茅の輪のくぐり方 |
2019年6月27日
茅の輪くぐりのカヤには災厄が宿っている
2019年6月25日
高額で売買される生け捕りのイルカ
ザ・コーヴ (2009年) |
ピーター・シンガー(1986年) |
2019年6月20日
月火水曜が5回の月は823年に1回という流言
月火水曜が5回の2019年7月のカレンダー
2012年10月のカレンダー |
GOOD LUCK EVERYONE!! This year (2012) October has 5 Mondays, 5 Tuesdays and 5 Wednesdays. This happens once every 823 years. This is called money bags. So copy this to your status and money will arrive within 4 days. Based on Chinese Feng Shui. The one who does not copy, will be without money. Copy within 11 mins of reading. Can’t hurt so I did it. 🙂
2018年1月のカレンダー |
2019年6月18日
ウィンドウズ 10 アップデート顛末記
5月21日から Windows 10 バージョン 1903 の提供が始まったが、私のところにも通知が来たのでインストールした。1903 では「Windowsサンドボックス」「パスワードレスのサインイン」「不要なアプリケーションをアンインストール」といった新しい機能が加えられたが、なかでも私が興味を持ったのは「RAW 画像形式のサポート」である。Microsoft ストアから公式の Raw Image Extension をダウンロードしてインストールするだけで、RAW 画像のサムネイルとプレビューを表示できるようになった。この拡張機能は、一般的な RAW 画像フォーマットのほとんどをサポートしているようだ。表示されたサムネイルをクリックすると Windows 10 のアプリケーション「フォト」が起動、写真の整理や閲覧ばかりではなく、明るさや色味の変更、傾きの是正やトリミングなどの写真加工ができる。またプロパティダイアログには EXIF データも示される。撮影したカメラに適応したソフトを起動せずに、エクスプローラのみで作業できるのは便利で有難い。
アップデートして戸惑ったのは、サインイン時に背景画像がボケてしまうことだった。調べてみると、対処方法はレジストリの編集、または透明効果を無効にする、というふたつの方法があるという。レジストリの編集はいささかややこしい。せっかくの透明効果を無効にするのはもったいない。前者の方法については少し勉強してからにしようと思う。そこでサインイン時にロック画面の背景画像表示を「オフ」にして単色に変更。スポットライトと呼ばれる画像はなかなか素晴らしく愉しみだったが、ロック画面のみで我慢と割り切ることにした。どうやらこの変更により、画像の読み込みが省かれたので、起動が若干早くなったような気がする。[*]
いくつかの点で、前バージョンの状態に戻ってしまった機能がある。そのひとつが IME 切り替え時に「あ」や「A」が再び一瞬出るようになったことだ。この入力モード切替の通知をオフにしたほうが生理的に好ましい。どうやるのか忘れてしまったのでネット検索したところ、インジケーター領域の言語バーの任意のアイコンを右クリックし、メニューから「プロパティ」を選択し「画面中央に表示する」のチェックを外せばよい、と解説されている。ところが「プロパティ」が出ない。試行錯誤の上、言語バーの一番右、ツールボックスのアイコンを右ではなく、左クリックしたら「プロパティ」が出た。極めて些細なことだが、意外と手こずってしまった。
[*] 再チェックしたところ、この不具合は修正され「サイイン画面にロック画面の背景画像表示する」をオンに変更しても画像がボケなくなりました。(6月28日)
アップデートして戸惑ったのは、サインイン時に背景画像がボケてしまうことだった。調べてみると、対処方法はレジストリの編集、または透明効果を無効にする、というふたつの方法があるという。レジストリの編集はいささかややこしい。せっかくの透明効果を無効にするのはもったいない。前者の方法については少し勉強してからにしようと思う。そこでサインイン時にロック画面の背景画像表示を「オフ」にして単色に変更。スポットライトと呼ばれる画像はなかなか素晴らしく愉しみだったが、ロック画面のみで我慢と割り切ることにした。どうやらこの変更により、画像の読み込みが省かれたので、起動が若干早くなったような気がする。[*]
Windows 10 言語バー |
