2019年1月30日

日本を必要としなくなりつつある韓国

南北の亀裂が埋まり統一政府ができるだろうか

米国が在韓米軍駐留費の負担を、最低でも約1兆1,300億ウォン(約4,430億円)に引き上げるよう韓国に求めたそうである。韓国側は「1兆ウォン以上の負担は困難」と主張、米側は5年ごとだった改定交渉についても毎年への変更を要求したという。韓国側は世論の反発を理由に応じず、平行線が続いているという。ドナルド・トランプ大統領は、シリアやアフガンからの米軍撤退を推し進めようとしているし、韓国の文在寅大統領は南北統一の願望を抱いている。もし南北統一政府ができれば、将来的には在韓米軍の必要性が霧散してしまう。そうなれば、韓国は国連軍はもういらないと主張、在韓米軍の撤退を求める可能性が高い。海外の米軍引き揚げに積極的なトランプ大統領は、朝鮮半島から撤退してもいいと考えている節がある。その一方、米朝首脳による会談だが、日本の安全保障上の利益、および拉致問題を解決したいという、安倍晋三首相の望みを無視する合意につながる可能性が高い。つまり朝鮮半島を巡る東アジアの情勢が激変、日本が蚊帳の外に放り出されるかもしれないのである。レーダー照準問題を巡り、日韓の対立が後戻りできない状況に陥っている。こじらせた発端は、安倍首相がレーダー映像の公開を指示したことだった。支持率上昇の狙いがあったと思われるが、御用メディアを通じてネトウヨを煽っただけで、何の解決策にもならなかった。元慰安婦支援財団の設立許可取り消しを通知したように、もはや韓国は日本を必要としない国になりつつあるようだ。所謂「北の脅威」がなくなれば、自衛隊の存在理由も薄まり、憲法改悪も荒唐無稽な企みに終わってしまうだろう。

2019年1月29日

トンデモ作家の書籍を宣伝する書店

北大路ビブレ(京都市北区小山北上総町)

この書店でこのポスターが掲げられたのは、随分前だったと記憶する。今日も前を通ったら相変わらず貼ったままだった。このコーナーのポスタ―は種々雑多で、書籍のそれだけではない。にもかかわらず、なぜこれが長期間貼ってあるのか不可解だ。おそらく店は何も考えていないのだろう。いささか大人気ないとは思うが、この店で書籍を買うのはやめることにした。

この『日本国紀』なる書籍は「日本通史の決定版」だそうだが、手にとっていない。読まずに批判はオカシイと思うかもしれないが、全く読む気がしないのである。上記、ツイートを読めば、この作家がどんな人物か分かる。中島敦が「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い」という名言を残しているが、短い人生、こんな人物に付き合っている暇はない。嫌韓感情を煽る、安倍首相や吉村大阪市長が好きなトンデモ作家なのである。

