2017年2月27日

安倍政権と森友学園と維新の会の怪しい三角関係


森友学園による国有地仰天不正取得が発覚したのは今月初めだったが、衆議院の上西小百合議員が2月17日、森友学園と日本維新の会のつながりを示唆する上記のようなツイートをした。これに対し同会代表の松井一郎大阪府知事があわてて打ち消したが、そのうろたえぶりから、逆に事実だと断定できそうである。松井知事は25日、小学校の設立が認可されない可能性に言及した。学園とは個人的関りがないと強調したかったのだろう。その前日の24日、これまでは小池百合子都政の話題ばかりで、森友学園に関しては黙して語らなかった、日本維新の会法律政策顧問の橋下徹前大阪市長が次のようなツイートをした。
価格算定の手続きが不透明過ぎる。廃棄物の撤去費用について鑑定士は鑑定していない。国が撤去費用を見積もり鑑定士は国から言われた撤去費用を前提に土地価格を鑑定。これで鑑定士が全体を鑑定したように装っている。こんなことを役所だけの意思でやるのか。やはり政治介入か。
騙されてはいけない、事件から自らの関与を遠ざける煙幕である。これに対しニュースサイト LITE-RA が「橋下の必死さは何かの裏返しだ。一体、何を焦って何を隠そうとしているのか『しがらみのない立場から既得権益を打破』などと言いながら、維新がこの問題にどう関与していたのか。今後、“二枚舌政党”の正体が明らかになるかもしれない」と切り込んでいる。私は思わず籠池泰典森友学園理事長、安倍晋三首相、橋下徹元大阪市長に、疑惑のトライアングルをイメージしてしまった。癒着の三角関係である。哲学研究者の内田樹氏は「僕はこの事件が安倍政権の『終わりの始まり』になると思っています。強権にへつらう人たちだけが選択的に受益できる仕組みがこの数年で日本のほとんどすべてのシステムに蔓延しました。いつのまにか性根の卑しいやつばかりが威張り散らす社会になった」とツイートしているが、同感である。

2017年2月25日

本性を現した安倍昭恵首相夫人


安倍晋三首相と昭恵夫人

学校法人「森友学園」(理事長・籠池泰典)が4月に開校予定の小学校「瑞穂の國記念小學院」の公式サイトから、名誉校長として紹介されていた安倍昭恵首相夫人の顔写真と挨拶文が削除された。よほどどやましいことがあるのだろう。同学園をめぐっては、鑑定評価額9億5600万円の国有地を、新設小学校用地として実質200万円で購入したと公表され、土地取得の経緯について疑問の声がでている。昭恵夫人は同校の名誉校長を辞任したわけだが、国会で追及された首相は「引き受けていることで子どもたちや保護者に迷惑をかける。妻と話し、退くことになった」と説明。逆ギレ気味に森友学園側との「無関係」を強調したが、関係ないなんて誰も信じないだろう。24日の衆院予算委員会で日本共産党の宮本岳志議員が「このような奇怪なことは政治家の関与なしには起こりえない」と主張したが、その通りである。首相が一番怪しいのと思うのは私だけだろうか。自らを被害者に仕立て、逃げ切ろうとしているようだ。削除された昭恵夫人の挨拶文は以下の通りだった。
籠池先生の教育に対する熱き想いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させていただきました。瑞穂の國記念小學院は、優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます。 そこで備わった「やる気」や「達成感」「プライド」や「勇気」が、子ども達の未来で大きく花開き、其々が日本のリーダーとして国際社会で活躍してくれることを期待しております。
昭恵夫人は、原発、安保法制、米軍基地問題など首相とは真逆の政治信条を表明し「家庭内野党」云々(でんでん)という評判があった。昨年8月、政治活動家三宅洋平の案内で沖縄県国頭郡高江でヘリパッド建設に反対する住民のテントを突然訪ねた。いかにも住民運動に理解を示そうとした行動に見える。ところが産経新聞7月9日付け電子版によると、参院選の島尻安伊子候補の応援のため、那覇市内で街頭演説を行い「(首相は)独裁者で戦争をするといわれているが、そんなことはない。この国に生まれてきた良かったと思ってもらえるよう、必死に頑張っている」と絶叫調で支持を訴えていたのである。まさに「家庭内野党」が、巧みな偽装であることを露呈した。今回の「瑞穂の國記念小學院」の一件で、さらに分かりやすい形で本性を現したようだ。一国の首相夫妻が、極右教育の学校に関わったにも関わらず、関係ないないという一言で済まされる問題ではない。

