シダ植物(京都府立植物園)Fujifilm Finepix X100
京都市バスの車内などで「日本に京都があってよかった」という京都創生PRポスターを見かけるが、私は「京都に植物園があってよかった」と時々思うことがある。私は関東生まれ、関東育ちだが、京都を終の棲家と決め込んでいる。初めて京都府立植物園に入ったのは、確か1970年代初頭、シンガー&ソングライターの豊田勇造君に誘われてだったと記憶している。園内をぐるぐる回ったのだが、何を見たのか全く覚えていない。賀茂川の畔に出てバトミントンをしたことは脳裡に残っている。その後、私は新宿に長い年月住んたが、緑の芝生を求めて新宿御苑や明治神宮によく出かけた。ただそこにあった植物にはまるで興味が沸かなかった。まさか自分が植物園の花にレンズを向けるとは当時の私には考えられないことだったといえる。ところが10年ほど前、新聞社のスタッフカメラマンを辞した私はそれを始めたのである。何故だろう? 単に年齢を重ねたから? 確かにその側面は否めない。全日本写真連盟関西本部事務局の仕事をしていたころ、そのコンテスト審査会で故秋山庄太郎さんがこんなことを語ってくれた。「写真家が歳をとるのは難しい」「若い人(雑誌の編集者)が俺に対し遠慮するようになった」「だから<花の会>を作って、仕事の写真はやめて花を撮るようになったんだ」云々。さて植物園だが、京都のそれは日本で最初の効率植物園である。明治時代までは上賀茂神社の境外末社である半木神社とその鎮守の森を中心とした田園地帯であった。インターネット百科事典ウィキペディアによると、大正天皇の即位を祝い企画した「大礼記念京都大博覧会」の開催用地として、1913年(大正2年)に京都府によりこの地が購入された。しかし議会等の反対もあり博覧会は開催されず、植物園が代案として計画されることとなり、1915年(大正4年)に「大典記念植物園」の設置が決定されたという。実際に歩いてみると実感できると思うが、高木に囲まれ、半木(なからぎ)の森が生き続けている。京都に植物園があってよかった。
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