2018年1月17日

蛇を愛せる人間になりたいものだ


爬虫類、特に蛇が苦手だ。蜥蜴は手足があるからまだマシだけど、蛇は見ただけで戦慄が走る。鳥類は爬虫類が進化したものと習った覚えがあるが、そういえば蛇の目と鳥の目は似ている。蛇の目傘のジャノメである。鳥は美しいと思うし、好きだ。なのに蛇に恐怖を覚えるのか不思議である。この感情はいつ、どのように刷り込まれたのだろうか。W・H・ハドスンの自伝的エッセー『はるかな国とおい昔』には、蛇に関する少年時代の興味深い思い出が綴られている。蛇を見ると、ギクっとなり、驚愕と恐怖が入り混じった感情に捕われる子どもだったという。この感情は兄からの影響ではなかったかと述懐している。蛇でさえあれば、命にもかかわる恐ろしい生物だと兄たちはみなしていたという。ところが「蛇は必ずしも人間にとって危険なものではない。だから生き残ったり、日没前に逃げたりしないようにと、見つけたが最後、すぐ殺したり、めちゃくちゃにつき砕いたりせねばならぬ生き物ではないという、あの発見以来、初めて私は、蛇の類のない美しさや、特性を鑑賞しだしました」と変化する。蛇を殺すのは、無害で美しい鳥を殺すのと同様、馬鹿げた仕業と気づく。かくしてハドスンは、蛇には何か神秘的なものがある、という感情を持つようになったという。

中田祝夫訳注『日本霊異記』(講談社学術文庫)
蛇は旧約聖書の中でアダムとイブをだます悪魔の化身として登場する。少なくともキリスト教圏では、嫌われ者で、しかも恐怖の対象とされてきたに違いない。ハドスンにも当然このような説話がインプットされていたことは確かである。しかしすべての野生生物への好奇心が高まり、やがて博物学者の目を持って蛇を観察するようになったのだろう。日本にも蛇に関する寓話は山ほどある。日本最古の仏教説話である『日本霊異記』の第四十一「女人の大きなる蛇に婚(くながひ)せられ、薬の力に頼りて、命を全くすること縁」は凄い。河内国の裕福な家の娘が登っていた桑の木から落ちて大蛇に犯される。親が薬で娘を助けるが、蛇は殺す。3年後、再び娘は蛇に犯され死んでしまう。夫婦の仲であったことを恋い、死に別れるとき蛇の夫と、その間にうまれた子に 来世必ず蛇の妻になりたいと思う」と遺言したという。霊異記は「その神識(たましひ)は、業の因縁に従ふ。或いは蛇馬牛犬鳥等に生れ、先の悪契に由りては、蛇となりて愛婚し、或いは怪しき畜生とも為る」と説いている。よこしまな前世が、蛇あるいは動物となって生まれ変わるというのである。無論、ここでの蛇は忌むべき存在として描かれている。しかし私は、娘が蛇に恋情を抱いた点に引っかかるものがある。霊異記はさらに「愛欲は一つに非ず」と続く。愛憎の現れもまた一様ではないと私は思う。蛇を愛せる人間になりたいものだ。

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