2017年2月19日

東芝を批判する英国湖水地方の反原発活動家たち

マリアンヌ・バークビーさん(右)と仲間たち

ムーアサイド原発(完成予想図)
日本経済新聞2月14日付け電子版によると、東芝は米原子力事業で巨額損失を計上することを受け、英国で進める原発新設計画の運営会社、ニュージェネレーション(NuGen)の持ち株を韓国電力公社に売却する検討を始めたという。NuGen は英国北西部カンブリア郡ムーアサイドで、2024年をめどに原発3基を稼働させる計画を持つ。米原子炉開発製造会社ウェスチングハウスが設計から建設、原子炉納入まで手がけることがほぼ固まっていたが、東芝は原発の建屋の新規建設から撤退し、廃炉やメンテナンスなどに注力する方針に転換すると発表した。しかし今のところ、計画自体が撤回されたわけではないようだ。ところで計画地ムーアサイドは7世紀の修道院の跡地に、12世紀に建てられた聖ブリット教会がある。いわば歴史的遺産があるこの村では、当然のことながら原発反対運動が起きている。アーティストのマリアンヌ・バークビーさんらの活動家グループ「放射能なき湖水地方」は、原子炉の製造元である東芝を激しく批判している。東芝を巡っては事態が流動的で、情報が錯綜している感がある。新聞各紙によれば、稼ぎ頭のメモリ事業を手放し「廃炉や保守などの原発事業を継続し、社会的責任を果たす」と社長が記者会見で何度も強調しているようだ。これは安倍政権の顔色を窺っての発言と考えて良いのではないだろうか。成長戦略の一環という名のもとに、日本が官民あげて血眼(ちまなこ)になっている、原発輸出にブレーキをかけることこそが私たちの責務である。以上、いささか物足りない投稿になってしまったが、新たな進展があればまた取り上げてみたい。

No Nukes
Radiation Free Lakeland
: Preventing the Lake District from becoming a nuclear sacrifice zone.

2017年2月18日

南部アパラチアで英国古謡を蒐集した民謡研究家


ソングキャッチャー
私は当ブログとは別に「アメリカンルーツ音楽」という、いささかマニアックなブログを持っている。アメリカンルーツ音楽が好きというと、何故、と聞かれることが多い。いわく説明し難いし、書き出したら長文になりそうなので、いずれ詳しく書くことにし、今回は割愛する。アメリカンルーツ音楽はアメリカーナとも呼ばれ、この10数年以上に渡ってブームが続いている。その要因を三つの映画、すなわち『オーブラザー』『コールドマウンテン』『ソングキャッチャー』が引き金となったのではないかと私は推測している。1960年代にフォーク・リバイバル運動が起こり、ボブ・ディランやジョーン・バエズなどが世に出た。それは英国にも伝播し、ミック・ジャガーやジョン・レノンなどに大きな影響を与えた。そして興味深いのは、彼ら60年代のミュージッシャンが少年時代に聞き親しんだ、20世紀初頭から40年代に至る商業レコードが、現代に蘇り復活しているという現象である。さらにこれらから派生したアメリカーナが、英国やアイルランドに逆輸入されていることは特筆に値する。

