広島県安芸郡坂町小屋浦地区で発掘された遺骨
写真はちょうど71年前の1952年7月30日、広島県安芸郡坂町小屋浦地区で発掘された約150体の遺骨である。爆心地から10キロ以上離れた小屋浦地区には原爆投下後、軍の臨時救護所ができ、広島市内から負傷者たちが次々と船で搬送された。息絶えた人々は埋葬され、地元住民たちは木の墓標を建てた。広島原爆戦災誌によると1952年に現場から、約150体の遺骨が発掘されたという。地域で守られてきた原爆犠牲者の慰霊碑は、広島市中心部だけでなく各地にある。
慰霊碑を掃除した小屋浦の住民たち(2018年12月15日・朝日新聞広島県版)
小屋浦地区の被爆者らが守り、法要を続けてきた木の墓標を「半永久的な墓碑」とするため、1987年に慰霊碑が建立された。1987年には被爆の惨状を永久に伝えるために、木製の墓標から石碑に建て替えられた。慰霊碑碑には確認できた93名の名前が刻まれている。ところが2018年、西日本豪雨で慰霊碑は土砂と倒木に埋まってしまった。取り除いたものの。危険な土砂崩れの予測を判断するのが困難なため、2019年7月、現在の同地区小屋浦公園に移設されたという。
帰れぬ遺骨 家族はどこに | 中國新聞2020年2月3日号 | ヒロシマ平和メディアセンター | 1.90MB
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