2022年7月11日

風刺漫画家が描いた安倍晋三暗殺事件

©Bart van Leeuwen
©Saad Almuhannadi
Japan's former prime minister killed © Saad Almuhannadi
©Ramses Morales Izquierdo
Good bye Shinzo Abe © Ramses Morales Izquierdo
©Maarten Wolterink
The death of Shinzo Abe © Maarten Wolterink
©Stellina Chen
Shinzo Abe shot during election speech © Stellina Chen

風刺漫画のグローバルサイト Cartoon Movement が「安倍晋三暗殺される」というページを特設した。日本では政治組織による襲撃ではないので単なる「殺人」と解する向きがあるようだが、諸外国では政治家の命を狙うのは「暗殺」だという解釈なのだろう。事件直後から作品が寄せられたが、日本の政治家が大々的に取り上げられるのは珍しい。おそらく情報不足だったのだろう、日の丸と血痕の赤をコラージュした作品が大部分を占めている。例外は2016年に行われたリオデジャネイロのオリンピック閉会式で、人気キャラクター「スーパーマリオ」に扮した安倍晋三である。2013年のブエノスアイレスでの IOC 総会で「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」とぶち上げた招致演説は記憶に新しい。嬉しそうにニヤけた「アベマリオ」はまさに「息をするように嘘をついた」負のレガシーを象徴するかのような風刺戯画である。作者はオランダのバルト・ファン・ルーウェンで、私が敬愛する風刺漫画家ひとりである。

cartoon movement  A global platform for editorial cartoons and comics journalism | Cartoon Movement

2022年7月5日

漸増する新型コロナウィルス感染症

感染者数2022/07/03現在
京都市の新型コロナウィルス感染者数(2022/07/03現在)

日本政府が先月、新型コロナウイルスの感染拡大で停止していた外国人観光客の入国を一部解禁したのを受けて韓国や東南アジアでは旅行の予約が急増しているという。東京、京都、大阪などの主要観光地を巡る定番の「ゴールデンルート」や冬の北海道の人気が高いそうだ。夏休みの国内旅行予約状況についてエイチ・アイ・エスは、新型コロナウイルス感染拡大前の2019年夏の9割弱に回復したと発表している。予約が多い行き先は沖縄、北海道、長崎、大阪、福岡の順になっている。京都はこのランキングに入っていないが、すでに観光客増加の兆しが見えている。私は金閣寺の近くに住んでいるが、市バスの乗客が急増しているからだ。この先、海外からの観光客の動向が気になる。昔は大型貸切バスで回ったが、今は市バスを利用する人が増えている。その影響で、満員で一般市民がバスに乗れないという「観光公害」があったことを思い出す。

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7日間の新規感染者数(人口100万人あたり)2022/07/04現在(札幌医大)

ただ大赤字の京都市交通局にとって、乗客増加は恵みの雨だろうから、我慢せざるを得ない。気になるのはやはり新型コロナウィルス感染症 COVID‑19 パンデミックが未だに終息していないという事実である。NHKの調べによると、東京都は7月4日都内で新たに10歳未満から90代の2,772人が新型コロナウイルスに感染していることを確認したと発表した。1週間前の月曜日より1,255人増えた。4日までの7日間平均は、3,380人で、前の週の162.4%だった。確認された2,772人を年代別に見ると20代が最も多く、全体の19.8%に当たる549人。65歳以上の高齢者は192人で、全体の6.9%。一方、ECMO(人工心肺装置)を使っている重症の患者は、3日より1人増えて6人だったという。また感染が確認された80代の男性1人が死亡したことを発表した。京都市が4日に発表したグラフによると、新規感染者数の7日間移動平均値の推移を示す赤い折れ線の下降が止まり、上昇に転じている。心配されている「第7波」に襲われる可能性が出てきた。テレビの情報番組に飛び交う「アフターコロナ」あるいは「インバウンド」という言葉に惑わされる危険がある。それにしても「安い日本」には観光立国化の道しかないのか、50年ぶりの円安から想像する日本の未来に暗雲が垂れ込めている。