セシル・シャープ
マサチューセッツ州ウェストメドフォード生まれのオリーブ・アーノルド・デイムは1907年にジョン・C・キャンベルと結婚、アパラチアの山の中に入り夫と民謡蒐集する。夫の死後、その遺志を継いで1925年、ノースカロライナ州ブラスタウンに学校を共同設立、生涯にわたって教育活動を続けた。映画『ソングキャッチャー』の主人公、ジャネット・マクティア演ずる音楽学者リリー・ペンレリック博士は、明らかにオリーブとオーバーラップする。リリーはこの山岳地帯で教師をしている妹を訪ねたのだが、少女が歌った「バーバラ・アレン」を聞いて驚愕する。これは英国に伝わる古謡で、オリジナルを彷彿とさせる旋律で歌われたからだ。どこで習ったの、という問いに、少女は代々伝わってきたものだという意味の答えをする。いわばこれは伝承音楽史上の大発見であった。アメリカのフロンティアは「開拓」によって、西へ、西へと進んだが、この山岳地帯は取り残されて陸の孤島と化した。そしてイングランドやアイルランドからの移民たちが、本国の文化習慣をこの地帯に温存させたのであった。学校が放火に遭い焼失、蒐集した楽譜やシリンダー式録音機に記録した音源を失う。そして恋仲となった男と、山の音楽を商業化するために都会に出る。そしてこの発見を立証するためにやってきた英国の民謡蒐集家とすれ違うところで映画は終わる。

南部アパラチアの英国民謡
この蒐集家は明らかに英国の民謡研究家セシル・シャープ(1859-1924)をモデルとしたものだ。史実では、オリーブとシャープは蒐集した歌を『南部アパラチアの英国民謡』(English Folk Songs From The Southern Appalachians)という著書として結実させ、オックスフォード大学から出版された。しかし映画にはいくつかの脚色が含まれている。例えば妹が同性愛者と描かているが、これに関しては若干不明であるが、おそらく事実ではないだろう。山を下りてレコード制作をするというのもフィクションである。1927年、テネシー州ブリストルでRCAの辣腕ディレクターのラルフ・ピアが、この地帯のミュージシャンを集めて歴史的な録音をする。伝承音楽が商業音楽に変身するきっかけとなった貴重な録音で、今日「ブリストル・セッション」として知られ、CD化されている。オリーブがこのセッションに関係したという記録はないし、彼女は今でも現存するブラスタウンの学校でその生涯を終えたはずである。商業映画というのはどうやら「見せ場」が必要なようだ。だからときに史実を曲げることもある。挿入歌にはエミルー・ハリスやヘイゼル・ディッケンズなどのカントリー音楽の歌い手も加わっているのだが、史実と違う「ドラマ」と割り切ったのだろうか。私自身は史実通りでも十分楽しめる音楽映画になったのじゃないかと今でも残念に思っている。多くのアメリカ人が、この映画によって自国の伝承音楽に興味を抱いたようだが、間違った歴史をインプットされたことは間違いないと私は思う。

2017年2月15日

稲田防衛相の代打答弁が裏目に出た安倍首相

Japan's New Defense Minister (Cagle.com, Aug 2016)

朝日新聞2月14日付け電子版によると、14日の衆院予算委員会で民進党の辻元清美氏が、稲田朋美防衛相にイスラム国(ISIL)をめぐるシリアの内戦は「戦闘か、衝突か」と質問した。これは2月8日の衆院予算委員会で、南スーダンPKOに派遣されている陸上自衛隊の日報に「戦闘があった」との記載があった問題で「国会答弁する場合、憲法9条上の問題になる言葉(戦闘)は使うべきでないから、武力衝突という言葉を使っている」と答弁したことに対するものであった。「戦闘」なら派遣部隊を撤退させなければならなくなるので「衝突」と言い換えたというのである。つまりこれは表現を変えれば、憲法を犯しても構わないというとんでもない理屈である。そこで分かり易い事例として、シリアの内戦はどうなのかと辻元氏は畳みかけたのだが、稲田氏は「法的評価をしていない」と繰り返すばかり。これに助け舟を出したのが安倍晋三首相で、代わりに答弁に立ち「ISILに対する軍事作戦の後方支援は政策的に考えていないと言っているので(戦闘か衝突かは)検討していない」と答弁した。日本は有志連合に名を連ねているし、シリア情勢に関し何らかの判断をしているはずである。明らかに「戦闘」であっても、先の南スーダンの「戦闘」に関する答弁の失態があるので、そうだとは答えられないのだろう。安倍政権に近い読売新聞が2月15日付け電子版で「首相は稲田氏を重用してきただけに、目の前でやり込められるのを黙って見ていることができなかったようだ」と書いている。見出しに「首相の助け舟裏目?」とあるが、?マークは必要ないだろう。例えばトランプ政権のジェームズ・マティス国防長官のような軍事の専門家でなく、素人である。極右発言で安倍首相の歓心を買ってきただけで、防衛大臣の器でないことが図らずも露呈してしまった。辻元氏は「首相が出てくると、世界中にこの防衛相は情けないと思われる」と皮肉った。イラストは昨年8月に稲田氏が防衛相に就任した時に、風刺漫画サイト Cagle.com に掲載されたものである。能ある鷹は爪を隠すという諺があるが、稲田防衛相は爪を露わにしたまま失態を重ねている。

