これは米議会図書館のサイトで見つけた、バンジョー奏者で製作者のフレッド・ヴァン・エップス(1878–1960)の肖像写真だ。手にしたバンジョーをよく見ると、ギターと同じような丸いサンウドホールが開いている。ヴァイオリンの f字孔もそうだが、弦振動によって生じたボディ内の共鳴を外に向かって放出する役割を持ち、ギターの音量や音質に影響を与える。瓢に絃を張ったバンジョーが北米におけるルーツで、白人が黒塗りのメイクをしたミンストレルに使われた。そして進化し、薄い片面太鼓に絃を張ったバンジョーが工場生産される。さらに胴の背に共鳴板をつけたもの登場する。エップスの Van Eps Recording Banjo は丸底の中華鍋のような音響反射板がボディについているが、より大きな音を出すためにサウンドホールを開けたようだ。1930年頃まで製造されたが、共鳴板をつけたリゾネーターバンジョーに席巻されてしまう。
エップスはニュージャージー州ソマービルで生まれ。時計職人として働いていた、父親のジョン・ペリー・ヴァン・エップスの勧めで、7歳の時に初めてバイオリンを学ぶ。12歳の時、彼はジャージー中央鉄道の車掌、ジョージ・W・ジェンキンスが弾いたバンジョーを聴き魅了される。父親は最初にバンジョーのための彼の息子の懇願を拒絶したが、母親が最終的に彼のために購入し、ジェンキンスに師事した。1892年に家族と共にニュージャージー州プレーンフィールドに移住した。そして20世紀初頭の代表的な5弦バンジョー奏者、シルベスター・オスマン(1868–1923)の蝋管録音を聴いて演奏法を研究する。1897年にニュージャージー州ウェストオレンジにあったトーマス・エジソン(1847–1931)の国立蓄音機会社に雇われ、レギュラーとしてスタジオで活躍した。ノース・カロライナ・ランブラーズを率いていたバンジョー奏者、チャーリー・プール(1892–1931)に大きな影響を与え、今日のブルーグラス音楽の礎になったことは特筆すべきだろう。1930年代になるとギターに転向し、スタジオミュージシャンとしてジャズクラリネット奏者のベニー・グッドマン(1909–1986)らと共演した。また英国のバンジョー作曲家フランク・ロウズ(1894–1970)と親交があり、彼といくつかの作品を録音した。1960年、カリフォルニア州バーバンクで他界、81歳だった。
Fred Van Eps banjo solo "Patrol Comique" on Edison Gold Moulded Record 2627 (1907)
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