health 人口あたりの新型コロナウイルス感染者数の推移 | 札幌医科大学医学部 フロンティア医学研究所

2022年7月3日

オンライン動画を大型テレビ画面に映す醍醐味

Chromecast with Google TV
ソニーのTVリモコン

昨年ソニー製テレビを購入したが、リモコンにインターネット動画アプリケーションなどのボタンがついている。試しに YouTube のボタンを押したところ、設定画面になり、ネットワーク名(SSID)が表示された。これは Wi-Fi 接続の設定を促すものと気付き、パスワード(PSK-AES)を入力したところ、大きなテレビ画面に YouTube の動画が展開、驚いたことを覚えている。しかも何度もパソコンで観たブルーグラス音楽、私の視聴遍歴を知っているかのような、恐ろしき Google 様々ではある。スマートフォンと同じ Android をベースとしたスマートテレビだったのである。もともと Google TV の名称でスタートしたのだが、2014年ごろから Android TV として本格的な普及が始まる。さらにソニーの2021年モデルで、新しい機能として Google TV という名称が復活したという。しばらくテレビで YouTube を楽しんでいたが、いつの間にか途絶えてしまった。動画のタイトルを検索する窓がないというのが主な理由だった。ところが最近になって Chromecast with Google TV というデバイスの存在を知った。文字通り Google TV でキャストするという意味である。つまり検索が可能なスマートフォンで起ち上げた番組を、そのままテレビにキャストできるということらしい。

Google TV 対応アプリケーション
Chromecast 対応アプリケーション

条件はただひとつ HDMI 端子がテレビについていること。特筆すべきは、その HDMI 端子がついていれば、旧式のテレビも Google TV 化するという点である。セットアップは Chromecast 端末を HDMI 端子に挿しこんだあと Google Home アプリケーションを搭載した Android スマートフォンで行った。iPhone や iPad 用アプリケーション Google Home はアップルの App Store で入手できる。設定後、Chromecas の電源を ON にすると対応アプリケーションを選択する画面になる。ここで例えば YouTube を選ぶとお薦めタイトルが表示される。しかし検索窓がないので特定の番組や楽曲をチョイスできない。その場合はスマートフォンで YouTube を読み込み、好きな番組や楽曲のキャストアイコンをタップしたら、大きなテレビ画面に映し出される。テレビがテレビ放送局のためにあった時代は昔日の話である。20世紀は遠くになりにけり。

google Chromecast with Google TV | お気に入りのエンターテイメントをテレビでストリーミング

2022年7月1日

沖縄高等女学校制服変遷悲話

へちま襟の上着にモンペ姿の女学生たち
へちま襟の上着にモンペ姿の女学生たち

沖縄県立高等女学校の前身だった、私立沖縄高等女学校が設立されたのは、明治政府が琉球藩を廃し、沖縄県を強制的設置した1879(明治12)年から数えて21年目の1900(明治33)年だった。当初は首里城の軒先で授業をしていたが、1908(明治41)年、真和志村大道に新しい校舎が竣工して移転した。1916(大正5)年に沖縄県女子師範学校が移転して並置された。校長および一部の教師は兼任であった。そのため、校名は異なるものの、実質的には一つの学校に近いものであった。当時の制服は小袖に女袴という大和風だったが、1922(大正11)年に全校生徒自治会で「女学生の制服として和服と洋服と何れが可なりや」との議題が提案された。

ひめゆり平和祈念資料館(糸満市)

賛否激しい議論になったが、翌年、制服制定の件で洋服和服自由期間を設けた。半年でほぼ全員が洋服になり、1926(大正15)年に制服がセーラー服に正式決定された。1928(昭和3)年には、さらに沖縄県立第一高等女学校に改称された。時代が下り、1941(昭和16)年になると、2年生は分け髪、3年生は分けて結ぶ、4年生は三つ編みと決められた。どうして学年ごとにこのような区分けをしたか不明である。迫りくる戦争の黒い影が沖縄の空を覆い、この年からセーラー服がへちま襟の上着に変更され、さらに翌年には、スカートの代わりにモンペ着用になった。糸満市のひめゆり平和祈念資料館によると、米軍の沖縄上陸作戦が始まった1945(昭和20)年3月23日の深夜、沖縄県女子師範学校および沖縄県立第一高等女学校の女学生222人と、引率教師18名の合計240名からなる「ひめゆり学徒隊」が南風原の沖縄陸軍病院に向かった。敗色濃厚となった6月18日に突然解散命令が出され、翌日の6月19日をはじめとする約1週間の間に多数の犠牲を出した。亡くなった女学生は123名、教師は13名だった。陸軍病院以外の犠牲者を加えると、沖縄戦で亡くなった女学生は211名、教師は16名、合わせて227人だった。戦闘機による激しい空爆と、戦艦ミシシッピなどによる艦砲射撃で町が焼かれ、校舎は灰燼に帰し、廃校を与儀なくされる。開校時に教室として軒先を借りた首里城も砲撃を受けて炎上した。1900(明治33)年から数えてわずか45年、沖縄県立高等女学校のすべてが、戦争によって露と消えてしまったのである。

PDF_BK  ひめゆり平和祈念資料館「電子版ダイジェストブック」の表示とダウンロード(PDF 5.91MB)