2017年2月13日

第一次世界大戦で奪われた夥しい数の動物の命

A tribute to horses at Camp Cody, NM. ca 1918

私は時々ネットで珍しい古写真を探すことがある。これは オンライン画像共有&画像管理サイト Imgur に掲載されている馬の頭の人文字絵だが「第一次世界大戦の間に死んだ800万頭の騎馬、驢馬および騾馬に対する兵士のトリビュート、1915年」という意味の説明がついている。英国のタブロイド紙サンデー・エクスプレス2015年10月28日付け電子版の「第一次世界大戦において殺去れた800万頭の英雄馬へのトリビュート」という記事にも、セピア色に変色しているが、同じ原板によるものと思われる写真が使われている。よく見ると写真下部に以下のような手書きの説明が書いてある。
650 Officers and Enlisted Men of Auxiliary Remount Depot, Camp 326, Camp Cody, NM. Symbol of Head Pose of "The Devil", Saddle Horse Ridden By Maj. Frank G. Brewer, Remount Commander. Photo by Mark Raen
つまり第一次世界大戦中、フランスに兵士を送るために作られたニューメキシコ州のコディ基地の騎馬養育施設で撮影された、将校、新兵合わせて650人による人文字絵である。コディ基地は陸軍の訓練所だったのだが、その沿革史によると、創設されたのは1916年だから、1915年撮影というのは辻褄が合わない。第一次世界大戦には大量の動物たちが動員されたが、特に馬は、何千何百万頭という数が騎兵隊用、荷役用として投入された。そして4年間の戦争で800万頭の馬が死んだという説もある。戦争の悲惨は人間の死に向けられがちだが、夥しい数の動物が命を奪われたことも忘れてはいけない。そして二度とあってはならないことである。

2017年2月12日

トランプ大統領の狂気演技に騙された安倍首相

オレ様の言う通りに走ればいいのだヨ(ニューヨークタイムズ紙

朝日新聞2月11日付け電子版によると、ホワイトハウスでの日米首脳会談後の会見で、トランプ大統領が「米軍を受け入れてくださり感謝している」と述べたという。これはいささか突っ込みどころがありそうな発言である。というのは、選挙中、トランプ大統領は「米国はもはや裕福ではない、日韓が米軍の駐留経費負担を大幅に増額しない場合は米軍を撤退させる」と日本を批判していたからだ。ところが2月4日にジェームズ・マティス国防長官が来日、在日米軍駐留経費負担は適切であり「他の国のモデルになる」と述べた。駐留経費負担の負担増を怖れていた日本政府は、これでホッとしたのかもしれない。しかし、これこそトランプ大統領が仕掛けた罠だったのである。つまり過激な言動を意図的に繰り返し、交渉相手国に要求や条件を吞ませることに成功したのである。この交渉術はリチャード・ニクソン元大統領のマッドマン・セオリー(Madman theory)に酷似しているという。米軍駐留国の経費負担は日本約75%、韓国約40%、ドイツ30%、イタリア約40%で、日本の負担額がダントツである。本来、削減要求すべきなのに、一連の幻惑述によってそれができなくなったと言っても良いだろう。トランプ大統領は自動車をやり玉に対日貿易赤字を問題視し、日本が輸出を増やすために為替操作で円安に誘導していると批判してきた。恐れおののいた安倍首相は、大統領をなだめるため、今回の日米首脳会談前に、米国で4500億ドル(約51兆円)規模の市場と、70万人の雇用創出を目指す超巨大プロジェクトを矢継ぎ早にとりまとめた。51兆円と言えば、日本の GDP のほぼ10分の1、日本の防衛費の約10倍にあたる。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の積立金をあてる案も検討されているというから酷い話である。トランプ大統領は会談後、私費で安倍首相夫妻をフロリダ州の別荘に招待したが、勝ち取った金額と比べると、その費用は微々たるものである。パームビーチのゴルフ場で約5時間を共に過ごした後、トランプ大統領は「日本にはすばらしい代表者がいる」と持ち上げたという。そりゃ、そうだろう。何しろドイツのシュピーゲル誌が皮肉ったように「安倍晋三首相はトランプ氏に顔をしかめない数少ない首脳の一人」だからである。

