を有する集会条例を制定して、弾圧に乗り出した。そこで大阪の落語家・桂文之助の弟子となり、時局風刺の「おっぺけぺー歌」を作詞、ザンギリ頭に鉢巻、筒袖に陣羽織といった出で立ちで、日の丸の扇子片手に寄席で歌って人気を博した。
権利幸福きらひな人に自由湯をば飲したい
オッペケペ オッペケペッポ-ペッポーポー
堅い上下角とれてマンテルヅボンに人力志や
いきな束髪ボンネット貴女に紳士のいでたちで
外部の飾りりはよいけれど政治の思想が欠乏だ
天地の真理が解らない心に自由の種をまけ
オッペケペ オッペケペッポーポー

米価騰貴の今日に細民困窮省らす
目深に被ふた高帽子金の指輪に金時計
権門貴顕に膝を曲げ藝者たいこに金を蒔き
内には米を倉に積み同胞兄弟見殺しか
幾等慈悲なき慾心も餘り非道な薄情な 
但し冥土の御土産か地獄でゑんまに面會し
わいろ遣ふて極楽へ行けるかえゆけないよ
オッペケペ オッペケペッポーペッポーポー
添田知道著『演歌の明治大正史』(岩波新書)によると、ヤッツケロ節と同巧の、節あってなき朗読調を、いかめしく、生真面目な顔でやることで、おかしみ増すものだったという。川上は寄席で、壮士たちは街頭でこれをやったのである。演歌というと艶歌を連想するが、本来「演説の歌」という意味である。集会条例で街頭演説が禁止されても、歌なら構わないだろうという発想だった。これは讃美歌の旋律を借り、街頭で労働組合運動を展開、フォークソングの礎を築いたジョー・ヒルと酷似している。演歌は民権運動の思想を普及する意図で現れたが、明治から大正にかけて活躍した演歌師としては、添田啞蟬坊が傑出している。「あきらめ節」「虱の旅」などは今日でも通用する内容を持っている。その啞蟬坊の歌を昭和に蘇らせた、高田渡の功績も特筆すべきだろう。それはともかく権利幸福嫌いなファシスト、安倍晋三に自由湯(じゆうとう)を飲ませたい。

YouTube  川上音二郎一座パリ万博公演「オッペケペー節」明治33年(1900)英グラモフォン録音

2019年11月26日

ニール・ヤングが Facebook をブロック


ニール・ヤングの公式サイト Neil Young Archives によると、ソーシャルメディア Facebook を使わないことにしたという。連邦最高裁判所の判事指名に、ブレット・カバノーを後押しした右翼団体のフェデラリスト協会とコミットしたのが理由rたしい。「ソーシャルメディアは、政治の一方または他方に明らかなコミットを行うべきではないと感じています」「報道とメッセージの真実性に関して読者を混乱させている」という主張である。拙ブログのエントリ―「危険なエコーチェンバー現象」で触れたように、もしニュースフィードのアルゴリズムによって表示される記事が、エコーチェンバー現象の要因となるとすれば、その責任は Facebook にある。ソーシャルメディアは、政治的に偏った情報を選択、恣意的に流すことが可能であるからだ。Facebook は10月25日、キュレーションされたニュース記事を表示するタブのテストを米国で開始すると発表した。


フェイク情報の拡散防止に取り組み、より信頼性の高い報道機関の記事を前面に押し出す上で有用な手段となると謳っている。しかしどの報道機関を選ぶかが問題で、極めて危険な胚芽を含んでいる。政権寄りの情報を流す可能性があるからだ。ところでニール・ヤングは米国の市民権申請をしているが、過去のマリファナ使用を理由に、トランプ政権の司法長官が許可を遅らせているようだ。彼はスターバックスもボイコットしている。遺伝子組み換え作物(GMO)の使用を明記する制度を条例化したバーモント州に対して、モンサント社が条例を差し止める訴訟を起こした。この訴訟にスターバックスが加わっているという主張である。これに感化された私はスターバックスに足を踏み入れることをやめた。一方、マーク・ザッカーバーグは、孫正義などと共に、ビル・ゲイツが組織した「画期的エネルギー連合」に名を連ねている。原子炉の研究開発を行っている企業などに資金提供する投資ファンドだ。この点は大いに気になるが、利用しながら Facebook を見守ろうと思っている。それにしても、Microrosoft、Softbank、Facebook、そしてさらに Google、Amazon と、問題の多い米国の IT 関連企業のいずれの網からも逃れられない自分に、忸怩たる思いを禁じ得ない。

