Paul and Linda McCartney (1973) |
リンダ・マッカートニーは、アメリカの動物愛護活動家、音楽家、写真家だった。ビートルズの創設メンバーであるポール・マッカートニーと結婚し、それが世界に知られる由来となった。ふたりはマッカートニーのバンド、ウィングスを結成した。1962年にジョセフ・メルヴィル・シー・ジュニア(1938-2000)と結婚したが、わずか1年足らず1965年6月に離婚、娘のヘザー・ルイーズを親権者になった。リンダはベジタリアンのためのレシピ本を書き、ビジネスウーマンとして、また写真家として活躍した。彼女は「顔のあるものを食べるのは好きではない」と説明している。彼女の本にはシンプルで感動的なレシピが載っていた。その結果マッカートニー夫妻は動物愛護の活動家になった。リンダは1941年9月24日生まれ、ニューヨーク州ウエストチェスターで育った。1959年にスカースデール高校を卒業後、アリゾナ大学に入学し、ファインアートを専攻する。リンダは「タウン&カントリー」誌の受付嬢として働き、レコード推薦パーティの際に、ローリング・ストーンズを記録することを許された唯一の写真家であった。
その後、コンサートホール「フィルモア・イースト」で、リンダは人気のグルーピーとなる。ビートルズのポール・マッカートニーと1969年3月12日に結婚しリンダ・マッカートニーになる。ジョン・レノン、アレサ・フランクリン、ジャニス・ジョプリン、ニール・ヤング、ジミ・ヘンドリックスなど、さまざまなアーティストを撮影した。1967年に撮影したヤングの写真は「シュガー・マウンテン」に掲載され、2008年に「カンタベリーハウスのライブ」の表紙を飾った。1970年にビートルズが解散した後、マッカートニー夫妻はアルバム『ラム』を録音し、リンダは夫のグループ、ウィングスに参加することになる。このグループはグラミー賞を多数受賞し、当時最も不敗のバンドとなった 世界中の人々がビートルズに親しみを持った。
ロック界のアイドル、エリック・クラプトンを撮影したリンダは、女性として初めて『ローリングストーン』誌の表紙を飾った。また、ポールと一緒にこの雑誌の表紙を飾った。自分が撮影した写真と、自分自身の写真が誌面に掲載されたのは彼女だけだったというのは、非常に賞賛に値する。マッカートニー夫妻は1988年の『ブレッド』のエピソードや『ザ・シンプソンズ』の1話「リサ・ザ・ベジタリアン」にも出演している。国際的な50のギャラリーが彼女の作品を展示した。1993年に写真集『リンダ・マッカートニーの60年代』 1993年に写真集『時代の肖像』が出版される。 マイケル・ジャクソンとポール・マッカートニーのシングル「ザ・ガール・イズ・マイン」のジャケットはリンダが撮影したものである。
1995年、リンダ・マッカートニーは不幸にも乳がんと診断された。がん細胞が肝臓に転移、病状はより悪化した。彼女は3年間がんと闘い、1998年4月17日にアリゾナ州タスカンで死去、56歳だった。彼女の死後、リンダとオスカー・グリロ監督による6分間のアニメ映画『ワイド・プレイリー』が1998年8月にエジンバラ国際映画祭で初公開された。テレビアニメシリーズ「シンプソンズ」の200回目のエピソード『スプリングフィールドのゴミ戦争』はリンダに捧げられた。そしてミレニアムが始まった2000年、テレビ映画『リンダ・マッカートニー』でゲイリー・ベイクウェルとエリザベス・ミッチェルがカップルを演じた。リンダは職業としての写真ばかりでなく、家庭生活、そしてミュージシャンとしての作品も残している。
Linda McCartney (1941–1998) | Biography, Exhibitions, Portfolios, Books and Contact
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