京都の夏を彩る祇園祭が幕開けした。一昨日の7月10日から京都の山鉾町で「鉾建・山建」が始まった。そして今日、長刀鉾、函谷(かんこ)鉾、鶏鉾、菊水鉾、月鉾の曳初めがあった。17日には祇園祭のクライマックスとでも言うべき山鉾巡行が行われる。このシーズンになると私は決まって松田元著『祇園祭細見』を広げることにしている。
長刀鉾辻回し 松田元著『祇園祭細見』《山鉾編》より (画像をクリックすると拡大表示されます)
祇園祭に関してはこれ以上のものはないという名著である。初版発行は昭和52(1977)年6月に「郷土行事の会」から発行されたが、私が所持しているは平成2(1990)年6月に発行された第3版で、発行所は「京を語る会」になっている。ネット通販のアマゾンで調べたところ、1点だけ古書店から出品があったが、12,000円のプレミアム価格がついていた。著者は前書きで写真を使ってない理由として「写真には写真の長所があることはもちろんですが、安易にこれを用いるよりも、筆者自身が描くことによって一層観察の度を深め、読者の皆さまもより御注意頂けると考えたからです」と述べている。フェルメールの「デルフトの眺望」はカメラオブスクラを使ったか?という一文を寄稿したばかりであるが、写真が持つ細密さはしばしば絵画に利用されてきた。しかし写真が必ずしも明解性を持っているかは疑問である。例えば私は野鳥図鑑の場合、写真のそれよりも、イラストによるものを愛用している。イラストは事物のディテイルを省略・強調できるからだ。同じ意味で松田元氏のイラストは、祇園祭の様々な写真を凌駕していると私は思う。
祇園会長刀鉾巡行 秋里仁左衛門・竹原信繁『都名所図会』安栄9(1780)年
祇園会鉾の稚児社参 秋里仁左衛門・竹原信繁『拾遣都名所図会』天明7(1787)年
祇園会長刀鉾巡行 秋里仁左衛門・竹原信繁『都名所図会』安栄9(1780)年
ところで江戸時代、それこそ写真がない時代に『都名所図会』というベストセラーが生まれた。安栄9(1780)年、秋里仁左衛門、雅号籬島(りとう)が編纂したもので、さし絵は竹原信繁、画号春朝斎が描き、京都寺町五条上ルの書肆、吉野屋為八が出版した。京都の名所案内で、当然のことながら祇園祭も活写されている。これを解説した宗政五十緒編『都名所図会を読む』には100図が収録されている。その続編といえるのが『拾遣(しゅうい)都名所図会』で、同じ編者による解説書が本書である。いわば江戸時代の人気京都ガイドブックが現代に引き継がれているのである。現代の京都の情景と比べ見ると、興味が尽きない面白さがある。『拾遣都名所図会』は、本篇の『都名所図会』が爆発的人気を呼んだので、拾遣編として刊行されることになったという。
祇園会鉾の稚児社参 秋里仁左衛門・竹原信繁『拾遣都名所図会』天明7(1787)年
同じ編者、絵師、版元によって天明7(1787)年秋に発行された。実はその原本とも言うべき木版画2点を京都河原町三条上ルの古書店「キクオ書店」で手に入れた。そのうちの1点が祇園会の行事、稚児の祇園社(八坂神社)参詣を描いたものである。この絵には床几が流水に出されていて、下部に仮り橋が架かってることから、鴨川の四条通りを祇園社から帰ってゆく行列を南東から描いたものと知られているという。稚児は位を貰うので、左上に「しばらくは雲のうへ也鉾の児(ちご)」の発句が見える。つまり祭礼の期間中、稚児は雲上人になるというわけだ。この祇園社参りの行事が7月1日、長刀鉾の稚児が八坂神社に参詣して臨んだ「お千度の儀」である。
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