2019年11月23日

壮絶な秋に細川ガラシャ夫人を想う

大徳寺高桐院に出かけた。細い敷石道を通り抜け、唐門を右に折れて玄関へ。拝観料を払って庭園に面した縁側に出た。はっと息を飲む。壮絶な秋である。広い庭は一面の苔、そして計算され尽くした楓樹の配置は、なぜか樹木と苔をむしろモノトーンの世界に変質させているようにも見える。目をつぶると、ひらひらと赤い楓、黄色い楓が空を舞っている。やがてそれらは苔の上に舞い降り、絨毯を敷き始める。天空からの光束はあくまで細い。緑の領域は次第に衰微し、赤や黄色が拡散してゆく。この仕掛は誰が考えたものだろうか。時の流れが饒舌と静寂を綾織る世界。そのふたつが混在しているのは、武人にして茶人、細川幽斎の長子忠興の霊がここにまつられているからかも知れない。高桐院は細川家の菩提寺でもあるのだ。本堂西側の縁側に庭を散策するためのスリッパが入った箱があった。庭に降りると一角に細川忠興の墓所があった。

大徳寺高桐院(京都市北区紫野大徳寺町)

忠興とガラシャの墓塔
春日灯篭の墓石は忠興とガラシャのものでもある。ガラシャの最期を三浦綾子は『細川ガラシャ夫人』で次のように描写している。「奥方さま、では、お覚悟を。直ちにわれらこれより御供申しあげまする。しかしながら、このお傍に果てるのは余りにも恐れ多きこと故、われらは玄関にて御供させて頂きまする」「自害は許しませぬ。天主のみもとに行くのは、わたくし一人にとどめますように。では、早う、少斎どの。頼みまする」「奥方ごめん!」 真紅の血がさっと飛び散り、玉子の上体がぐらりと前に傾いたかと思うと、そのまま玉子は床に打ち伏した家臣に首を切らせたという異説もある。ガラシャが自らの意志で散ったのは1600(慶長5年)7月だった。遺骨は大阪の崇禅寺の境内に埋葬されたという。10月、夫である忠興はオルガンチノ神父と相談して盛大なキリスト教式葬儀を行った。忠興が高桐院を建立したのがその翌年になる。この塔頭建立とガラシャとの関係はどうなっているのだろうか。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人の武将の時代は、キリシタンの時代でもあった。キリシタン大名高山右近追放、ガラシャ受洗、キリスト教禁教令、三木パウロ殉教、秀吉の全国統一、家康江戸入城、そして長崎における二十六聖人の殉教と続く。1596(慶長元)年、千利休は秀吉によって自刃に追いやられている。利休の遺志によって灯篭「天下一」は忠興の手に渡った。5年後に建立したこの寺の庭に置いたのは間違いないだろう。この灯篭をもってすぐにガラシャの墓石にしたかどうかは歴史書は寡黙だ。夫人の死後、忠興は83歳で死ぬまで、45年も生きながらえた。亡き夫人を偲んで、生涯再婚はしなかったという。その間に、自らと、そしてガラシャの墓石にこの石灯篭を転嫁させたのだろうか。

