かれこれ二十数年前、アイルランド共和国の片田舎で出会った光景だ。牛の群れが道路を塞ぎ、私が乗っていたバスがストップした。よく見ると向こうからやって来た車が何台も止まっている。牛追いの男ふたりが、ゆっくりと放牧を終えた群れを牛舎に誘導しているのだが、家畜優先、車はじっと待つのみであった。牧畜には文字通り、このような牧歌的な雰囲気が連鎖し、時間が緩慢に流れているような気がする。スピードを求めないスローライフこそ、本来あるべき生活様式ではないかと私はイメージしている。
牛追い(アイルランド共和国クレア郡ドゥーリン村)
栃木県にある宮内庁の御料牧場は、口蹄疫や豚コレラ、鳥インフルエンザなどの伝染病の侵入防止のため、抽選で制限した一般の見学会が行われているが、特別の許可を得て写真撮影をする機会があった。皇室専用の牧場で、さまざまな家畜や家禽が飼育され、牛乳・肉・卵および野菜などの生産を行っている。ここで得られた生産物は皇室の日常の食材、そして宮中晩餐や園遊会などに使われる。この牧場で一番印象に残ってるのが、広い敷地を脱兎のごとく走り回る豚で、その運動量ゆえか身が引き締まり痩せていたことである。狭い豚小屋を連想していた私にとって、その光景はまさに青天の霹靂(へきれき)であった。皇室の食材といえば、キッコーマンの御用蔵のしぼりたて生醤油を思い出す。御料牧場や御用蔵は、食の安全に対し最大級の配慮がなされてることは容易に想像できる。御料牧場のような、放し飼いの家畜といえば、高知県の「土佐ジロー」を思い出す。土佐地鶏とアメリカ原産のロードアイランドレッドをかけ合わせた、一代雑種の鶏だが、広い自然の運動場で飼育されている。このような養鶏法が世間に注目され、支持を受けているのは、自然ではない人工的な空間に、鶏たちが押し込めらている飼育環境が大半であることの証であろう。いわゆるブロイラー養鶏で、日本が最大の輸出国であることを忘れてはならない。
|
講談社(1979年) |
ルース・ハリソン(1920–2000)著『アニマル・マシーン』は工業的畜産とはいったい何だろうか、集約的飼育とはどのようなものだろうかという問いかけを序章に、まずイギリスにおけるブロイラー・チキンの問題点から持論を発進、近代畜産を告発した最初の書となった。原著は1964年にロンドンで初版が発行され、翌1965年にはドイツ語版が出た。続いてオランダ語訳、ノルウェイ語訳、デンマーク語訳、そしてアメリカでも出版された。発売と同時に非常に大きな反響を呼び、ヨーロッパにおける畜産動物福祉の社会的、また法的、そして学問的取り組みを促す原動力となったのである。イギリス政府は科学者による技術諮問機関、ブランベル委員会(Brambell committee)に、家畜の飼育実態と福祉に関する調査を委嘱した。この委員会が、動物福祉の原則として最初の「5つの自由」を提言している。
- Freedom from Hunger and Thirst(空腹や渇き、栄養不良に陥らない自由)
- Freedom from Discomfort(不快な状態に置かれることのない自由)
- Freedom from Pain, Injury or Disease(痛み、危害、病気で苦しまない自由)
- Freedom to Express Normal Behaviour(明確で正常な行動を表現できる自由)
- Freedom from Fear and Distress(恐怖や苦痛からの自由)
日本では1971~72年に雑誌に抄訳が紹介された。そして本書が日本における初めての完訳出版となった。著者は日本語版への序文で次のように書いている。「私が本書のなかで論じているのは、家畜動物の取り扱いをどうするかの問題だけではない。むしろ私がほんとうに関心をもって論じたのは、私たち自身の生活の質が落ちてきており、これにどう対処すべきか、という点であった。(途中略)本書は動物の受難を扱っている。視力が落ちて見えなくなった目を彼らの受難に向けて、凝っと見て我が身を振り返り考えていただきたい。私たち人間自身もだんだん力が衰えてきたのではなかろうか。人間による人間の扱いの点でもいよいよ冷酷無情になっているのではなかろうか」と。ブロイラー・チキンの問題点を突いた2章に続いて、3章「ニワトリ処理場:<製品>となるための最後の恐怖」4章「ケージ養鶏:ニワトリ<工場>の狂気」5章「ヴィール・カーフ:貧血地獄にあえぐ幼い命」6章「家畜工場のいろいろ:他の動物の場合」7章「“たべもの”の質とは:<食品>ではなくてたべものを!」9章「食品の“質”を問う:毒物の洪水のなかで」と筆を進めている。すなわち「近代畜産」とその生産物の安全性に関し、鋭い警告を放っている。「何かが間違っている」と。
|
草なんだゾ、このバカ野郎! 食うはずなんだが……忘れたのか?(アニマル・マシーン) |
ハリソンは設立当初から土壌協会と自然保護協会の理事であり、王立動物虐待防止協会の活動、および人間の社会福祉活動にもたずさわってきた女性である。本書は「動物工場」の批判書であるが、その真髄は、9章「動物の虐待と法的規制:動物にも苦痛はある」の記述、すなわち家畜の福祉に言及していることだと思う。人間が家畜を飼うようになって以来、屠殺して肉を食べたりその皮革を利用することは当たり前のことだったが、それに対する新たなメスを入れたことだ。上述したようにブランベル委員会勧告により農務省に家畜福祉に関する審議会が設置されることになったわけだが、ハリソンはその委員となり、欧州理事会における動物保護に関する専門家会議の助言者として発言、また米国議会の公聴会で証言するなど、畜産動物の保護のために公的な発言を行った。日本語版への序文は「本書は動物の受難を扱っている。視力が落ちて見えなくなった目を彼らの受難に向けて、凝っと見て我が身を振り返り考えていただきたい。私たち人間自身もだんだん力が衰えてきたのではなかろうか。人間による人間の扱いの点でもいよいよ冷酷無情になっているのではなかろうか」と結んでいる。本書は70年代末から絶版のままである。口蹄疫や豚コレラ、鳥インフルエンザなどの家畜伝染病が猛威を振ってる今日、その問題点を探る上で意味深い一冊ではないだろうか。復刻を望みたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