2012年10月31日

今秋の京都の紅葉は鮮やかになりそうだ

紅に映え 永観堂禅林寺(京都市左京区永観堂町)2009年11月26日撮影

「そうだ京都、行こう。」(クリックすると拡大表示)
東京駅の新幹線コンコースでJR東海「そうだ京都、行こう。」のキャンペーンポスターを見た。左の画像がそれで、クリックすると拡大表示される。詳細が分かると思うのでじっくり見て欲しい。どうも色が鮮やか過ぎるし、落葉が不自然である。合成写真と断言するつもりは毛頭ないが、まあこのような光景が現実ならはまさに千載一遇であり、一度撮ってみたいものである。ネットでもときどき話題になるのだが、このシリーズに釣られて京都に出かけたけどがっかりした、というボヤキが毎年あるようだ。とはいえ、余り予断と偏見を持たずに、ぜひ京都に遊びに来て欲しい。京都新聞の「紅葉情報」によると、今夏は十分に日照時間があったうえ、10月中旬から冷え込む日が増えたので、気象情報会社は昨年より鮮やかな色づきになると予想しているようだ。京都の紅葉を調査している、龍谷大学の増田啓子教授(環境気象学)も「夏以降の降水量が適度で台風による落葉も少ないため、美しくなる可能性は高い」とみているそうだ。11月中旬から12月初旬が市内の見ごろである。余談ながら上掲写真は3年前に東山の永観堂で撮影したもので、実際より彩度が高いと思われるが、これといった画像の加工処理はしていない。

京都新聞「紅葉情報」2012年: http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/momiji/

2012年10月29日

高校時代の追憶の走馬灯がぐるぐるフル回転状態になった

赤灯台  内浦湾(千葉県鴨川市内浦)Fujifilm Finepix X100

日蓮上人の生誕地、房総半島の安房小湊に出かけた。母校千葉県立千葉高等学校の「昭和37年卒の卒業50周年記念同窓会」に出席するためだった。年齢を隠しているつもりはないのだが、ネット上ではどうも若く見られているフシがある。しかし昭和37(1962)年に高校を出てるわけだから、かなり歳を重ねてることが理解いただけると思う。これまで何度か学年同窓会への誘いを受けたのだが、参加したのは初めてだった。やはり50周年に誘われたのだろう。大学時代までは若干あったが、それ以降は同窓生と付き合うことがなかった。関西に移り住んだことが疎遠にしたのかもしれない。会場について周りを見渡しても、顔と名前がまるで一致しない。ただ不思議なもので、女性に関しては何人かの記憶が蘇った。当時一学年400人のうち、女子生徒はその一割強しかいなかった。だからというのが理由になるか不明だが、中学、高校と一緒だった女性のことは鮮明に思い出すことができた。一割といえば、その数だけ他界してしまったという。やはり歳を重ねたしまった故の寂しさを禁じ得ない。会計報告などがあった後、全員の記念撮影。そして後は宴会になった。同級生たちと話し込んでゆくうちに、次第に高校時代の思い出が、記憶の底からマグマのように次々と噴き出してきた。

教科書を使わなかった物理の先生、東大にあらずんば大学にあらずというのが口癖だった古文の先生、キングスイングリッシュに徹してアメリカ式発音をしなかった英語の先生、階段下の写真クラブ暗室、在学中にできたカレー食堂、千葉第一高校から千葉高校と校名が変わったこと、そして第二高校から名を変えた女子高校の学園祭にワクワクして出かけたこと、などなど。そして何よりも鮮やかに瞼に浮かび上がったのが木造二階建ての校舎だった。高校二年の夏休み、苦労して読み通したマルタン・デュ・ガールの大河小説『チボー家の人々』に刺激を受けて400字詰め50枚の短編小説を書いたことも思い出した。東京湾にやってきた原子力潜水艦をゴムボートで阻もうとした少年を主人公とした「反戦小説」だった。横須賀港の原潜入港は1966年になってからだったから、いわば未来小説だったといえる。英国での入港阻止のニュース映画に触発され、二階の廊下から東京湾を眺めながら粗筋を練ったものだった。その木造校舎は今は見る影もなく、鉄筋コンクリートの味気ない建物を晒しているようだ。普段は過去を振り返ることを意識的に避けてる私だが、宴会の終盤、校歌斉唱のころには、酒の酔いに加速された追憶の走馬灯がぐるぐるフル回転状態になった。楽しき房総の一夜が過ぎたが、すでに次回を待つ気持ちになっている。