小林清親『古今誠画 浮世画類考之内 慶長五年之頃 細川忠興室』(ガラシャ)1885年

茶室「松向軒」(しょうこうけん)
再び私は南庭の苔の前の縁側に立った。明智光秀の謀反によって玉子は一転「逆賊の娘」になってしまった。楓と混在した竹の階調に目をこらした私は、その玉子がなぜガラシャになったか、得も知れぬ興味が湧いてきたのに思わず身震いした。戦国時代を駆け抜けたキリシタンとはいったい何だったのだろうか。再び私は夢を見始めたようだ。あの灯篭はほんとにガラシャの墓石なのだろうか。この禅林は細川家の菩提寺だ。デウスに帰依したガラシャの痕跡はここにあるだろうか。細川家の紋は残っている。しかしここには十字架はない。ただあるのは利休好み、三斎好みの灯篭があるだけだ。宗教はひとつの方向性を持っている。信心がない人間には理解できない。キリシタンの殉教とはなんだったのだろうか。「教会側から言えばすばらしいこの聖女は、俗界側からみると、あまりにも薄幸な女でもあった」と遠藤周作は『切支丹時代』に書いた。信仰は他者に伝え得ないものなのだろうか。玉子の受洗は神の計画だったのだろうか。その自害ともいうべき死も神の計画だったのだろうか。私はそうは思わない。発端は夫である忠興の友人がキリシタン大名高山右近だったからと私は思う。書院の奥に茶室「松向軒」があった。三斎と号したように忠興は利休七哲に数えられる茶人でもあった。茶室の天井から小さな裸電球がぶら下がっている。その明かりを頼りに天井に目を注ぐ。実に質素なたたずまいだ。竹格子の残影が畳に落ちている。忠興はここでひとり静かに玉子を偲んだのだろうか。

2019年11月22日

汚れた手でもてあそぶ改憲論

戦争が死語になる日が待ち遠し

自民党は憲法改定に関する国民投票法改正案の成立について、今国会でも見送る方針を固めた。改憲は安倍晋三の悲願ということで、与党側は今の国会の最重要法案と位置付けているが、会期末まで3週間を切るなかで成立は厳しい情勢となった。安倍晋三は残りの任期が2年を切り、この法案が1年以上も足踏みし、憲法本体の議論に入れていないことに業を煮やしているようだ。2014年には歴史的な憲法解釈の変更を行い、第2次世界大戦以来、初めて自衛隊が海外で戦えるようになった。しかし安倍晋三は憲法9条を改悪し、自らのレガシーを仕上げることまではできないでいるのである。公表された自民党の憲法改正草案には「第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」と恐ろしいことが書いてある。自民党憲法改正推進本部は昨年3月、党本部で地方議員向けの講演会を開き、各党に示すたたき台素案として改憲項目の条文案を公表した。9条改定案も最終的な条文案が示され、戦力不保持を定めた9条2項を維持したうえで、新設しようとしている「9条の2」に
前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
と実力組織として自衛隊を明記した。現憲法下では自衛隊の存在は違憲である。この主張をすると「丸腰でいいのか」という答えが返ってくる。自衛は必要悪だが、国防費を最小限に抑える必要がある。そのためには、現9条を理想と捉え、目標として守るべき道なのである。軍靴の響きは止めなければならない。

PDF
自由民主党日本国憲法改正草案(2012年4月27日)の表示とダウンロード(PDFファイル 768KB)

2019年11月21日

諸説紛々:女の子はピンク男の子はブルー

ミネラルウォーター SULINKA のマッチ棒広告

これはスロバキアの広告代理店 JANDL 社が制作した広告で「胃の火災を防止します。SULINKA を定期的に飲むと、あなたの消化器系の問題を改善します」という意味のコピーがついている。ピンクのマッチ棒は女の子を指し、ブルーは男の子である。服装の好みもこの傾向が、日本のみならず欧米などでも共通してあるようだ。この謎を探るべため、英国ニューカースル大学の神経科学者、アニャ・ハーバートとヤズ・リンは「なぜ女の子はピンク、男の子はブルーを着るのか」という実験を行った。実験は、まず20~26歳の男女206人の被験者を対象に行われた。そのほとんどはコーカサス人(白人)だが、37名は中国人を先祖に持ち、中国で育った人たちだった。被験者に違う色のふたつの長方形が点滅しているパソコンの画面を見てもらい、直観で好きな色の方を選んでもらう。色のスペクトルはレッド系とブルー系のふたつに分けられ、長方形はこのふたつのカテゴリーのどちらかに分類されている。この実験からは、男女共、ブルー系が好きだということがわかった。次にさまざまなな色がまじったものから好きな色を選んでもらうことにした。男は色の好みがさまざまだったのに比べ、女性の好みは青から離れた赤系のスペクトラムに偏る傾向があったという。