[*] 再チェックしたところ、この不具合は修正され「サイイン画面にロック画面の背景画像表示する」をオンに変更しても画像がボケなくなりました。(6月28日)
2019年6月15日
ホルムズ海峡タンカー攻撃と安倍外交の破綻
6月15日午前7時30分(日本時間正午)のホルムズ海峡周辺の船舶
タンカーの消火にあたるイラン海軍艇 |
ハーメネイー師(右)に仲介提言を一蹴された安倍首相 |
2019年6月12日
豊田勇造 70歳記念 70曲フリーコンサート
画像をクリックすると拡大表示されます
日 時: | 2019年7月6日(土)15:30~19:00 |
---|---|
会 場: | 円山公園音楽堂(京都市東山区円山町)075-255-5816 |
入 場: | 無料(雨天決行) |
出 演: | 豊田勇造 YUZO BAND SPECIAL 筒井ケイメイ(harmonica)仲豊夫(guitar)山田晴三(bass)永見潤(percussion)続木徹(piano)長田タコヤキ(steel guitar)ドクター兼松(pianica)ダーリン高井(djembe)ユン・ツボタジ(percussion)羽栗唯明(guitar)ほかゲストあり |
主 催: | 豊田勇造音楽事務所(http://www.toyodayuzo.net/) |
60 歳になった時に、レイ・チャールズの「ひとりのエンターティナーが30年も生き残っていられるなら、そのエンターティナーは聴衆になにか恩返しをした方がいい」という言葉に倣って、京都・円山音楽堂で「60 歳 6 時間 60 曲・フリーコンサートを開催しました。 この時からさらに10年間歌い続けてこれたことへのお礼の気持ちを込めて、今回の「70 歳記念 70 曲フリーコンサート」です。 前回と同じく日本中から、世界中から、聴きに、楽しみに、祝いに来てもらえたら嬉しいことです! フリーコンサートです。友達を誘って、気楽に好きな時間においでください。お待ちしています。(豊田勇造)
豊田勇造70歳記念70曲コンサートのフライヤーの表示とダウンロード(PDFファイル 286KB)
2019年6月10日
富士フイルムが黒白フィルムの開発を再開
ネオパン100 ACROS は 135から 中判 120 大判 4x5 8x10 まで揃っていた
新開発の ネオパン100 ACROS II |
当社独自の「Super Fine-Σ粒子技術」[*]を採用することにより、感度ISO100の黒白フィルムとして世界最高水準の粒状性を実現。長い間「ネオパン100 ACROS」を愛用してきた。非常に優れた製品で、世界的にも評価が高かったため、まさか生産中止になるとは思っていた。それだけに製造中止に強いショックを受けたたことが思い出される。富士フイルムは「イメージング分野におけるリーディングカンパニーとして今後も"アナログからデジタルまで"幅広い分野において多様化するお客さまのニーズにお応えし、より良い製品・サービスを提供し続けることで、一枚の写真の持つ力、素晴らしさを伝えつづけます」と誠に心強い宣言をしている。この勢いで大判用もぜひ復活して欲しいが、いささか無理な注文かも知れない。それはともかく、デジタル全盛の時代、唐突感は否めない。復活の理由は「フィルム愛好家をはじめフィルム独特の風合いによる写真を好むSNS世代の若年層を中心に、当社の黒白フィルムの販売継続を望む声が多く寄せられたことを受けて」だという。忘れかけていた懐かしいフィルムだが、若い世代の要求に応えたという点が二重に嬉しい。
当社従来品「ネオパン100 ACROS」に比べハイライト部の階調をメリハリのある設計とし、立体的な階調再現が可能。
世界最高水準のシャープネスにより、被写体の輪郭を強調した描写が可能。
[*] 写真フィルムに含まれるハロゲン化銀粒子のサイズと、その組成を精密にコントロールすることで、感度と優れた粒状性を両立させ、プリントの高画質化に寄与する技術。
2019年6月9日
ウッディとバズ・ライトイヤーが帰ってきた
玩具をボニーに託したアンディ(トイ・ストーリー3) |
“おもちゃにとって大切なことは子供のそばにいること”―― 新たな持ち主ボニーを見守るウッディ、バズら仲間たちの前に現れたのは、彼女の一番のお気に入りで手作りおもちゃのフォーキー。しかし、彼は自分をゴミだと思い込み逃げ出してしまう。ボニーのためにフォーキーを探す冒険に出たウッディは、一度も愛されたことのないおもちゃや、かつての仲間ボーとの運命的な出会いを果たす。そしてたどり着いたのは見たことのない新しい世界だった。最後にウッディが選んだ“驚くべき決断”とは…?果たしてどんなストーリーになるのだろうか。日本語版公式サイトにはこのような説明が掲載されている。小説もそうだが、過剰なあらすじ紹介は禁物であるので、この程度がほどほどだろう。公開が楽しみだ。
日本語版予告編「トイ・ストーリー4」ウッディ、バズ…そして新しい仲間 "フォーキー" 登場!
