2023年6月18日

女性として初の戦場写真家マーガレット・バーク=ホワイト

Women holding rakes
Women holding rakes, Suburb of Moscow, Soviet Union, 1941
Margaret Bourke-White

テレビとインスタント通信が発明される前、アメリカ人は、絶望、荒廃、苦悩、憂鬱から第二次世界大戦の戦いや、その難民キャンプ、インドの自由運動から集団移住まで、世界のさまざまな顔を見た。それはマーガレット・バーク=ホワイトの写真と作品によってのみ可能だったのである。ニューヨーク州ブロンクスで、1904年6月14日、生まれたマーガレット・バーク=ホワイトは、アメリカの写真家で、ソビエト連邦での撮影を許された最初の外国人写真家、そして最初の女性戦場特派員、ライフ誌の最初の女性写真家として知られている。ニュージャージー州バウンドブルックで育ち、ユニオン郡のプレーンフィールド高校を卒業した。コロンビア大学で爬虫類学を学び始めるが、その後、何度か大学を転校する。1927年、コーネル大学卒業、学士号取得。商業写真スタジオを設立し、ニューヨーク州イサカでフリーランスの建築・工業写真家として活動を開始する。マーガレット・ホワイトは母親の旧姓であるバークを自分の名前にハイフンでつなげる。1929年にフォーチュン誌の写真家として採用される。1930年、ソビエト連邦の産業界で撮影を許可された最初の西洋人写真家となる。1936年にヘンリー・ルースがライフ誌を創刊すると、彼女は専属写真家になった。ニューディール政策の一環として建造されたモンタナ州のフォートペック・ダムの写真が同誌創刊号の表紙を飾った。

Martha Raye
Martha Raye performs for an audience of US soldiers in North Africa, 1943

1930年代半ばには、干ばつによる砂嵐の被害者を撮影した。 バーク=ホワイトは、1932年から1942年まで結婚したアースキン・コールドウェルと1935年に出会う。1937年、絵本 "You Have Seen Their Faces"(あなたは彼らの顔を見てきた)の制作に携わる。この絵本は、アメリカの貧しい農村の下層階級を生々しく描いたものである。1939年には、ナチス占領後のチェコスロバキアの生活を描いた "North of Danube"(ドナウ川の北)を制作。1941年、夫妻の3度目の合作 "Say, Is This the U.S.A"(さようなら、ここはアメリカ合衆国)が出版された。この本は、アメリカの工業化について書かれたものである。

Residents waiting for the distribution
African Americans lined up outside a relief agency after the Louisville flood, 1937

1941年、マーガレット・バーク=ホワイトは、女性初の戦場写真家となり、ライフ誌とアメリカ空軍の両方で活躍した。北アフリカへ向かう船の中で魚雷攻撃から生還し、1943年のライフ誌に「救命ボートの女たち」と題して掲載された。また戦争末期にパットン将軍の第三軍に同行して撮った写真は、強制収容所での悲惨な現状を直視する作品を含んでおり、戦場カメラマンとしてのバーク=ホワイトの代表作とも見なされるようになった。インド亜大陸の自由運動時代、インド独立を指導したマハトマ・ガンディーが紡ぎ車を回し、パキスタン建国者モハマド・アリ・ジンナが椅子に直立している姿を撮影し、インドとパキスタン両国で知られるようになった。

Buchenwald concentration camp prisoners
Buchenwald concentration camp prisoners stared in disbelief at their Allied liberators, 1945

彼女は集団移住を目撃し、写真に収めた。死体で埋め尽くされた街、焼死体で埋め尽くされた列車、傷ついた心、虚ろな目をした迷い、惨めな難民など、バーク=ホワイトの撮影は心を揺さぶる。ニューヨーク・タイムズ紙の外国特派員で "The End of Karma"(カルマの終焉)の著者ソミニ・セングプタは「バーク=ホワイトの写真は、 ページの上で叫んでいるようだ」と語っている。また、1950年に勃発した朝鮮戦争も取材し、韓国軍に従軍した。バーク=ホワイトによると、そこで最高のショットが撮れたという。帰国した兵士が、数カ月前に死んだと思っていた母親と対面するシーンである。

Mahatma Gandhi
Mahatma Gandhi and his cherished spinning wheel at home, Delhi, India, 1946

ラトガース大学、ミシガン大学から名誉博士号を授与されるなど、多くの賞や名誉学位を受賞した。1963年に米国カメラ功労賞、1964年に米国雑誌写真家協会よりオナーロール賞を授与される1953年、マーガレット・バーク=ホワイトはパーキンソン病と診断された。半身不随になる可能性を避けるため、彼女は仕事のペースを落とさざるを得なかった。1959年と1961年には、病気の治療のためにいくつかの手術を受け、震えは効果的に止まったが会話に影響があった。1963年に出版された自伝 "Portrait of Myself"(私自身のポートレイトの執筆に8年の歳月を費やした。1971年8月27日、コネチカット州の病院で、67歳の生涯を閉じた。

Time-Life  Margaret Bourke-White (1904–1971) | The Photography of Margaret Bourke-White | LIFE

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