2017年8月6日

フランクリン・D・ルーズベルトのリトル・ホワイト・ハウス演奏会

Franklin D. Roosevelt (center) and daughter Anne (standing) at Warm Springs, Georgia, 'Little White House' in 1933 with Bun Wright's Fiddle Band.

Liner Note for "Songs from the Depression" by New Lost City Ramblers
左は1959年にフォークウェイズ・レコードからリリースされたニュー・ロスト・シティ・ランブラーズのLPアルバム「大恐慌からの歌」(FH5264)のライナーノーツの一部である。写真には「ルーズベルト大統領と隣人たち、ジョージア州ワームスプリングスにて」とキャプションがついているだけで、詳細は不明だった。このレコードを入手したのは1970年代だったと記憶しているが、フランクリン・D・ルーズベルト大統領はストリングバンドが好きだったのだろうか、このローカルバンドの名は、といった疑問を持ったことが思い出される。しかし資料入手が難しくて調べようがなく、月日が流れてしまった。私は「アメリカンルーツ音楽」というブログもを持っていて、様々な資料を掲載している。そこでふと思いつき、この写真をインターネットで探してみることにした。ふたつのサイトで見つかったものの、詳しい説明がない。そこで検索キ―に "WarmSprings" を加えたところ「ブルーグラス・スペシャル」というサイトに辿り着き、今まで見たことがなかった意外な写真に出くわしたのである。


Franklin D. Roosevelt hosts Bun Wright's Fiddle Band
ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズのライナーノーツに掲載されていたものと同時に撮られたと思われるが、背景が広く写り、後ろの女性の顔も切れずに写っている。同じ撮影者による写真のコマ違いなのか、それとも別の撮影者のものなのかは不明である。女性はルーズベルトの娘アンで、次期大統領に選ばれたルーズベルトが、1933年1月26日に地元のバン・ライト・フィドル・バンドを招待した際のものである。なおルーズベルトの向かって左に座っているプレーヤーが演奏している楽器はギブソンのハープギターである。ここまで分かれば後はまさに芋づる式に写真の詳細が解明できる。ルーズベルトは1921年にポリオに罹患、治療のため1924年にジョージア州ワームスプリングスを訪ねた。31℃の温泉プールによる療養が功を奏したため土地を購入、大統領に選ばれた1932年、別荘が完成した。しばしば通ったため、後に「リトル・ホワイト・ハウス」と呼ばれるようになり、1945年にここで死去した。アメリカ史に詳しい人にとっては先刻ご存知のこととは思うが、私にとっては新しい発見であった。ついでに YouTube で検索したところ、大統領を挟んで演奏するバン・ライツ・フィドル・バンドのビデオが見つかった。右隣のバンジョー奏者が「知事」と呼び掛けているので、別のサイトに1936年撮影とあるのが間違いであることを証明している。なお下記リンク先の英文ブログに、ジョージア州「ルーズベルトのリトル・ホワイト・ハウス歴史サイト」の解説を転載したので、興味あるかたは併せてお読みいただければと思う。

Blogger  Bun Wright's Fiddle Band at Franklin D. Roosevelt's Little White House

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