2019年6月8日
開花した平野神社の斑入額紫陽花
平野神社(京都市北区平野宮本町)
雨が続いたので梅雨入りかと思ったが、目が醒めると曇り空で降っていない。5月下旬にポストした「夏草や君わけ行けば風薫る/正岡子規」で、平野神社の斑入額紫陽花(フイリガクアジサイ)について触れたが、散歩がてら、その後の様子を窺いに出かけた。青い実のようだった中心部の蕾が開花、周囲を取り巻く白い萼片(がくへん)も成長している。斑入額紫陽花は前回書いたように、葉に白い斑が入っているのが特長だ。花は花びらが主役なのに、葉に惹かれるという不思議な紫陽花だ。というか、開花前でも鑑賞できるから、人気があるとも言えそうだ。江戸時代に品種改良された園芸種で「恋路ヶ浜」の名がついている。何やら故事来歴がありそうなので調べてみたが、愛知県田原市の恋路ヶ浜とも関係ないようだし、その名の由来は不明である。
2019年6月7日
ウディ・ガスリーが過ごしたグレイストーンパーク精神病院
廃墟と化したニュージャージー州グレイストーンパーク精神病院(Photo by ©Julia Wertz)
Ramblin' Jack Elliott & Woody Guthrie ©1961 John Cohen |
Woody Guthrie's Wardy Forty: Greystone Park State Hospital Revisited by Phillip Buehler
2019年6月6日
第47回 七夕コンサート
日 時:6月29日(土)30日(日)開場 17:30 開演 18:30
会 場:ライブハウス「拾得」(京都市上京区大宮通丸太町上る)075-841-1691
出 演:豊田勇造/三浦久/中山ラビ/古川豪
料 金:予約 3,500円 当日 4,000円 2日間通し 2,000円増し 小中学生半額(飲食別)
照 会:七夕オフォス(京都市北区紫野上門前町21)f.go@titan.ocn.ne.jp
会 場:ライブハウス「拾得」(京都市上京区大宮通丸太町上る)075-841-1691
出 演:豊田勇造/三浦久/中山ラビ/古川豪
料 金:予約 3,500円 当日 4,000円 2日間通し 2,000円増し 小中学生半額(飲食別)
照 会:七夕オフォス(京都市北区紫野上門前町21)f.go@titan.ocn.ne.jp
2019年6月2日
夏河を越すうれしさよ手に草履/与謝蕪村
愛宕念仏寺(京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町)
清滝隧道の手前「愛宕寺(おたぎでら)前」で京都バスを降りると、すぐ目の前が仁王門だった。門をくぐると夥しい数の羅漢が迎えてくれた。坂を上って本堂前に出ると、その数はさらに増し、山あいの斜面にまでびっしり並んでいる。五百羅漢という言葉は、釈迦の涅槃時に立ち会った弟子たちの数に由来するが、境内にはなんと1,200体の像が奉納されているそうだ。つまり千二百羅漢というわけだ。当初は500体だったが、後に700体が追加されたという。羅漢たちは、まさに1,200の顔を、1,200の心を持っている。怒りの表情はごく僅かで、みな和やかにほほ笑んでいる。1980年、仁王門の解体修理を機に、仏像彫刻家だった前住職の西村公朝氏が呼びかけ、一般の人々が彫ったものだそうだ。この石像群のことを教えてくれたのは、仕事仲間だった穴吹史士君だった。羅漢を奉納するために寄進、自ら彫るつもりだったが仕事に忙しく、どうやら友人に託したようだ。しかし迂闊にもどの石像か訊かず終いになってしまった。訊かず終いになったと過去形で書いた。すべてを追憶の過去に戻さねばならないが、1980年代初頭のことを明瞭に憶えているわけではない。
