2017年2月18日

南部アパラチアで英国古謡を蒐集した民謡研究家


ソングキャッチャー
私は当ブログとは別に「アメリカンルーツ音楽」という、いささかマニアックなブログを持っている。アメリカンルーツ音楽が好きというと、何故、と聞かれることが多い。いわく説明し難いし、書き出したら長文になりそうなので、いずれ詳しく書くことにし、今回は割愛する。アメリカンルーツ音楽はアメリカーナとも呼ばれ、この10数年以上に渡ってブームが続いている。その要因を三つの映画、すなわち『オーブラザー』『コールドマウンテン』『ソングキャッチャー』が引き金となったのではないかと私は推測している。1960年代にフォーク・リバイバル運動が起こり、ボブ・ディランやジョーン・バエズなどが世に出た。それは英国にも伝播し、ミック・ジャガーやジョン・レノンなどに大きな影響を与えた。そして興味深いのは、彼ら60年代のミュージッシャンが少年時代に聞き親しんだ、20世紀初頭から40年代に至る商業レコードが、現代に蘇り復活しているという現象である。さらにこれらから派生したアメリカーナが、英国やアイルランドに逆輸入されていることは特筆に値する。

セシル・シャープ
マサチューセッツ州ウェストメドフォード生まれのオリーブ・アーノルド・デイムは1907年にジョン・C・キャンベルと結婚、アパラチアの山の中に入り夫と民謡蒐集する。夫の死後、その遺志を継いで1925年、ノースカロライナ州ブラスタウンに学校を共同設立、生涯にわたって教育活動を続けた。映画『ソングキャッチャー』の主人公、ジャネット・マクティア演ずる音楽学者リリー・ペンレリック博士は、明らかにオリーブとオーバーラップする。リリーはこの山岳地帯で教師をしている妹を訪ねたのだが、少女が歌った「バーバラ・アレン」を聞いて驚愕する。これは英国に伝わる古謡で、オリジナルを彷彿とさせる旋律で歌われたからだ。どこで習ったの、という問いに、少女は代々伝わってきたものだという意味の答えをする。いわばこれは伝承音楽史上の大発見であった。アメリカのフロンティアは「開拓」によって、西へ、西へと進んだが、この山岳地帯は取り残されて陸の孤島と化した。そしてイングランドやアイルランドからの移民たちが、本国の文化習慣をこの地帯に温存させたのであった。学校が放火に遭い焼失、蒐集した楽譜やシリンダー式録音機に記録した音源を失う。そして恋仲となった男と、山の音楽を商業化するために都会に出る。そしてこの発見を立証するためにやってきた英国の民謡蒐集家とすれ違うところで映画は終わる。

南部アパラチアの英国民謡
この蒐集家は明らかに英国の民謡研究家セシル・シャープ(1859-1924)をモデルとしたものだ。史実では、オリーブとシャープは蒐集した歌を『南部アパラチアの英国民謡』(English Folk Songs From The Southern Appalachians)という著書として結実させ、オックスフォード大学から出版された。しかし映画にはいくつかの脚色が含まれている。例えば妹が同性愛者と描かているが、これに関しては若干不明であるが、おそらく事実ではないだろう。山を下りてレコード制作をするというのもフィクションである。1927年、テネシー州ブリストルでRCAの辣腕ディレクターのラルフ・ピアが、この地帯のミュージシャンを集めて歴史的な録音をする。伝承音楽が商業音楽に変身するきっかけとなった貴重な録音で、今日「ブリストル・セッション」として知られ、CD化されている。オリーブがこのセッションに関係したという記録はないし、彼女は今でも現存するブラスタウンの学校でその生涯を終えたはずである。商業映画というのはどうやら「見せ場」が必要なようだ。だからときに史実を曲げることもある。挿入歌にはエミルー・ハリスやヘイゼル・ディッケンズなどのカントリー音楽の歌い手も加わっているのだが、史実と違う「ドラマ」と割り切ったのだろうか。私自身は史実通りでも十分楽しめる音楽映画になったのじゃないかと今でも残念に思っている。多くのアメリカ人が、この映画によって自国の伝承音楽に興味を抱いたようだが、間違った歴史をインプットされたことは間違いないと私は思う。

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