Franklin D. Roosevelt (center) and daughter Anne (standing) at Warm Springs, Georgia, 'Little White House' in 1933 with Bun Wright's Fiddle Band.
左は1959年にフォークウェイズ・レコードからリリースされたニュー・ロスト・シティ・ランブラーズのLPアルバム「大恐慌からの歌」(FH5264)のライナーノーツの一部である。写真には「ルーズベルト大統領と隣人たち、ジョージア州ワームスプリングスにて」とキャプションがついているだけで、詳細は不明だった。このレコードを入手したのは1970年代だったと記憶しているが、フランクリン・D・ルーズベルト大統領はストリングバンドが好きだったのだろうか、このローカルバンドの名は、といった疑問を持ったことが思い出される。しかし資料入手が難しくて調べようがなく、月日が流れてしまった。私は「アメリカンルーツ音楽」というブログもを持っていて、様々な資料を掲載している。そこでふと思いつき、この写真をインターネットで探してみることにした。ふたつのサイトで見つかったものの、詳しい説明がない。そこで検索キ―に "WarmSprings" を加えたところ「ブルーグラス・スペシャル」というサイトに辿り着き、今まで見たことがなかった意外な写真に出くわしたのである。
Franklin D. Roosevelt hosts Bun Wright's Fiddle Bandニュー・ロスト・シティ・ランブラーズのライナーノーツに掲載されていたものと同時に撮られたと思われるが、背景が広く写り、後ろの女性の顔も切れずに写っている。同じ撮影者による写真のコマ違いなのか、それとも別の撮影者のものなのかは不明である。女性はルーズベルトの娘アンで、次期大統領に選ばれたルーズベルトが、1933年1月26日に地元のバン・ライト・フィドル・バンドを招待した際のものである。なおルーズベルトの向かって左に座っているプレーヤーが演奏している楽器はギブソンのハープギターである。ここまで分かれば後はまさに芋づる式に写真の詳細が解明できる。ルーズベルトは1921年にポリオに罹患、治療のため1924年にジョージア州ワームスプリングスを訪ねた。31℃の温泉プールによる療養が功を奏したため土地を購入、大統領に選ばれた1932年、別荘が完成した。しばしば通ったため、後に「リトル・ホワイト・ハウス」と呼ばれるようになり、1945年にここで死去した。アメリカ史に詳しい人にとっては先刻ご存知のこととは思うが、私にとっては新しい発見であった。ついでに YouTube で検索したところ、大統領を挟んで演奏するバン・ライツ・フィドル・バンドのビデオが見つかった。右隣のバンジョー奏者が「知事」と呼び掛けているので、別のサイトに1936年撮影とあるのが間違いであることを証明している。なお下記リンク先の英文ブログに、ジョージア州「ルーズベルトのリトル・ホワイト・ハウス歴史サイト」の解説を転載したので、興味あるかたは併せてお読みいただければと思う。
Liner Note for "Songs from the Depression" by New Lost City Ramblers |
Franklin D. Roosevelt hosts Bun Wright's Fiddle Band
Bun Wright's Fiddle Band at Franklin D. Roosevelt's Little White House
0 件のコメント:
コメントを投稿