ピンク一色の女の子の部屋とブルーの男の子の部屋 @JeongMee Yoon画像をクリックすると拡大します

トイレのピクトグラム
幼い自分の娘がピンクのものばかり欲しがるのを見て、韓国の写真家ユン・ジョンミは「ピンクとブルーのプロジェクト」と名付けた写真撮影プロジェクトを始めたという。10年以上前の話である。「見てもらいたいのは、意識していようがいまいが、子どもたちとその親たちは、広告やポップカルチャーから大きな影響を受けているという点です」とユンは言う。「ブルーは強さと男らしさ、ピンクは愛らしさと女らしさのシンボルになっています」というわけだ。衣服の歴史を研究している米国メリーランド大学教授のジョー・パオレッティによると、色と性別が結びついたのは、それほど古いことではないという。19世紀の欧米諸国では、淡い色彩のパステルカラーが人気で「服の色が性別を示すことはなく、肌をきれいに見せてくれる色が選ばれていました」とパオレッティは言う。性別によって身に着けるものの色合いに違いが出始めたのは20世紀前半で、1940年頃までに、ピンクとブルーがそれぞれ、女性と男性に結びついた色として認識されるようになったようだ。「女の子はピンク男の子はブルー」という傾向に、大きな影響を与えてきたのは米国だとパオレッティは話す。バービー人形やヒーロー映画、子ども向けの商品などによって助長されてきたという。トイレのピクトグラム(絵文字)も女性用がピンクで、男用がブルーである。この色分けをしたのはグラフィックデザイナーの道吉剛で、1964年の東京五輪の際に制作したそうである。トイレのピクトグラムは前からあったが、スコットランドのように、男がスカートを穿く国もあるので色分けすることにしたという。

book  Pink=Girl Blue=Boy: The Relatively Recent History of Gendered Baby Colors by Jason Reid

2019年11月18日

ビル・ゲイツは遺伝子組み換え技術の資金提供者

悪夢の遺伝子組み換え技術に肩入れするビル・ゲイツ

いささか偶然だったけど「ビル・ゲイツが世界中の小規模農家にGMO(遺伝子組み換え作物)を押し付けるキャンペーンに1,500万ドル(約16憶3,000万円)を寄付」という記事が目に止まった。過去4年間にビル&メリンダ・ゲイツ財団が、GMO栽培促進により「世界の飢饉を終わらせる」ことを目標に、ふたつの世界的な運動団体に寄付したという。ひとつは Alliance for Science(科学のための同盟)という組織で、GMOに関する議論を「脱分極」するために2014年に結成された。もうひとつは「2030年までに飢饉ゼロ」という国連の目標を達成できるようにと、2018年に結成された Ceres2030(セレス2030)という組織である。セレスはローマの神話に登場する農業の女神である。いずれもニューヨーク州のコーネル大学に本部を置いている。

