アメリカ先住民の古写真を捜していたところ、スミソニアン協会が発行している雑誌の極めて興味深い記事が目に止まった。オクラホマ州南西部のコマンチ族一家の写真を添えた「アフリカ系アメリカ先住民の系譜と題した記事」で、副題は「アンジェラ・ウォルトン=ラジ(Angela Walton-Raji)は政府文書を用いて、アメリカ先住民が所有していた奴隷が先祖だったと確認した」となっている。ラジは20年近くアフリカ系アメリカ先住民の系譜を研究しており『ブラックインディアン系図研究』の著者である。アフリカ系アメリカ先住民(African-Native Americans)とういうのは日本では耳慣れない用語だが、ネイティブアメリカンとアフリカの両方のルーツを持つ人々のことを指し、ゆえに2つの民族が融合したサブカルチャーが形成されている。ラジの祖先は1907年にオクラホマ州となったインディアン準州の5つの部族(チェロキー、チカソー、チョクトー、クリーク、セミノール族)の奴隷であったアフリカ系アメリカ人である。チェロキー族は1863年にアフリカ系アメリカ先住民の奴隷を解放し、南北戦争の後、他の部族も同じように解放した。チカソー族を除くすべての部族は、最終的に自由民に部族内の完全な市民権を与えた。オクラホマ州制定の準備として、アメリカ議会はドーズ委員会を設立し、部族の集団的な土地所有を解消し、個々の部族に土地を割り当てることを任務とした。何千人もの人々が、部族の一員であることと土地の分配を受ける権利を証明するために委員会の前に姿を現した。
チェロキー族と一緒に1,200人の奴隷が強制移住させられた。チョクトー族は、1830年と1831年の冬に移住した最初のグループだが、インディアンテリトリーに連れて行く奴隷を買うために、多くのチョクトー族の人々が個人資産を売ったという話は、歴史の本には書かれていない。どんな歴史書でも、あるいはグーグルで「奴隷制を反映した地図」を検索しても「南部」と呼ばれる地域の地図が表示され、そこにはオクラホマがあり、まるで奴隷制が行われていないかのように見える。1866年の条約でアメリカ先住民準州の奴隷制度がようやく廃止されたとき、あるコミュニティが栄えたという事実がある。ある家族が土地割り当てを受けるべきかどうかを決めるための情報をドーズ委員会に与えた。土地は部族が共同で所有しており、自由民は1866年以降も部族の一員だった。なぜなら、彼らは他に行くところがなく、1830年代からそこが彼らの故郷だったからである。だから彼らはその場所に留まり、その言葉を話していた。しかしオクラホマ州の州都化が近づき、残りの土地を白人入植者のために解放する前に、アメリカ政府は部族が共同で所有していた土地を取り上げ、個々のメンバーに再分配することを決定したのである。アンジェラ・ウォルトン=ラジは「白人であろうと、黒人であろうと、混血であろうと、移民の家族であろうと、アメリカ大陸出身の家族であろうと、あなたの遺産はあなたの遺産です。あなたの家族史は、民族に関係なく、同じ方法論で行われます」と強調している。
An Ancestry of African-Native Americans by Katy June-Friesen| Smithsonian Magazine
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