2011年7月6日

デジタル時代のピクトリアリズム写真


Summer across Low Common
Copyright©Sarah Jarrett

これまで何度かピクトリアリズム(絵画主義)写真について触れてきた。それは主として私が時々トライしているゾーンプレート写真がらみで、いわばなぜ不鮮明な写真を撮るのかという観点からからだった。従って正確には絵画を模倣した写真ということではなかった。ここに掲示した写真は、まさにデジタル時代のピクトリアリズム写真といえる作品である。作者のサラ・ジャレットさんは、1966年生まれの英国人で、ノーフォークの美しい田園風景を撮り続けている。1998年、カラー写真の上にペイントする試みをしたという。その後、デジタル技術を導入、ご覧のように絵画に限りなく近い写真を発表している。ハーネミューレ・ファインアート社のペーパーにインクジェットプリントして販売していて、彼女のウェブサイトから購入できる。

3 件のコメント:

  1. ら・ぺるら2011年7月7日 16:26

    わたしたちは、ソフトフォーカスの写真や絵画調の写真を試みようと思うときに、その理由を考える事は、あたりまえのようになっています。つまり、この50年間に発展してきた写真の文化に、少し逆方向に振り出す勢いを自分自身、他人様に多少の言い訳じみたことを考える時代であるのでしょうか?。

    ただ、先週わたしはフォトプリンティングなる技法の入り口部分の講習を受けてきました。最近ではプラチナプリントの面白さを教えていることで知られている麻布十番・田村写真での講習会があったのです。
    そこでの実際の作業の楽しさは、子供の頃の純粋な時間に戻ったような、とても楽しく知的な時間であったことを申し上げなくてはなりません。わたしは、今後の理由付けを、表現法を考えながらの作業はとても楽しく癖になってしまったという理由にしようと考えています。

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  2. ら・ぺるら2011年7月7日 16:44

    何回か書かせていただいた、1930年代にこれは写真じゃない!といところまで変えた作風で注目?された小関庄太郎は、写真として作りだしてはいないと自分でも書いていたようで、当時でも賛否でいえば、否のほうが多かったと思われる作風です。
    写真美術館で見た原画は、最初の印象が、むかしの週刊新潮の表紙をモノクロで見せられたと錯覚するほどの、叙情性に溢れたものでした。素朴画、切り絵・・・そのような面白みは写真とは大きく乖離していました。

    後の谷内六郎に影響を与えていたとすれば、とても興味深い事だとも思いました。

    一つ自分でフォトプリンティングを完成させてみての、幼稚な感想ですが、この手作りの画風は、手を抜くような作業はかなり仕上がりに差が出ることが解りました。
    デジタルならではの変換、加色では、この素晴らしい表現法は、少なくとも両方知る作者には許せないくらいの差が出る可能性があるかも知れません。いや、その差を無視できる表現者ならば、大いにデジタルが便利に感じる事でしょう。

    その当時のフォトプリンティングを、日本的に変えて行った日本の粋人たちが言っていたストレートな加工法の名前は田村さんに聞いていただくとして、一般的には、「雑巾がけ」・・・そして今再度フォトプリンティングト呼ばれる技法が、暗室技術の延長にある故に広まらないトシテモ、デジタルが結果として正しく残ると言うのが、これからからなのかも知れないと、英国女性の活躍にも興味を持ちました。

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  3. 紹介したサラ・ジャレットさんが最初に手掛けたのがその「ペインティング・フォト」に相当するものと思われます。そして後にデジタル技術を使うようになったようです。数量化は難しいのですが、1枚のプリントを自分で作るる場合、デジタルと比べるとフィルムは10倍以上は手間がかかるような気がします。さらに8x10とか、大型暗箱を使う場合は、1枚撮るだけでも大変です。またさらにプラチナプリントとかの古典印画となると、手間が級数的に増えるでしょう。そこにはおそらく手作りの醍醐味があるのではと想像します。ただ私がデジタル技法を否定しないのは、銀塩アナログシステムがすでに出来あがった方法で、その踏襲に過ぎないのに対し、新たな可能性を秘めていると思うからです。

    それから絵画的な写真、ピクトリアリズムですが、前も書いた通り一世風靡したあとに、忽然と廃れてしまったという歴史的経緯があります。私個人はやはり写真は写真らしく、ストレートな表現がベストだと思っています。ただ写真(画像と呼ぶべきか?)が溢れかえっているので、目先が変わった表現が注目され勝ちです。そういうところから、ソフトフォーカスや、諸々の非写実的なものが繰り返し流行るのだと思います。いずれにしてもカメラを記録の道具として使うのか、それとも自己表現の道具として使うか、それによって方向が別れると思います。

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