アメリカ食品ラベルの読み方

ビル&メリンダ・ゲイツ財団は「アフリカの低収量作物であろうと、ロサンゼルスの低卒業率であろうと、私たちは耳を傾けて学びます」とウェブサイトで主張している。しかし Bioscience Resource Project(生物科学資源プロジェクト)のディレクターであるジョナサン・レイサム博士は、ゲイツ財団がこの目標を達成していないと指摘している。上記「科学のための同盟」は「世界中の農民が気候変動の壊滅的な影響に苦しんでいる。降雨パターンの乱れ、干ばつ、極端な気象現象、害虫の蔓延、植物病害、作物の損失、飢餓。遺伝子工学によって開発されたより良い種子は希望を与えます。しかし、規制の遅れにより、何百万人もの農民がこの命を救う技術にアクセスすることを妨げられている」とGMO推進のキャンペーンを展開しているという。そして何よりも注目すべきは、セレス2030のメンバーがビッグ・アグ(大型農業生産法人)に関わっているという指摘だろう。そのひとりであるコーネル大学教授プラブフ・ピンは、モンサントの役員であるエリック・サックス、および広報担当のベス・アン・マンフォードと深い繋がりがあるという。

news
Food Industry Enlisted Academics in G.M.O. Lobbying War, Emails Show (The New York Times)

2019年11月16日

危険なエコーチェンバー現象


就寝時にネットワーキングをしないことにしている。エコーチェンバー現象によって気が滅入り、眠れなくなる時があるからだ。エコーチェンバーとは音楽録音用の残響室のことだが、エコーチェンバー現象は限られたネット空間の中で同じ意見が反復され、増幅反響する効果を指す。これは同じ意見を持った同類の人々が集まり、信じたいものだけを信じるという危険を孕んでいる。例えばソーシャルメディア Facebook での私の友だちはおおむね安倍晋三に批判的だし、自公政権を支持していない。所謂ネトウヨ(ネット右翼)はいないと考えて良い。それゆえに、同じような心地良い意見がネットの中で反復され、こだまする。閉じたコミュニティのなかで、自分と同じ意見の人々だけの意見交換が繰り返されることで、世の人々の多くが「アベ政治を許さない」と考えてるのではないかと錯覚してしまう。ところが新聞や放送サイトに移動すると「内閣支持47%・不支持35%」といった、世論調査の結果が目に飛び込んでくる。その現実に直面すると、落差に落胆することになる。冷静に考えれば当然考えられることなのだが、どうして錯覚してしまうのだろうか。私見によれば、思考が二極化しているからだと思う。つまり2進法で、1と0だけで、間がないのである。ミレニアム世代の 60% 以上が Facebook を一次情報源として使っているという。この傾向は私たちを分断し、民主主義を破壊している懸念がある。例えば音楽に関して言えば、人々は政治的イデオロギーほど極端な意見を持ったり、二極化したりすることはない。しかし政治的なコンテンツは別である。Facebook で友だちがシェアするニュースに影響を受けるなら、それはユーザーに責任がある。しかし、もしニュースフィードのアルゴリズムによって表示される記事が、エコーチェンバー現象の要因となるとすれば、その責任は Facebook にあるだろう。

PDF  笹原和俊『エコーチェンバーの生成ダイナミクス』の表示とダウンロード(PDFファイル 669KB)

2019年11月12日

グーグル検索1回で7グラムの二酸化炭素排出というが

沈みゆくヴェネツィア:温暖化を警告する彫刻家ロレンソ・クイン制作の巨大な腕

二酸化炭素排出問題で批判されたグーグル
米国は4日、気候変動への国際的な取り組みを決めた2015年の「パリ協定」からの離脱を正式に国連に通告した。これにより世界で唯一、同協定に参加していない国となる。自分で決めたガス排出を減らす目標の取り消しや、発展途上国の対策を助けるための国際基金へお金を出すのをやめると明言したのである。二酸化炭素というと、火力発電所や工場などを想起するが、家庭からも排出されている。10年前、英国のザ・タイムズ紙が「グーグル検索の環境に及ぼす影響」という記事を掲載して話題になった。検索1回につき、7グラムの二酸化炭素を排出する。ヤカン一杯のお湯を沸かすと15グラム。だから2回で同じ排出量になり、明らかに環境に悪影響を与える、という物理学者のアレックス・ウィズナー=グロス博士(ハーバード大学研究員)の主張を取り上げたものだ。なにかと話題を振りまくグーグルだが、これに対する TechCrunch のジェイソン・キンケイド氏の論評が誠に興味深い。要約しながら紹介してみよう。本一冊がおよそ2,500グラムの二酸化炭素に相当するそうで、これはグーグル検索の350倍以上になる。またチーズバーガー1個の二酸化炭素排出量は3,600グラムだそうだ。これはグーグル検索500回以上に相当する。だから、食べるハンバーガーを減らして検索を控えめにすればいい。そうすれば体重も減らせるしと書いている。そしてその先が痛烈である。キンケイド氏は何かを調べるのに車で図書館に行くかわりにグーグルを使ったことは数知れないという。そのたびに車を使えば排出する二酸化酸素は、グーグル検索より桁違いに多いだろうとしている。これは一理あり、その通りだと思う。また乗り換え案内を使い、電車やバスの時刻を調べて車を使わずに済ませたことは何10回もあるという。それに炭素クレジットを買えるサイトを見つけるのにも検索エンジンが役立っているというのだ。

