高山寺地蔵塚の小石仏(京都市右京区西院高山町)
高山寺山門 |
石柱の側面には「くろだにをはやたちいでてこうさんじさいのかわらをまもるみほとけ」という寺院の御詠歌が見える。これはむしろ「黒谷をはや立ち出でて高山寺の賽の河原を守る御仏」と漢字交じりにしたほうが分かり易いだろう。黒谷とは東山区にある浄土宗黒谷派の本山金戒光明寺のことである。ところで空也上人の「地蔵和讃」の西院河原(さいのかわら)すなわち賽の河原は、鴨川と桂川が合流する佐比の河原に由来すると言われている。淳和天皇の離宮近くに佐比大路があったことで関連づけられるようだ。少し言葉が錯綜してしまった。要するに「佐比の河原」から「西院の河原」そして「賽の河原」と派生したと考えられる。だからこれらは同音異字と言ってよいと思われる。佐比の河原は鳥辺野(とりべの)蓮台野(れんだいの)化野(あだしの)市原野(いちはらの)と同様、庶民の葬送の地、無常の地であった。
西院の河原に集まりて 父上恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とはこと変わり 悲しさ骨身を通すなり かのみどり子の所作として 河原の石を取り集め これにて廻向の塔を組む 一重組んでは父のため 二重組んでは母のため 三重組んでは故郷の 兄弟我身と廻向して 昼は一人で遊べども 陽も入相のその頃は 地獄の鬼が現れて やれ汝等はなにをする 娑婆に残りし父母は 追善作善の勤めなく ただ明け暮れの嘆きには むごや悲しや不憫やと 親の嘆きは汝等が 苦患を受くる種となる 我を恨むることなかれ 黒鉄の棒を差し延べて 積みたる塔を押し崩す その時能化の地蔵尊 ゆるぎ出でさせ給ひつつ 汝等命短くて 冥土の旅に来るなり 娑婆と冥土は程遠し 我を冥土の父母と 思うて明け暮れ頼めよと 幼きものをみ衣の 裳のうちにかき入れて 哀れみ給うぞ有難き 未だ歩まぬみどり子を 錫杖の柄に取り付かせ 忍辱慈悲のみ肌に 抱き抱えて撫でさすり 哀れみ給うぞ有難き 南無延命地蔵大菩薩(空也上人『西院河原地蔵和讃』)
丸彫りの石造地蔵菩薩像 |
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