2019年1月23日

北方領土問題の解決は不透明なままだ

Vladimir Putin by ©psolodov

昨日1月22日、モスクワで日露首脳会談が開かれたが、ニューヨーク・タイムズ紙は「プーチンは領土紛争を終わらせるとの日本の希望を打ち砕いた」とする論評を掲載、領土交渉で日本が後手に回っているとの見方を伝えていた。安倍晋三首相の不用意な発言を警戒してか、質問拒否の共同記者発表が行われた。ウラジミール・プーチン大統領は、日露平和条約締結の前提となる、北方領土帰属交渉の進展には触れなかった。ロシアは返還後に米軍が配備されるのではという懸念を示していたが、安倍首相は「米軍基地は作らせない」とトンデモ発言をした。前エントリーで触れたように、プーチン大統領は沖縄県のアメリカ軍基地を挙げ「知事も住民も反対しているのに基地は増強されている」と核心を突いたのである。安倍首相は6月に大阪で開かれる予定の20カ国地域首脳会議(G20)で、来日するプーチン大統領と北方領土問題で大筋合意を演出し、7月に公示される参院選を乗り切ろうと考えてるようだ。ところが今回の首脳会議を受け、パノフ元駐日ロシア大使は、G20での合意は「絶対にありえない」と否定、領土問題の解決をレガシーにしたい安倍首相の思惑を遮る見解を示した。ところで1945年8月15日、昭和天皇は「玉音放送」によって降伏を公表した。ところが国際法上の太平洋戦争の終結は、戦艦ミズーリ号の上で日本が降伏文書に調印した日、1945年9月2日ということになる。この8月15日から9月2日までの空白の約半月間、旧ソ連軍が千島列島を侵攻し南下、島々を次々と占領した。しかし歯舞群島と色丹島は9月2日以降、戦争が終わったあとに占拠したものだ。それゆえに1956年の「日ソ共同宣言」で二島を平和条約締結後に譲渡するとしたのである。だからといって、その二島を返還するとプーチン大統領は公言していない。一方、1951年のサンフランシスコ平和条約で千島列島を放棄したが、北方四島は千島列島に含まれていないというのが日本の一貫した主張であった。同条約への署名を旧ソ連は拒否したが、今日に至るまで日本は四島返還に拘ってきた。80%が「一島も引き渡すべきではない」という国内世論の圧力が言動を鈍らせているようだ。プーチン大統領はクリミア自治共和国併合もそうだが、北方領土問題の法的な解釈を熟知しているはずである。名門レニングラード大学法学部を卒業しているので、法律を遵守する政治家と信じたい。しかし旧ソ連国家保安委員会(KGB)の諜報員であったという経歴が、不安材料として払拭できずに残っているが、そこにプーチン大統領の二面性を嗅ぎ取ることができる。記者会見で安倍首相は「平和条約の問題をじっくり話し合った」と語ったが、領土交渉は1ミリたりとも動いていない。いずれにしても、北方領土問題の解決は不透明なままで、二島はおろかゼロ島になってしまう可能性も否定できない。

2019年1月19日

オンラインで利用可能になったオスマン帝国時代の写真

木造住宅に囲まれたアヤソフィア聖堂(1854)

煙草と珈琲を嗜む女性(1890)
カリフォルニア州のゲティ研究所が最近、フランス人の蒐集家ピエール・ド・ジゴールがトルコを旅行中に蒐集した、19世紀および20世紀初頭のオスマン帝国時代の写真、6,000枚以上をデジタル化した。現在、研究および教育目的なら無料でダウンロードできる。コレクションはオスマン帝国時代のさまざまな写真を網羅しており、ランドマーク建築、都市や自然の景観、数千年前の文明の遺跡、そして衰退していくオスマン帝国の最後の数十年間に生きた、多様な人々の賑やかな生活を描いてる。若い二人の女性の写真に目が留まったが、私は思わずトプカプ宮殿を連想した。しかし後宮(ハレム)の女性と断定することはできない。煙草に珈琲はつきものだが、トルコの諺である「煙草なしの珈琲はカバーがないマットレス」を思い出した。写真をこの諺を脚本に仕立てた演出写真の可能性がある。日本でも明治大正時代に芸妓をモデルにした絵葉書が作られたが、同じ類なのかもしれないのである。私は数度にわたってトルコ、主として古都イスタンブルを訪れたことがあるが、モスクに代表される建築群に圧倒された。木造住宅に囲まれたアヤソフィア聖堂などの写真を見ると、旅の思い出と共に、栄枯盛衰、オスマン帝国の無常が脳裡を駆け巡る。デジタルファイルにはゲティ研究所の検索サイトからアクセス可能である。大量の写真が蒐集され、残されてることに驚愕するが、これをダウンロードして利用できることは、素晴らしいの一言に尽きる。

WWWPierre de Gigord Collection of Photographs of the Ottoman Empire and the Republic of Turkey

2019年1月18日

原発のない社会へ 2019 びわこ集会

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日 時:2019年3月9日(土)10:00開始 15:00デモ出発
会 場:大津市膳所公園&生涯学習センター(大津市本丸町)077-527-0025
講 演:樋口英明「原発訴訟と裁判官の責任」
報 告:井戸謙一(弁護士)
会 費:500円
主 催:原発のないびわこ集会実行委員会 http://biwakoshukai.shiga-saku.net/