2017年2月11日

スーパーマリオが還ってきた

任天堂スーパーファミコン(1990–1998年)

小学校一年坊主の孫がアップルのタブレット iPad で任天堂のゲームアプリ「スーパーマリオラン」で遊んでいたが、しばらくして飽きてしまったらしい。私は触らなかったらよく分からないのだが、走り続けるマリオを画面タップしてジャンプさせるだけで、ちょっと単純過ぎるらしい。そこで母親、つまり私の娘が押し入れの奥から「スーパーファミコン」を探し出してきた。坊主がたちまち虜になったのは言うまでもない。テレビ画面のほうがタブレットより目に優しいということで、母親が時間を制限して許可しているらしい。スーパーファミコンはご存知、1983(昭和58)年に発売された家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」の後継機で、199年(平成2)年に発売された。ちょっと記憶が曖昧だが、私は初代機時代によく遊んだような気がする。ただ反射神経が鈍いのか、マリオより、コンピュータ RPG「ドラゴンクエスト」に夢中になった。歳のせいか根気が失せて RPG も私は敬遠、時々懐かしい「テトリス」でのんびり遊んでいる。いずれにせよ、これでファミコンが親子三代の遊び道具になったことになる。任天堂はスマートフォン向け位置情報ゲーム「ポケモン GO」で再び注目されるようになったようだ。3月3日には新しいゲーム機「スイッチ」をリリースするという。ゲームマニアではないけど、地元京都の企業なので、密かに応援している。

2017年2月10日

韓国で『君の名は。』がヒットした意味

アニメーション『君の名は。』の壁紙(アニメ壁紙ネットより

政府が長嶺安政駐韓大使と森本康敬釜山総領事を帰国させてから一か月になるが、未だに帰任させていないという異常事態が続いている。二階俊博自民党幹事長が「できるだけ早く戻したほうがいい」と発言、党内では足並みの乱れがあるものの、首相官邸は強硬姿勢を崩していない。産経新聞は「政府は慰安婦像の放置について、ソウルの日本大使館前の慰安婦像撤去に向けた努力を約束した一昨年の日韓合意に反すると批判。韓国側が撤去に動かない限り大使らは帰任させない方針で長期化も辞さない構えだ」と安倍政権の苛立ちを代弁している。一方、韓国側には少女像撤去の動きはない。崔順実による国政壟断(ろうだん)事件で国政が麻痺状態に陥っていることが足枷になっているようだが、日本政府の措置に対する反発もあるようだ。聯合ニュース2月7日付け日本語版によると、最大野党「共に民主党」の禹相虎院内代表は「もし一定期間まで(日本の)大使が復帰しない場合はわれわれの大使も帰国させよう」「安倍首相のこのような非外交的な態度に我慢してはならない。一か月も我慢したらたくさんだ」と指摘したという。ところで韓国では激しい反日教育が行われているとよく耳にする。中央日報1月24日付け日本語版によると、 新海誠監督のアニメーション『君の名は。』が韓国で公開されて18日目の1月22日、累積観客数305万人を突破、宮崎駿監督の『ハウルの動く城』(2004年)の観客数301万人を13年ぶりに更新したという。やや古いデータだが、日本政府観光局(JNTO)によると、2015年に来日した韓国人は前年比45.3%増の400万2095人。中国人の499万3689人に次ぐ2位だが、中国13億人、韓国5000万人の人口を比較すると、相対的にいかに多いかが分かる。国内に根強い「反日感情」をよそに、アニメーションや漫画、音楽などに代表される日本の文化が流入、日本に親しみを覚える若者が増えていることが背景にある。これらの統計数字を見ると、反日教育が必ずしも功を奏していないような気がする。熱狂的な韓流ブームは去ったが、K-POP に代表される韓国芸能も、依然人気が高い。韓国における反日感情、日本における嫌韓感情を、ゆるやかに覆しつつあるのは、インターネットじゃないかと私は思っている。