出典:国立環境研究所クリックで拡大
記事について氏が問題にしているのは、事実が誤っているかどうかというのではなく、グーグルに謎に包まれた邪悪な力のレッテルを貼り、みんながグーグルを使うたびに、環境問題を悪化させていると言っていることで、ある意味で人騒がせなアラーミストだという。つまりグーグルが今よりもエネルギー効率を良くする余地があるだろうが、この手の記事が人々にインターネットを敬遠させてしまうことをは恐れているという。ガソリンを大食いするスポーツ用多目的車と違って、インターネットは人々を繋ぎ、人間性を豊かにするものである。ウェブ企業には何をおいてもカーボンニュートラルになって欲しいが、エネルギーに関心のある消費者にブラウザーを怖がらせてはならないという主張である。環境問題は一筋縄で行かない側面があると私は思う。米国地理学会の「ナショナル・ジオグラッフィック」誌によると、地球には今後、数百万年に1度という深刻な氷河期がやってくるという予測結果が判明したという。ところが自動車や発電所から出る二酸化炭素などの温室効果ガスによって温暖化が促進されているため、この氷河期の到来は無期限に延期されているという研究結果があるそうだ。スコットランドのエディンバラ大学のトーマス・J・クローリー教授によると、温暖化が生じていなければ、1万~10万年のうちにカナダ、ヨーロッパ、アジアの大半がいま南極にあるような恒久的な氷床で覆われる可能性があるという。地球温暖化で氷河期が食い止められている、というのは何とも皮肉な話だが、本当なら米国を喜ばす説になるかもしれない。キンケイド氏の論評に戻すと、グロス博士は CO2Stats というベンチャーを共同設立した。これが単なる情報ウェブサイトではなく、営利企業であることをザ・タイムス紙は触れていない。商売がらみの可能性が高い、だから重要な偏見を生む可能性のあるものは、もっと詳しく取り上げるべきだろうと述べている。極めて興味深い記事だったので、かなり衆目を集めたようだが、グーグルが反論したのは言うまでもない。

google  ザ・タイムズ紙の「グーグル検索と二酸化炭素排出の関連性が明らかになった」への反論(英文)

2019年11月3日

オリンピックの腐敗を憂慮したクーベルタン男爵

古代オリンピックの短距離走(メトロポリタン美術館蔵)

オリンピックの起源には諸説ある。ヘラクレスがギリシャ南部のペロポネソス半島のエーリスを攻略、オリンピアにゼウス神殿を建て、4年に1度、競技会を行ったのが始まりというのが、そのひとつである。時代が大きく下った紀元165年、大観衆で埋まったオリンピック会場の近くで、哲学者ペレグリヌス・プロテウスが焼身自殺した。ヘラクレスの神話上の死をモデルにしたもので、人間世界の腐敗した富に対する抗議だったという。紀元前146年にローマがマケドニアを属州としたのを皮切りに、ギリシャはローマの一部と化した。古代オリンピックはギリシア人以外の参加を認めていなかったが、ローマ帝国が支配する地中海全域の国から競技者が参加するようになった。その変質に悲憤したプロテウスは自殺を予告、葬儀場の火炎に身を投げたのである。さらに392年、ローマ帝国のテオドシウス帝がキリスト教を国教と定めたことで、オリンピア信仰を維持することは困難となった。最後の古代オリンピックが開催されたのは、393年の第293回大会だった。

