2016年6月28日

嵯峨清凉寺本堂の扁額と釈迦如来像

清凉寺本堂扁額(京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)

国宝本尊釈迦如来立像
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右から左に「栴檀瑞像」と読む
大覚寺大沢池の蓮の咲き具合を見ようと市バスに乗ったが、気が変わって二つ手前のバス停「嵯峨釈迦堂前」で途中下車した。嵯峨釈迦堂は通り名で、正式には清凉寺、確か本尊の秘仏が開帳される日だと記憶していたからだ。仁王門をくぐり、右手にある一切経蔵横の弥勒宝塔石仏に挨拶を交わす。嵯峨野を代表する石仏のひとつで、何度も撮ったことがあるが、野ざらしの石仏ゆえ人々の関心を呼ばないのかもしれない。何しろこの寺の本尊の木造釈迦如来立像は国宝だからである。その本堂である釈迦堂の前に立ち、見上げると大きな扁額が視界に入った。達筆である。しかし達筆過ぎて、残念ながら何と読むか分からない。靴を脱いで本堂に上がり、拝観受付で扁額について尋ねたら、草書体に楷書体を併記した和紙(左上)を手渡された。有り難い。黄檗隠元禅師筆によるものだそうで、右から左に「栴檀瑞像(せんだんずいぞう)」と読むそうである。どうやらこれはインドより中国に伝来したとされる、栴檀の香木で造られた特殊な仏像、所謂「栴檀釈迦瑞像」がルーツのようである。仏教史家の藤原崇人氏の研究論文によると、清凉寺の釈迦像は東大寺の奝然(ちょうねん)法橋が宗の都、開封に安置されていた瑞像を、様(図面)に基づき模刻し、986年(寛和2)に持ち帰ったものだそうである。内陣から若い僧侶が「どうぞ近くでご本尊をご覧ください」と声をかけてくれた。瑞像の特徴は「生身性」にあるという。つまり在世中の釈迦を写したものであり、まさしく生きた仏であった。そのせいだろうか、私が脳裡に描いていた釈迦像と微妙に違う。どう表現したら良いだろうか。やや柔和さに欠ける面立ちなのである。内陣を辞して本堂の北側を抜け、渡り廊下を進むと、弁天堂が見えた。同寺ウェブサイトの解説に「額縁の絵のようだ」とある。潤いに満ちた風が、額縁の間を通り抜けた。

PDF  藤原崇人『栴檀瑞像の坐す都─金の上京会寧府と仏教』(新潟大学学術リポジトリ)

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