2012年10月27日

東京都政から逃げ出した親バカ石原慎太郎


石原慎太郎東京都知事が一昨日25日辞表を出した。愛読ブログ『世に倦む日日』は最新エントリーで「昨日(10/25)の奇妙な騒動は、どう考えても、石原慎太郎の都知事辞任が事件であるのに、マスコミはそれを石原新党結成のニュースとして派手に報道で扱った。知事を突然放り出した緊急会見なのに、新党立ち上げの祝祭イベントのように演出して大きくテレビで放送した」と書いている。まさに慧眼であるが、所詮マスコミはお先棒を担ぐか、挙げ足を取るか、そのどちらで棲息しているのである。私たちはその行間を読めばいいわけだ。御年80歳で新たな政党を立ち上げるそうだが、その年齢に関してはある種感服する面もないわけではない。知事選があったのは昨年の4月で、わずか1年半でその職務を放棄したことになる。中日新聞の昨日のコラム「中日春秋」を引用しよう。
森喜朗元首相が産経新聞のインタビューに興味深い内情を暴露していた。昨年四月の都知事選に出馬する意思のなかった石原慎太郎知事を、前自民党幹事長で長男の伸晃氏と二人で説得したという。「ここで降りたら党幹事長でもある伸晃君のためにならない。彼の首相の芽はなくなるよ」。森さんのこの言葉が効いたのだろうか。夜中まで説得して翻意させたという。石原さんは「必ず息子を頼むよ」と言ったそうだ。総裁選で森さんが伸晃氏を支持したのには、そんな事情があったらしい。息子が総裁になれなかったことで事情は一変したということだろうか。親バカという「我欲」から四期目の知事選に出馬した石原さんがきのう、任期半ばでの辞職を表明した。
突然の辞任騒ぎは様々な余震を起こしているようだ。まず頭に浮かぶのが、尖閣諸島を買うと言い出して集めた14億円余りの寄付金はどうするのだろうか。宙に浮きつつある築地市場移転計画をどうするのだろうか。そして2020年の夏期オリンピック招致をどうするか、などなど放置できない懸案が残っている筈なのだが。オリンピックに関しては、これまで石原知事の個性で世間の関心をつなぎ留めてきただけに「都知事が代われば選考レースの行く末にも影響する」と不安の声が上っているという。私が都民だったらオリンピック招致に反対するだろうから、開催されなくとも良いとは思っている。しかし前回2016年の招致の際、当初の55億円(東京都負担は15億円)だったものが、150億円に膨れ上がり、そのうち都の負担は100億円にものぼってしまった。2020年開催招致には同程度、あるいはこれ以上の費用がかかると予想されるが、勝ち目はないと思われる。ひょっとしたら、これを恐れて石原は東京都政から逃げ出したのもしれない。

2012年10月26日

海に捨てられたオムツが消えるまで450年

How Long Until It's Gone?  Source:NOAA  Graphics:Oliver Lüde / Museum für Gestaltung Zürich

釣り糸は600年、プラスチック瓶は450年、使い捨てオムツも450年、アルミ缶は200年…、海洋投棄物が消滅するまでの年数を描いたポスターです。これは非営利団体「オーシャン・ディフェンダー・ハワイ」のサイトで見つけたポスターで、アメリカ海洋大気庁(NOAA)を元にゲシュタルトウング美術館チューリッヒのオリバー・リュード氏がインフォグラフィックを制作したの。文字通り情報、データ、知識を視覚的に表現したものである。従って見れば分かる、説明を要しないもです。ネット上でかなりシェアされてるもので、ここに紹介しておきます。