2018年1月16日

ジョーン・バエズ1967年日本公演逸聞


中古レコード店巡りが楽しい。最近の拾い物は『ジョーン・バエズ・ライブ・イン・ジャパン』(Joan Baez Live in Japan)で、1967年2月1日、東京厚生年金ホールでの実況録音アナログLPレコードである。キングレコードが制作したもので、紆余曲折を経て1973年にリリース、1976年に復刻盤も発売された。ジョーン・バエズが残した、日本でのたった一枚の記録で、海外のファンにとってはレア盤として垂涎の的らしいのである。収録されてる曲は『朝日楼』(House Of The Rising Sun)などの伝承歌謡は無論だが、どちらかと言えば『サイゴンの花嫁』(Saigon Bride)など、反戦、プロテストソングに軸足がおかれている。三橋一夫のライナーノーツによると、反戦歌手として反体制的な立場を明確に示していたため、内外から有形無形のプレッシャーがかかっていたようだ。そうした客観情勢下で公演が持たれ、誤解と緊張から来る微妙なズレが生じ、週刊誌などの好餌にされたという。テレビ中継もあり、アメリカ政府当局の圧力を忖度した司会者が、バエズの話を訳す際に「この『雨を汚したのは誰』は原爆をうたった歌です」を「この公演はテレビ中継されます」に、そして「私は自分の払ったお金が、ベトナム戦争のために使われたくないので。税金を払うのを拒みました」を「アメリカでは税金が高い」にと、意図的に誤訳したという話が残っているのである。今も昔もテレビ局の体質は変わらないようだ。小林万里と一緒に日本語で歌った金子詔一作『今日の日はさようなら』がこのレコードに残されているが、この曲は森山良子のヒット曲として知られている。バエズの楽屋に招かれ、さらにステージで一緒に歌ったので「和製ジョーン・バエズ」と呼ばれるようになったと言われている。しかしヤマハの『おんがく日めくり』が「森山のプロデューサーが、彼女を“日本のジョーン・バエズ”として売り出そうと、テレビ中継の予定されていたバエズの来日公演に森山を出演させるアイデアを思いつき、宿泊先まで直談判しにいって実現したもの。この時のテレビ中継により、彼女は全国的にその存在を知られるようになった」と暴露している。というわけでいろいろ逸話を残した日本公演だったのだが、司会者が途中で交代するなど、いろいろゴタゴタがあり、バエズ自身は余り良い印象を持たずに帰国したようだ。ただ演奏そのものは素晴らしく、流石である。なお『勝利を我らに』(We Shall Overcome)を聴衆がシングアウトしているのが印象的だ。

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