2019年1月16日

安倍政権の対露外交は破綻している

千島列島国境の歴史的変遷(ウィキペディア

安倍晋三首相は外交が得意だそうだ。なにしろ「フクシマはコントロール下にある」と、息を吸うように嘘をつき、五輪誘致をした御仁だから、その「実績」を自慢するのだろう。北方領土をめぐる日露交渉で、安倍首相がウラジーミル・プーチン大統領に対し「1956年の日ソ共同宣言に沿って歯舞群島、色丹島が日本に引き渡された後でも、日米安保条約に基づいて米軍基地を島に置くことはないと伝えた」という報道が記憶に新しい。しかし返す刀で大統領に「日本にどこまで主権があるのか分からない」と喝破された。日本の決定権を疑う例として、沖縄県のアメリカ軍基地を挙げ「知事も住民も反対しているのに基地は増強されている」と核心を突かれてしまったのである。ところで一昨日、セルゲイ・ラブロフ外相と河野太郎外相との間で、北方領土問題を含めた平和条約締結交渉の協議がスタートしたが、会談の前にロシアのマリヤ・ザハロワ報道官が国営テレビで「日本側が共同記者会見を拒否した」と暴露した。東京新聞15日付け電子版によると、会談ではラブロフ外相が日本側に北方領土の名称も含めて、厳しく詰め寄ったことが明らかになった。要するに「日本が国内法で『北方領土』と規定していることは受け入れられない」と言及したようだ。しかし河野外相は具体的な会談の中身を一切説明できなかったそうである。慌てた菅義偉官房長官は、旧ソ連やロシアによる「不法占拠」が続いていると記者会見で発言したが、国内向けに過ぎない。ロシア政府に直接主張しないと犬の遠吠えに終わってしまう。今月9日、安倍首相が年頭記者会見で、北方領土の帰属が「日本に変わることをロシア住民に理解してもらう」とした発言に、ロシア外務省は反発、領土返還を前提にした日本側の情報発信に対し強い姿勢に転じている。安倍首相は国内向けに嘘を発信する、二枚舌のペテン師である。来週22日に安倍首相が訪ロしてプーチン大統領と首脳会談が行われるが、期待せずに見守ることにしよう。プーチン大統領が交渉のテーブルにつくのは、日本からの経済援助を期待しているからだろう。本音は「北方領土は四島はおろか二島も返さないけど、お金は貰う」なのかもしれないのである。日露外交の主導権はロシアに握られたままだ。

2019年1月13日

孤高の剥製師ロン・ピッタードのフィッシュ芸術

Trout Salmon and Char of North America by Ron Pittard (W58xH95cm)

独自の技術で塗装するピッタード
東京で一人暮らしをしていた1980年代半ば、部屋に飾ってあった、北米の鱒、鮭、岩魚のポスターである。確かアラスカの釣具店で購入したもので、京都に舞い戻る際に、引越しのどさくさで失ってしまった。最近、ふとこのポスターのことを思い出したが、ネット通販店で入手可能なことが分かった。さっそく注文し、額装して飾ってみた。エドワード・グレイ著の『フライ・フィッシング』について書いたばかりだが、釣りをしない釣り師、私はアームチェア・アングラーの典型かもしれない。この大型図鑑ともいえるポスターを眺めていると何故か心が鎮まるのである。それにしても30年以上の時を経た邂逅、このポスターが超ロングセラーであることに驚く。当時ははおそらく作者について情報不足だったと思われるが、インターネットのお陰でその片鱗を窺い知ることができた。剥製技術に長年関わってきた、編集者ケン・エドワーズのブログ記事「孤高の名人」によると、ポスターを描いたのは魚類剥製師ロン・ピッタードだった。2012年11月に他界した魚の芸術家だったが、ごく少数の友人や顧客を除いては、会った人が稀有だったという。そして何と何年もの間、パソコンはおろか、電話機すら持っていなかったという。彼は優れた画家だったが、空間芸術ともいえる剥製あるいはレプリカ制作者だった。大物を釣った場合、日本の釣り師は魚拓を作る。ところが欧米では剥製にする。またレプリカは、魚を複製した精密模型であるが、ピッタードのそれは芸術の高みに達していたという。コンベンションに参加しなかったのも、孤高の芸術家たる所以かもしれない。