2017年2月6日

少女像を巡り深まる日韓の溝


끝나지 않은 이야기(終わっていない物語)

釜山の日本総領事館前に少女像が設置されたのを受け、日本政府が長嶺安政駐韓大使と森本康敬釜山総領事を帰国させてから2月9日で一か月になるが、未だに帰任させていない。当初、外務省は早期の帰任を決めていたようだが、安倍晋三首相のツルの一声で、少女像が撤去されるまで復帰させないことにしたようだ。菅義偉官房長官が2月3日午後の定例記者会見で「慰安婦像のほうが分かりやすいという思いはする」と語り、少女像の名称を「慰安婦像」に統一するという意向を明らかにした。自民党内に「実際少女が慰安婦生活をしていたと思われる」という意見がくすぶっていたためらしい。これに対し韓国紙ハンギョレ新聞は2月4日付け電子版で「日本軍慰安婦のうち未成年者が多数いたことは、歴史的事実だ」と反論している。韓国では「平和の少女像」とも呼ばれ、戦争犯罪に対する平和祈念碑と解釈されている。この像を巡り、日韓関係の溝が深まるばかりである。その要因のひとつは、すでに書いたことだが、10億円を渡したのだから、もう済んだことだ、なぜ像を撤去しないんだと安倍晋三首相がゴネたこと。そして韓国側にも原因がある。一昨年末の日韓外相会談で、当事者である元慰安婦たちが全く知らないところで「日韓合意」を決めてしまったことである。いずれにせよ、日本が強硬姿勢を取るほど韓国側の反発も大きくなっているのが現状である。アニメーションは、2014年にフランスのアングレーム国際漫画祭で開催された、慰安婦問題をテーマとした韓国漫画企画展「枯れない花]で公開されたもので、グーグルの動画共有サイト YouTube では、74万を超えるの閲覧数を記録している。

PDF
関西大学研究ノート:アングレーム国際BDフェスティバル韓国漫画展「枯れない花」にみる場と展示の政治性

2017年2月1日

SNS を捨てよ ブログを書こう

ブログは自己洞察記録ツール

ブログ復活の兆しがあるという。インターネットがなかった時代、人々は自分の悩みや思いを日記に託した。刹那的なつぶやきは SNS でできるけど、日記が持つディープな自己洞察の感覚は味わえないと思う。なんと表現したらいいのだろうか、SNS はいくら投稿しても達成感に乏しく、泡沫(うたかた)の如く消えて行く。一般に長い文章が嫌われるせいかもしれない。それに現実の人間関係が絡んでしまうこともあるので、所謂 SNS 疲れに陥る可能性もある。個人のブログは日記の延長という側面を持っている。そのブログが復活しつつあることは、好ましいと感ずる。私が最初に作ったブログはエキサイトのサービスを利用したもので、創設は2008年6月だった。グーグルのブログシステム Blogger に引っ越ししたのは2011年3月で、それまでに約 300 の記事を書いた。エキサイト時代には何人かのブログ仲間ができ、相互リンクによって更新情報を得ることができたので、コメントの交換を頻繁にしたことを憶えている。ソーシャルメディア Facebook に参加したのが2010年10月だった。ブログを引っ越ししたせいもあるが、ほとんどコメントが付かなくなってしまった。ブログブームが去り、多くの人々が SNS に鞍替えしたからだと思う。気紛れに旧知のブログを時々訪ねてみても、閉鎖、あるいは全く更新されていなかったりする。実に勿体ないと思う。私自身は SNS と併行したまま懲りずに、書き続けてきた。当ブログの投稿数は間もなく 1000 に達する。約8年半で合計 1500 も書いたことになるが、反応が少なくとも楽しい。全てではないが、自分の思考がうまく反映されると嬉しい。これからもバカのひとつ覚えで続けようかと思っている。SNS を捨てよ ブログを書こう。