クーベルタン男爵(1925年)
そのオリンピックを再興したのがクーベルタン男爵ピエール・ド・フレディ(1863–1937)だ。1894年に国際オリンピック委員会(IOC)の設立が決定され、1896年にアテネで第1回近代オリンピックが開催された。有名な「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」は、英米両チームのあからさまな対立により険悪なムードだったロンドン大会(1908年)中の日曜日、礼拝のためにセントポール大寺院に集まった選手を前に、主教が述べた戒めの言葉だった。これを援用してクーベルタンは「勝つことではなく、参加することに意義があるとは、至言である。人生において重要なことは、成功することではなく、努力することである。根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある」と述べたのである。彼はいわばある種の理想主義者で、オリンピックの出場者は「スポーツによる金銭的な報酬を受けるべきではない」と主張した。しかし現在は、オリンピック憲章から「アマチュア(リズム)」という単語は削除されている。世界的なスポーツ界の流れとしても事実上存在しないに等しい。2020n年東京大会のマラソン会場を巡る騒ぎで露呈したように、昨今のオリンピックの商業主義は目に余るものがある。クーベルタンは1927年に「もし輪廻というものが実際に存在し、100年後にこの世に戻ってきたなら、私は自分が作ったものをすべて破壊することでしょう」と演説した。金にまみれたオリンピックは解体すべきだろう。

2019年11月1日

五輪招致から撤退する都市が相次いでいる

バンクシーの壁画「輪を盗んだ」(ロンドン2012年)

東京2020五輪大会のマラソンおよび競歩の会場を巡る一連のゴタゴタ騒ぎは、見方を変えれば、招致そのものに問題があったことを炙り出すという、皮肉な成果があった。エントリー「灼熱東京五輪マラソン会場の札幌移転」で指摘したように、立候補ファイルで、開催期間中の気候が「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」と真っ赤な嘘をついて招致した。開催要件の「7月15日から8月31日まで」は、9月に入ると米国の人気プロスポーツ、バスケットやアメリカン・フットボールなどと重なるため、多額の放映権料を払う米テレビ局に配慮したものだ。春、あるいは秋がベストシーズンだが、開催費用をひねり出すために、いびつな運営形態になってしまっているのが今の五輪である。効果ある暑さ対策を用意できないまま招致した、東京都と日本オリンピック委員会(JOC)、後押しした政府の責任は極めて重い。ところで五輪招致から撤退する都市が相次いでいる。2004年大会は11都市だったが、20年後の2024年大会はわずか2都市だった。
立候補したロサンジェルスは2024年を断念、2028年に開催することになった。要するに2都市の開催順を同時に決めたという異常措置だった。実は2024年大会の立候補に関し、米国オリンピック委員会(USOC)は公式入札をしたが、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ワシントンDCを、ボストンが押しのけた。ところが同市は市民の反対運動で招致から撤退した。反対運動を指揮したクリス・デンプシーは「五輪を開催するための財政的な負担が一番の懸念だった」という。1960年以降の五輪は全ての大会で予算をオーバーしている。英国放送協会(BBC)の記事によると、数十年もの五輪予算を研究してきたオックスフォード大学のベント・フライフヨルグ教授は「誰もが史上最高の五輪にしたいという競争みたいなものがあるのです」「五輪を開催するどの都市も、これまで開催したことがないか、あってもかなり昔なので、その経験を活用できません。つまり、大金が絡むイベントを担当しているのは未経験の人たちなので、費用超過へとつながるのは当然なのです」と語っている。IOC は2032年大会開催の準備し始めたそうだが、早期募集に焦りが滲み出ている。