2019年1月12日

言い逃れできない 2020 年東京五輪招致活動の贈賄疑惑

フクシマは未だにアウト・オブ・コントロールだ

竹田恒和日本オリンピック委員会会長
各紙1月11日付け電子版によると、2020年の東京五輪招致を巡る贈収賄疑惑で、フランス捜査当局は今月11日、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長を贈賄容疑者とする正式捜査の開始を昨年12月10日に決定したと明らかにしたという。問題の発端は、2016年5月12日、フランス検察当局が、日本の銀行から2013年7月と10月に、2020年東京オリンピック招致の名目で、国際陸上競技連盟(IAAF)前会長のラミン・ディアク氏の息子に関係するシンガポールの銀行口座に約2億2,300万円の送金があったことを把握したとの声明を発表したことだ。竹田会長は支払いに関して「招致計画づくり、プレゼン指導、国際渉外のアドバイスや実際のロビー活動、情報分析など多岐にわたる招致活動の業務委託、コンサル料などの数ある中のひとつであり、正式な業務契約に基づく対価として支払った」と説明していた。産経新聞2016年5月14日付け電子版に「東京五輪招致を巡る資金が振り込まれたとされる、シンガポールのコンサルタント会社の所在地となっている公営住宅」と題した、共同通信社撮影の写真が掲載されている。この写真が象徴しているように、国際的なコンサルタント会社には見えない。

コンサルタント会社の所在地となっている公営住宅(産経新聞2016年5月14日)
誰がどうみても完全なペーパーカンパニーである。毎日新聞2016年5月20日付け電子版も同様の写真を載せているが「ドアの前にはサンダルが脱ぎ散らかされていた」という。そして「ブラックタイディングス社代表のイアン・タン氏はこれまで、音楽やマーケティングなど幅広い業種に関わっていたとみられるが、コンサルタント業としての活動の詳細は分かっていない」と報じている。要するに限りなく怪しいのだが、この点はフランス検察当局の捜査によって全容が明らかになること期待したい。竹田会長は昨11日、昨年12月10日にパリでヒアリングを受けたことを認めた上で「調査チームが報告してきたことを全部話した。それ以上のことを話されたり、向こうからの提示もない」と語っている。身柄が拘束される場合もあるが、竹田会長は日本に住んでおり、捜査がどのように進むかは不透明だ。従って長期化するとの見方が強いという。2013年9月7日、安倍首相はアルゼンチンのブエノスアイレスで開催された国際オリンピック委員会(IOC)総会で「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」と真っ赤な嘘をついた。嘘と金にまみれた2020年東京五輪は、潔く返上すべきである。

2019年1月9日

年賀状交換をやめました

鹿苑寺(京都市北区金閣寺町)

寒中お見舞い申し上げます。新年早々京都を離れたのはいいのですが、風邪を引き、半ば夢遊状態で東京の正月を過ごしました。京都に戻ったのは4日でしたが、新幹線はガラガラ、さぞ混雑と想像していたので拍子抜けしました。さて、今年も年賀状をたくさんいただいたのですが、私のほうからは出しませんでした。以下は返信の寒中見舞いで、明日にも投函しようと思っています。
年賀状をいただき、ありがとうございました。新年のご挨拶が遅くなり、誠に申し訳ありません。今年から、どなた様へも年賀状によるご挨拶をお送りしないことにしました。来年以降は電子メールないしブログにて新年のご挨拶をさせていただく所存です。何卒ご了承くださいますことをお願い申し上げると共に、今後とも変わらぬお付き合いをいただけると幸いです。
要するに年賀状交換を今年からやめましたという挨拶状です。ふだんは「音信不通」状態の旧友からの元気そうなの便りを読むと、懐かしさと共に、やはり年賀状の少なからぬ役割を痛感します。その一方、様々なことを整理したいという漠然とした思いが、そろそろ年賀状に終止符を、という気持ちに傾いたのかもしれません。失ったものを惜しみながらの言い訳です。

