2019年10月21日

エルドアン大統領と新オスマン主義

ヒジャブを纏ったロングコートの女子学生たち(スルタン・アフメット・ジャミイ)

ロケットマン(クリックで拡大)
イスタンブルの街並みに魅せられて何度か訪問した。トルコのモスクは日本の仏教寺院と違って拝観料を取らないので、歩き疲れると中に入って一休みできる。夏は涼しいし、冬は暖かい。とは言えスルタン・アフメット・ジャミイ、通称ブルーモスクは人気が高く、何時も観光客でいっぱいなので、うたた寝は無理だった。同じ遺跡公園地区にあるアヤ・ソフィア大聖堂は、東ローマ帝国の教会だったが、1453年、オスマン帝国のメフメト2世によってコンスタンティノープルが陥落、モスクに改装された。しかし今は入場料を伴う博物館になっている。この辺りを散策すると、否が応でもオスマン帝国の歴史に興味が注がれてしまう。いろいろ書籍を手にしたが、塩野七生『コンスタンティノープルの陥落』新潮文庫(1991年)が面白い。突然話は飛躍するが、下の写真は2015年5月30日、コンスタンティノープル陥落562周年の行事に出席したレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領夫妻である。トルコは1923年の建国以来、政教分離を徹底した世俗主義を国是とし、軍部など世俗派エリート層が国政を支配、女性が公共の場でヒジャブを着用するのも禁止された。しかしイスラーム復権運動の政治運動の象徴であるヒジャブを夫人は着用している。髪を布で隠すというのは前近代的だと思うが、規制が緩和され、なし崩し的に破られたようだ。

エルドアン大統領とヒジャブを着用したエミネ夫人(2015年)
滞在中に「ヒジャブを纏う権利もある」と主張する女子学生がいたのが印象的だった。何も着けていない観光客にルーサリーを貸しているモスクもあった。陰にちらつくのは「新オスマン主義」である。ローザンヌ条約(1923年)でトルコはオスマン帝国が保有していた領土の残りを放棄した。ところが公正発展党を設立し、大統領になったエルドアンはオスマン帝国の遺産を復活させようとしているのである。ご存知、シリア北部でクルド人民防衛隊 YPG と ISIS 掃討作戦をしていた米軍が撤退した途端、トルコは同地域に進攻した。トルコと米国は YPG が国境沿いから撤退する時間を与えるためとして、作戦を5日間停止することで合意した。しかしその後も一部で戦闘が続いているようだ。トルコは YPG をテロ組織とみなし、その根絶に躍起となっているが、新オスマン主義は、多くの西欧諸国との関係も断ち切った。背後にある真の動機は、旧オスマン帝国の影響を最大化することであると考えているのである。オスマン帝国はそのピーク時に、バルカン半島、現代の中東の大部分、北アフリカ沿岸の大部分、およびコーカサスを支配した影響力のある世界大国だった。帝国を築いてスルタンになりたいのだろうか、エルドアンは歴史の亡霊に翻弄されている。

0 件のコメント: