2026年7月21日

スノードン卿が「イギリスのカルティエ=ブレッソン」と称えたジェーン・バウン

Oz trial
Oz trial at the Old Bailey, London, 1971
Jane Bown CBE

ジェーン・バウンは1925年3月13日、イングランドのヘレフォードシャー州イーストナーで生まれた。彼女は幼少期を幸せだったと語り、ドーセットで叔母だと思っていた女性たちに育てられた。バウンは12歳の時、そのうちの一人が自分の母親であり、自分は非嫡出子だと気づいて動揺したという。この発見がきっかけで、彼女は思春期に非行に走り、母親に対して冷淡な態度をとるようになった。彼女の父親はチャールズ・ウェントワース・ベルで、母親を看護師として雇っていた。彼女は WRNS(英国王立婦人海軍)で海図修正係として働き、 ノルマンディー上陸作戦の計画にも携わり、この仕事で教育助成金を受け取る資格を得た。その後、ギルフォード美術学校でイフォー・トーマスに写真術を学んだ。バウンは1951年まで結婚式のポートレート写真家としてキャリアをスタートさせたが、その年にトーマスが彼女を『オブザーバー』紙の写真編集者であるメヒティルト・ナウィアスキーに紹介した。ナウィアスキーは彼女のポートフォリオを編集者のデイビッド・アスターに見せ、アスターは感銘を受け、すぐに哲学者バートランド・ラッセルの撮影を彼女に依頼した。バウンは主にモノクロで作品を制作し、自然光の使用を好んだ。

Mick Jagge
Mick Jagger, Singer and Songwriter, 1977

1960年代初頭までは主にローライフレックスを使用していた。その後ペンタックスの一眼レフを使用し、最終的にオリンパス OM-1 に落ち着き 85mmレンズをよく使用した。彼女はオーソン・ウェルズ、サミュエル・ベケット、ジョン・ベチェマン卿、ウディ・アレン、シラ・ブラック、クエンティン・クリスプ、ハーヴェイ、ジョン・レノン、トルーマン・カポーティ、ジョン・ピール、ギャングのチャーリー・リチャードソン、ジェラルド・テンプラー元帥、ジャーヴィス・コッカー、ビョーク、ジェーン・マンスフィールド、ダイアナ・ドース、アンリ・カルティエ=ブレッソン、イヴ・アーノルド、イヴリン・ウォー、ブラッサイ、マーガレット・サッチャーなど、数百人の被写体を撮影した。エリザベス2世女王の80歳の誕生日の肖像写真も撮影した。

 Anthony Burgess
Anthony Burgess, Writer and Composer. 1992

バウンの膨大な作品には、ホップ摘み労働者、グリーンハム・コモン女性平和キャンプの立ち退き、バトリンズ・ホリデーリゾート、イギリスの海岸、そして2002年のグラストンベリー・フェスティバルに関するシリーズが含まれる。 彼女の社会ドキュメンタリーやフォトジャーナリズム作品は、2007年に出版された著書 "Unknown Bown 1947–1967"(知られざるバウン)まで、ほとんど知られていなかった 。ルーク・ドッドとマイケル・ホワイトが監督した、バウンについての2014年のドキュメンタリー "Looking For Light"(光を求めて)では、バウンが自身の人生について語り、エドナ・オブライエン、リン・バーバー、リチャード・アシュクロフトなど、彼女が撮影したり、一緒に仕事をした人々へのインタビューが収録されている。2014年6月、バウンはクリエイティブ・アーツ大学から名誉学位を授与された。

>Rochdale byelection,
Rochdale byelection, Lancashire, 1958

1954年、バウンはファッション小売業の重役マーティン・モスと結婚した。夫妻にはマシュー、ルイザ、ヒューゴの3人の子供が生まれた。モスは2007年に彼女より先に亡くなった。2014年12月21日、ジェーン・バウンは89歳で亡くなった。スノードン卿は彼女の作品を称え「最高の写真を生み出したイギリスのカルティエ=ブレッソン」「彼女はトリックや仕掛けに頼らず、ただシンプルで正直な記録を、鋭敏で知的な目で捉えている」と称えた。下記リンク先はグロスターシャー大学の「写真家ジェーン・ボウンとグラント・スコットの対談」です。

university_bk  Conversation between Photographer Jane Bown & Grant Scott | Univ Of Gloucestershire

2026年7月20日

世界史遠望(19)日系アメリカ人を強制収容したランクリン・D・ルーズベルト大統領

The Mochida Family Awaiting Evacuation Bus at Hayward, CA. May 8, 1942 ©Dorothea Lange
Franklin D. Roosevel

日本軍による真珠湾奇襲攻撃により、アメリカ合衆国は第二次世界大戦の渦中に突入した。攻撃から約2か月後、フランクリン・D・ルーズベルト大統領(1882-1945)は大統領令9066号を発令した。日本のスパイ活動の可能性を抑制するためという理由で、日系アメリカ人の強制収容所への移送を承認したのである。当初、移送は自主的な参加に基づいて行われた。しかし移送を希望する者はごく少数であったため、大統領令は西海岸に住む日系アメリカ人の強制移送への道を開いた。大統領令9066号の発令後6ヶ月の間に、10万人以上の日系アメリカ人が米国内の強制収容所に収容された。これらの強制収容所は「移住キャンプ」と呼ばれた。当時、アメリカでは、日系アメリカ人は世代によって区別されていた。第一世代の日本人移民は一世と呼ばれ、第二世代のアメリカ生まれの日系アメリカ人は二世と呼ばれた。この大統領令は、両世代合わせて11万7,000人以上の日系アメリカ人に影響を与えた。何千人もの人々が「納税義務不履行」を理由に家や事業を失った。大統領令9066号は広く物議を醸した。この命令は、ハリー・S・トルーマン大統領(1884-1972)が1946年6月25日に大統領令9742号に署名するまで有効であった。

assembly center Stockton
Japanese Americans arriving at an assembly center Stockton, CA., 1942

大統領令9742号は、戦時移住局の解散を命じ、日系アメリカ人が自宅に戻ることを許可した。しかし、新たに解放された日系アメリカ人の多くは、自宅に戻ると持ち物が盗まれていたり、財産が売却されていたりするのを発見した。帰国した日系アメリカ人は、一般市民から差別や偏見に直面した。こうした行為を恥じたハリー・S・トルーマン大統領は、第442連隊戦闘団の日系アメリカ人兵士たちに敬意を表した。1988年、ロナルド・レーガン大統領は市民自由法に署名した。強制収容所の生存者には、米国政府から正式な謝罪状が送られ、2万ドルの賠償金が支払われた。

Students recite the Pledge of Allegianc
Students recite the Pledge of Allegiance in San Francisco, 1942 ©Dorothea Lange

戦時移住局の解散後、歴代大統領が様々な措置を講じたにもかかわらず、多くの日系アメリカ人は心の整理がつかないままだった。アメリカが設置した強制収容所は、歴史の中でほとんど語られることがない。ロイヤルズのベンチコーチ、ドン・ワカマツは「それについて語ることができる時はいつでも、それはより不朽のものとなる」「歴史には常に学びの過程がある。そう願うしかない独立宣言の約束と、我が国の自由の信条に忠実であろうとするならば」と述べた。下記リンク先は日系アメリカ人の歴史ポータル Denshō の「一人の女性(ドロシア・ラング)が日系アメリカ人強制移住の集団的記憶をどのように形作ったか」です。

日系アメリカ人  How One Woman Shaped the Collective Memory of Japanese American Removal | Denshō

2026年7月19日

マーク・ザッカーバーグに対する「女性の乳首に自由を」運動

Youki au Chat
Léonard Tsuguharu Foujita (1886-1968) Youki au Chat, 1923

後述するが乳首も描かれている藤田嗣治(1886-1968)のこの絵はさすがに Facebook も削除しないだろう。さきごろライナ出身のルスラン・ロバノフ(1979-)のヌード写真をソーシャルメディア Facebook にポストしたところ即削除された。芸術作品として名高い作品だったので驚いた。おそらくシステムが自動対処したのだろうけど、利用規約に反しているという警告メッセージも届いた。繰り返せばアカウント剥奪の可能性もある。以下に Facebook の「ヌードや性的行為: パブリッシャー・クリエイター向けガイドライン」の一部を引用しよう。

Facebook では乳首が見える女性の乳房の画像も制限されますが、医療目的や健康上の目的でシェアされる画像は除きます。授乳をしている女性や乳房切除術後の瘢痕を表す写真も許可されます。また、ヌードを描写する絵画や彫刻などの芸術作品の写真も許可されます。
Civilian Defense
Edward Weston (1886–1958) Civilian Defense, Carmel, 1942

上掲の写真はエドワード・ウェストン(1886–1958)の「民間防衛」と題した作品だが、おそらくこれをポストすれば削除されるだろう。医療目的や健康上の目的ではないし、授乳をしている女性の写真ではないからだ。写真術は近代に生まれたが、今や絵画や彫刻と相並ぶ芸術様式である。なぜ Facebook、あえて名指せば CEO(最高経営責任者)のマーク・ザッカーバーグが写真芸術を排斥するのか理解できない。乳首が写ったヌード写真は猥褻だと短絡解釈しているのだろう。さらに同上ガイドラインを引用しよう。

性的行為の表示に対する制限は、イラストコンテンツやデジタル処理で作成されたコンテンツにも適用されます。ただし、教育目的、ユーモアや風刺の目的で投稿されたコンテンツの場合は除きます。性行為の露骨な画像は禁止されています。

性行為の画像は禁止という言質は性行為を猥褻であると解釈しているわけだが、性行為すなわちセックスなしには子どもは生まれない。卑近な例、アニマルセックスの写真がおおっぴらに公表されているが、ヒトのセックスの写真はご法度になっている。江戸時代の「枕絵」は親が娘に持たせる嫁入り道具であったが、幕府の取り締まりを受けた。うがった見方をすれば性行為の画像の取締りは昔から為政者の権力の象徴と言えそうである。ポルノ画像が性犯罪の呼び水になっているかは疑問である。

FTN
Protest at Meta's London office following the censorship of a nipple tattoo

女性の乳首に関しては「カイリー・ジェンナーの Free the Nipple に続け! フリー・ザ・ニップルをリードするセレブ12名」という記事を思い出す。Free The Nipple(乳首を自由に。以下 FTN)とは男性のトップレスは許されているのに、女性はそうではないことに対する抗議活動である。もともとは俳優で監督のリナ・エスコが2012年に同名のインディーズ系コメディ映画を作ってこのダブルスタンダードを指摘、ジェンダー差別の撲滅を訴えたことから始まった。彼女の主張を支持したマイリー・サイラスやレナ・ダナムがこのハッシュタグをつけてソーシャルメディアにトップレスをアップしたが、Instagram や Facebook は「女性のトップレスは NG」というルールがあるとして削除。女性セレブたちがこれに抗議し FTN は一気に拡大した。今もダブルスタンダードはなくならず、バストトップを何らかの形で隠さなくては Instagram にトップレス画像をアップできないことから FTN は根強く続いている。下と Facebook と Instagram の親会社メタ社は、まもなく女性の胸の写真を解放する可能性探ったようだ。同社の監視委員会は、女性のヌード写真対するする規則を見直すよう求めたというが、未だに改善されていない。下記リンク先はハーパース・バザー誌の記事「セレブたちが「《乳首に自由を運動》を支持した28の事例」です。

女性誌  28 times celebrities embraced the Free the Nipple movement | The Harper's BAZAAR

2026年7月18日

宗教考現学(11)タイのワット・パ・タム・ウア森林僧院

Wat Pa Tam Wua
ワット・パ・タム・ウア森林僧院(タイ北部のメーホンソーン)

ワット・パ・タム・ウア森林僧院は、静かで自然豊かな僧院環境の中で、真剣に瞑想を実践したいと願う人々に精神的な導きを提供してぃる。エキゾチックなメーホンソーンの美しい山々に囲まれたこの僧院は、緑豊かな自然、穏やかな小川、自然の洞窟、そしてタイ北部の壮大な滝の絶景を堪能できる。野生の花々、蘭、そして雄大な山々の眺めなど、美しい景色が広がるまさに地上の楽園である。この僧院は上座部仏教、特にタイ森林仏教の伝統を受け継いでいる。タイ語と英語を話す僧侶たちが、適切な瞑想指導とともに、自然法則や自然現象に関する正しい見解を伝えている。世界各国から、初心者から上級者まで、多くの修行者が瞑想のためにここを訪れている。ワット・パ・タム・ウア森林僧院は温かく迎え入れてくれる場所だが、ここはリラクゼーションセンターやリゾートではなく、実際に活動している仏教寺院であり、ヴィパッサナー瞑想のリトリート施設であることを忘れてはならない。日々の精神活動はすべて義務付けられており、宿泊者は僧院のスケジュールと規則に従わなければならない。

Wat Pa Tam Wua
自然豊かなワット・パ・タム・ウア

このような規律ある環境は、有意義な精神的成長と自己発見のための理想的な条件を作り出す。ワット・パ・タム・ウア森林僧院は、年間を通していつでも参加できる柔軟な入山制度を採用している。午前または午後の瞑想クラスに1日だけ参加することも、最短3泊2日から最長10日間の宿泊型リトリートに参加することも可能である。この柔軟性により、様々なスケジュールを持つ旅行者にとって理想的な環境となっている。ここでは、ヴィパッサナー瞑想(洞察瞑想)とアーナーパナサティ瞑想(呼吸瞑想)を中心とした瞑想が行われている。様々な瞑想方法が認められているが、呼吸瞑想が主流となっていいる。毎日、タイ語と英語で法話が行われ、仏教哲学の教えと実践的な瞑想指導が提供されている。日々のスケジュールは、初心者にも参加しやすいように配慮しつつ、深い修行をサポートするよう構成されている。朝の瞑想は午前5時にクティ(瞑想小屋)で始まり、その後、僧侶への米の供養と朝食が行われる。午前と午後の法話と瞑想クラスがプログラムの中核を成し、夕方の読経、瞑想、法話で一日が締めくくられる。

MeditationRetreat
人里離れた環境の瞑想リトリート

年齢を問わず誰でもご参加でき、瞑想の経験は一切必要ない。僧侶とスタッフが、それぞれのレベルに合わせた指導を行う。唯一の条件は、僧院の規則を真摯に守り、日々のスケジュールに積極的に参加する意思があることである。この僧院では、個室のクティ(瞑想小屋)やドミトリーなど、宿泊施設を完備している。宿泊者全員に寝具と滞在中の白い衣服が提供される。施設は簡素で機能的で、快適さよりも瞑想の実践を支援するように設計されている。個室のクティは個人的な瞑想のための静寂を提供し、ドミトリーは共同の宿泊施設となっている。バランスの取れたベジタリアン(ビーガン対応)の食事が1日2回提供される。僧院の伝統に従い、正午以降は食事を摂らないため、夕食の代わりに紅茶、コーヒー、ジュース、豆乳などが用意されている。食事はボランティアとスタッフが調理している。僧院の敷地内には、自然に囲まれた美しい散策路や瞑想用の小道、周囲の山々を一望できる瞑想堂、そして近くには穏やかな小川や滝が流れている。自然そのものが瞑想の実践の一部となり、マインドフルネスと心の平安を育むための完璧な背景を提供してくれる。下記リンク先はタイのワット・パ・タム・ウア森林僧院の公式ウェサイトです。

仏陀  Wat Pa Tam Wua: A beautiful and peaceful Buddhist Forest Monastery open to everyone