だから残った印刷物から組み立てるしかない。週刊朝日のグラビアページ編集を担当していた穴吹君と一緒に仕事をしたのは、1981年、東アフリカのケニア取材旅行だった。企画は彼の友人だった共同通信の岡崎記者から持ち込まれたもので、JTBのツアーに同行するものだった。アバーディア国立公園の樹上ホテル「ツリートップス」に泊まることができたのが印象的だった。一行と別れた私は、山崎豊子の小説『沈まぬ太陽』のモデルといわれた小倉寛太郎氏率いるサバンナクラブとタンザニアで合流した。その中にライオンなどの哺乳類に背を向け、ひたすら双眼鏡で鳥を観察し続ける人がいた。当時NHK文化センターに勤めていた松平康氏だった。母方の叔父が鳥類学の先駆者、蜂須賀正氏博士で、松平氏自身も大の鳥好きだったのである。この旅行の縁が、週刊朝日の新しいアウトドア企画に繋がったのである。「BE-PALも売れてるし、一般誌でもネイチャーを取り上げないと」というのが言い分だった。良いものは堂々と真似をしようという実利主義である。
無論その場合、オリジナルにない工夫を怠らなかったのは言うまでもない。同じ年の秋に新潮社から写真週刊誌 FOCUS が刊行されたが、これが売れた後に、彼は週刊朝日に「アクショングラビア」を創設する。例によってやはり「真似しない手はない」という哲学であった。私も参画したが、彼の方法論を密かに「浪花のアナキズム」と呼んだことを思い出す。洒脱な彼は、実は典型的な大阪人だったのである。昭和天皇が崩御した1989年1月、私は京都に舞い戻り、穴吹君とは仕事場を分かつことになってしまった。西暦2000年のミレニアム、朝日新聞日曜版で『名画日本史』の連載が開始された。その取材キャップが穴吹君だった。再び彼と仕事を共にする機会が巡ってきた。一緒に雑誌の取材をした仲だったが、今度は新聞が舞台だった。ただ日曜版なので、文字通り週刊誌的な仕事、このシリーズの写真撮影が楽しみになったのはいうまでもない。その年の夏、私と穴吹君は筆者の森本哲郎氏と共に丹後への取材旅行に出た。与謝蕪村の足跡を辿る旅だった。蕪村がしばしば訪れたという与謝郡加悦町の施薬寺前の小川に立った私は、草むした小さな橋を撮った。もしかしたら「夏河を越すうれしさよ手に草履」と詠まれた小川かもしれないかと思ったからだ。天橋立の旅館に辿りついた私たちは、お酒をしこたま呑んだ。美酒に酔いながら「大腸ガンの手術をしてね」と穴吹君は笑った。そして時が流れ、2010年、風の便りに彼が他界したことを知った。ガンが転移したのだろう。あれから40年、愛宕念仏寺の羅漢たちは揃って苔を纏い、落ち葉を背にしている。どの石像か分かれば今度は花を手向けようと思う。
アンボセリ国立公園のサファリバス(1981年) |
朝日新聞社刊『名画日本史』より(クリックで拡大) |
無論その場合、オリジナルにない工夫を怠らなかったのは言うまでもない。同じ年の秋に新潮社から写真週刊誌 FOCUS が刊行されたが、これが売れた後に、彼は週刊朝日に「アクショングラビア」を創設する。例によってやはり「真似しない手はない」という哲学であった。私も参画したが、彼の方法論を密かに「浪花のアナキズム」と呼んだことを思い出す。洒脱な彼は、実は典型的な大阪人だったのである。昭和天皇が崩御した1989年1月、私は京都に舞い戻り、穴吹君とは仕事場を分かつことになってしまった。西暦2000年のミレニアム、朝日新聞日曜版で『名画日本史』の連載が開始された。その取材キャップが穴吹君だった。再び彼と仕事を共にする機会が巡ってきた。一緒に雑誌の取材をした仲だったが、今度は新聞が舞台だった。ただ日曜版なので、文字通り週刊誌的な仕事、このシリーズの写真撮影が楽しみになったのはいうまでもない。その年の夏、私と穴吹君は筆者の森本哲郎氏と共に丹後への取材旅行に出た。与謝蕪村の足跡を辿る旅だった。蕪村がしばしば訪れたという与謝郡加悦町の施薬寺前の小川に立った私は、草むした小さな橋を撮った。もしかしたら「夏河を越すうれしさよ手に草履」と詠まれた小川かもしれないかと思ったからだ。天橋立の旅館に辿りついた私たちは、お酒をしこたま呑んだ。美酒に酔いながら「大腸ガンの手術をしてね」と穴吹君は笑った。そして時が流れ、2010年、風の便りに彼が他界したことを知った。ガンが転移したのだろう。あれから40年、愛宕念仏寺の羅漢たちは揃って苔を纏い、落ち葉を背にしている。どの石像か分かれば今度は花を手向けようと思う。
こだわりの AIC 才人・穴吹史士が残した遺産(朝日新聞デジタル20周年特集)
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