2019年1月4日

エドワード・グレイ『フライ・フィッシング』の深淵


エドワード・グレイ
エドワード・グレイ(1862-1933)は英国の政治家で、鳥類学者でもあった。祖父のジョージ・グレイ(1799-1882)は著名なリベラル政治家だった。ウィンチェスター・カレッジからオックスフォード大学ベリオール・カレッジに進んだが、学業を怠り退学させられた。学才がなかったというより、大学という枠の馴染めなかったのかもしれない。1882年に祖父が亡くなり、男爵の称号、約2,000エーカーの土地および私有財産を相続する。そして復学し、1884年に名誉学位を取得した。晩年、そのオックスフォード大学に名誉ある総長として招聘されたことは特筆に値する。1885年、バーウィック・アボン・ツイードから自由党員として当選し下院議員となった。第一次世界大戦勃発前夜の1914年8月3日、外務大臣だったグレイは執務室から暮れ逝く外の景色を眺めながら、友人だったウェストミンスター・ガゼット紙の記者、ジョン・アルフレッド・スペンサー(1862-1942)に「ヨーロッパ中のランプが消えようとしている。生きているうちにまたランプが灯るのを見ることはできそうもない」と語り、意に反して英国の参戦を決意したことで知られている。1905年から11年間外務大臣を務めたが、これは英国の外務大臣の最長在任記録となった。1916年に貴族院へ退いたが、爵位は継ぐものがいなく一代限りだった。眼を患い、大戦集結時にはほぼ視力を失っていたという。弟がふたりいたが共にアフリカでの狩猟で命を落としている。ケニアで農場を経営したデンマークの作家、イサク・ディネセン(1885-1962)の『アフリカの日々』と時代がオーバーラップする。野鳥の研究観察と共に釣りが趣味で、1899年に "Fly Fishing" を著した。1929年にふたつの章を加えている。
むし暑い六月の日々のロンドンには、どうにもやり切れない、息苦しい一面がある。建築物の挑戦的な堅苦しさ、舗道の残酷な堅牢さ、太陽のもとにただれるような街のにおい、硬い物質に終日照りつける強い日差し、夜もなお避けることのできない息のつまりそうな暑さなどがそれである。そして、夜風も涼しさをもたらさず、寝室の窓はオーヴンに向かって開いているようだ。これらの苦難に加えて、最悪なのは、この季節に田園を奪われ、田園から閉め出されているという意識である。(西園寺公一訳)
講談社学術文庫(2013年)
エドワード・グレイ『フライ・フィッシング』(講談社学術文庫2013年)は、日本の最後の貴族で、参議院議員などの要職を歴任、グレイ当時の毛鉤で鱒釣りにいそしんだ、西園寺公一の訳である。フライ・フィッシングを楽しむ英国の釣り人にとって、一年中でもっともよい季節は初夏、すなわち五月と六月だと力説している。大自然が素晴らしく、限りない変化に富んだ姿を見せ、われわれが住む世界の美しさを納得させる絶好の季節だという。政界での苦労話はこの著書では皆無である。だだ激務に耐えながら、大自然への憧憬する心情がこの下りに顕著である。
文春文庫(1978年)
眼の病はグレイの視力を減衰させた。しかし毛鉤が見えないにも関わらず、手の触角を頼りに釣りを続けたという。おそらく野鳥は囀り、すなわち聴覚による観察をしたのではないだろうか。釣り文学の古典的バイブル『釣魚大全』の著者アイザック・ウォルトン(1593-1683)の生涯も多くの困難が伴うものだった。1626年に結婚したレイチェル・フラッドとの間に生まれた七人の子どもはすべて幼いうちに死んでしまい、彼女も1640年に他界した。1646年にアン・ケンと再婚したが、彼女との間に生まれた長男も、生まれるとすぐに死んでしまう。これらの苦難を『釣魚大全』は一切触れていない。開高健(1930-1989)が『フライ・フィッシング』を監修、序文を寄せているが、このふたりが著作の中では決して一身上の苦悩を語ろうとせず、弱音を洩らそうとしなかったと讃えてやまない。ふたりの現世の苦患(くげん)があってこそ、この明澄と静謐が蒸留されていると思いたい、と。グレイはもしかするとウォルトンを見倣ったのかもしれない。アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)の短編小説シリーズ「ニック・アダムズ物語」もそうだけど、釣り文学は釣りをしないアームチェア・アングラーの読者に支えられてる側面があると思われる。そうそう、ユーモアに富んだ開高健『私の釣魚大全』(文春文庫1978年)に底知れぬ慰安と強い感動をを覚え、何度も読み返したことが思い出される。超お薦めの一冊だ。

2019年1月1日

方舟から一羽の鳩が

方舟に戻った鳩はオリーブの若葉をくわえていた(旧約聖書第8章)

新しい 2019 年を迎えたが、おめでとうと挨拶することがいささか躊躇われる。この国の首相は平和憲法を壊そうと虎視眈々と窺い、軍靴の響きが大きくなってきたからだ。私たちは暴政の洪水に見舞われ、方舟に乗って漂流し始めた。鳩を放てば、オリーブの葉をくわえて舟に戻ってくるだろうか。そして再び放つと戻ってこなくなるだろうか。なぜ鳩が平和の象徴になったか改めて考えてみよう。

2019年1月1日 大塚 努 <camera_works@outlook.jp>